苗字さんが飲み会に沈んだ顔で現れたのは、待ち合わせ時間の10分前だった。膝が隠れるくらいの可愛いスカートの裾を風で揺らしながら、いまにも泣きそうな目で無理に笑う。
 インターハイを初めて制したメンバーで集まるのは、一年に一度はあった。ほかにも自転車部のメンバーが入り乱れていつも大所帯になるのだが、この日は違った。巻島さんが外国から帰ってきているのだ。久しぶりにあの夏の三日間を支えあったメンバーで集まろうと、巻島さんのことを考えて金城さんが提案したメンバーのなかには苗字さんも入っていた。
 今回巻島さんは数日しか日本にいられないらしく、遠距離で半年か一年に一度くらいしか会えない苗字さんと巻島さんを気遣ってのことだった。最初苗字さんは邪魔になるからと断っていたが、田所さんが半ばむりやり来るように言ったらしい。

 苗字さんとはあまり話したことはなかったが、オレも青八木もいい印象を持っていた。学校で会うと笑顔で手を振ってくれ、「手嶋くん、昨日タイムよかったんでしょ? 田所くんがすごく喜んでたよ。ずっと自慢されちゃった」などと嬉しいことを言ってくれるからだ。
 それに、たまに巻島さんと並んでいるところを見ると、なんだかこっちまで嬉しくなった。べったりしているわけではないけど、友達よりは近い距離。気難しい巻島さんが笑い転げたりからかったり、逆に慌てていたり。苗字さんの前でしか見られない巻島さんは新鮮で、一ヶ月ほどで苗字さんはオレや青八木よりたくさんの巻島さんを見たと思う。苗字さんはそれに気付いていなさそうだったけど。

 泣きそうな苗字さんを前にして一番慌てているのは小野田だけど、あの金城さんさえも焦っていた。そりゃ苗字さんがこんな顔をしていたら、巻島さんとなにかあったのかと嫌な想像をしてしまう。



「私のことを誘ってくれたのは嬉しいんだけど、やっぱり今日は遠慮しようかな。騒ぐ気分じゃなくって」
「どうした、巻島となにかあったか? 話くらい聞く」



 金城さんの優しく低い声が、こわばった苗字さんの体に染み渡っていく。苗字さんは震えるくちびるを動かして言葉を紡いだ。なんとか笑おうとする努力が痛々しい。



「ここに来る前、すこしだけ裕介くんと会って。思いきってプロポーズしたら断られたんだ」
「えっ」



 予想外すぎる言葉にみんなが固まる。青八木が視線で「純太、詳しく聞いて」と訴えてくるのがつらい。青八木はたまに無茶を言う。
 オレが聞いてもいいものか、そもそもこの空気のなか口を開ける度胸があるのかと考えているあいだに、苗字さんが詳しいことを話し始めた。



「いろいろあってプロポーズしてみようって思ったんだけど、いざとなったらテンパっちゃって。裕介くんに、毎朝味噌汁飲みたくありませんかって聞いたら、パン派だからって……断られちゃった」



 ……それは。



「しょ、しょうがないよね。まだ大学生だし、もうすぐ社会人だとは言ってもまだ子供と同じだし……外国には綺麗な人がたくさんいるし」



 それは、ただ単に和食が恋しくないか聞いただけだと思われてるんじゃないだろうか。
 視線で会話するオレたちの心はひとつだった。あとは誰がこれを伝えるかというところだ。やはりここは金城さんだろうかと視線が集まるなか、口を開いたのは今泉だった。



「あの、それってただ味噌汁を飲みたくないか聞いただけじゃないすか? ちゃんと『私の作った味噌汁』って言わないと伝わらないと思うし」
「……そ、そうかな……?」
「そもそもプロポーズだって気付いてなさそうっす」
「えっ!?」
「だってふつうに味噌汁のこと聞いただけじゃないですか」
「そ……そうなのかも……!」



 よくやった今泉! すこしズレたところのあるヤツだったが、今回はそれが幸いした。
 田所さんもほっとしたように頷いてフォローをはじめる。金城さんがそれに続いて、最終的にみんなで苗字さんのテンションをあげることに専念した。



「巻島さん、苗字さんのこと好きやないっすか! 自信持っていきましょ!」
「あ、あの、ボク、何でもしますから! な、泣かないでください!」
「巻島にもう一度、落ち着いて聞いてみればいい。できればどうしてプロポーズしようとしたか、その気持ちも含めて」



 さすが田所さんたちだ。わずかな時間で立ち直った苗字さんは、綺麗に笑った。それからひとりひとりにお礼を言う。なにもしていないオレにも「ありがとう手嶋くん。手嶋くんがいてくれてよかった」という言葉をいただいた。苗字さんは優しい。



「……何してるんショ」
「裕介くん!」



 不思議そうな顔をしている巻島さんは、いつからそこにいたんだろう。慌ててなんでもないと言った苗字さんの顔はぎこちなくて、全然隠せていなかった。巻島さんの眉がぴくりと寄る。苗字さんに尋ねようと巻島さんの口が開く前に、金城さんがとりあえず店に入ろうと絶妙なタイミングで提案した。
 あとはもう、苗字さんと巻島さんに任せるのみである。また苗字さんが勘違いしなければの話だけど。


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