あかい指切り >> Input

 自転車って解体して袋に入れられるんだ、というのが第一に驚いたこと。第二に驚いたのは、裕介の服装だった。
 蛍光の緑と黒のしましまのTシャツ、そでについた赤い房がアクセント。ダメージジーンズに黄色いスニーカー。



「……斬新ですね?」
「なにがショ」
「服装……言われない?」
「ああ、たまにな。オレが好きだからいいんだよ」



 裕介は拗ねたようにそっぽを向いて、口をむっすりと引き結んだ。それをぽかんと見つめて、こみ上げてくる笑いを堪えられずに笑い転げる。



「ごめん、拗ねないでよ。見慣れなかっただけ」
「……笑いすぎっショ」
「だって、可愛かったから。それが裕介の趣味なんだね、覚えとく」



 裕介はなにも言わずに、買っていたらしい切符を差し出してきた。さきにお金を払おうと財布を取り出すと、長い手で遮られてしまった。



「後でいい。先に行くぞ」
「そう言って受け取らなかったら怒るよ」
「……」
「なんで答えないの」



 むりやりついてきたのは私だっていうのに、裕介は優しい。
 慣れたように自転車を大事にあたらないように運びながら、電車に乗り込む。席はあいてたから何も考えず並んで座ったけど、右に感じる温度がなんだかむずがゆい。はじっこに座った裕介は邪魔にならないように自転車を置いて、流れる景色を見ていた。
 とくになにも話さないこの空間が、居心地が悪かったらよかったのに。そうしたら、赤い糸なんて意識せずにいられたのかな。



・・・



 電車をおりて、たぶん自転車のない私に合わせてバスに乗ってついたさきは、綺麗に舗装された山道だった。聞けば、ここは車も少なく自転車の練習に適している場所らしい。
 山の頂上をすこし下ったところにある、ちいさい公園のような場所で自転車を組み立てるのを見つめる。近くのトイレでジャージに着替えた裕介は、ヘルメットをかぶって準備運動をしつつ、ちらちらとこっちを見てきた。大荷物が気になるのだろう。



「いちおう店員さんに聞いて買ってきたスポーツドリンクとかタオルとか。あと私の読む本とかね。時間計るなら、ストップウォッチの使い方教えてくれればするし」
「……やる気だな」



 意外そうに裕介がつぶやくのが、なんだかおかしい。きっと、糸のせいで無理やり来させられたんだと思ってるんだろう。実際そうだけど、やるからには頑張らないと。



「自転車のこと全然知らないけど、できるサポートならするよ。時間がたっても帰ってこないときは、探しに行く。怪我してるなら、かついで帰る。だけど、無茶はしないでね」



 ぱちぱちと、たれ目がちなひとみが何度か瞬きして、いつも下がっている眉毛がさらに下がる。鼻の下を長い人差し指でこすって、クハ、と初めて聞く特徴的すぎる笑い声が響いた。



「往復で計る。ストップウォッチは任せたっショ」
「使い方教えてくれる?」



 口下手だけど丁寧に使い方を教えてくれた裕介は、ストップウォッチのボタンを押すとあっという間に見えなくなっていってしまった。ぽかんと口を開ける私のことなんて、振り向きもしないで。



・・・



 それから裕介は何度も往復をし、そのたびにへろへろになって時間を聞いてきた。専用のドリンク入れに持ってきた飲み物を入れながら、座り込んでタオルで汗をぬぐう裕介を見る。さっきから車は数えるほどしか通らないけど、それでも轢かれないかすこし心配だ。



「ご飯食べる?」
「そうするかァ」



 ぼろぼろになりつつある木のベンチにこしかけて、お昼時なのもあって私も一緒にご飯を食べる。

 ……これは、浅知恵だったような気がする。裕介は言うまでもなく私より自転車や自分のことを知り尽くしているのであって、お母さんにどれだけ食料を用意してほしいか伝えているはずである。私はただの阿呆ではないか。
 もそもそとお弁当を食べていると、大きな音がした。二人してびくりとして音の方向を見ると、そこには適当に置いたがゆえに荷物がはみだしている、私のカバンがあった。だらしなく開いたチャックのなかに慌てて荷物を詰め込むと、裕介も手伝ってくれた。



「……名前」
「なに?」
「これ……」



 裕介が指でつまみあげているのは、まぎれもないお弁当だった。裕介のお腹がすいたのに食べるものがなかったときのために作ってきた、豪華なんて言葉とは正反対なお弁当。上下が逆さまになってぐちゃぐちゃになったであろうそれに、血の気が引く。なんとかごまかさないと。



「そっそれは私がお腹すいたときのための予備いたたたた痛いまた小指がチャーシューに! ごめんなさい嘘です、裕介のお腹すいたらいけないと思って、念のため作ってきた物体です」



 解放されてもじんじんと痛む小指に息を吹きかけて、ぶらぶらと手を振る。この赤い糸怖い。
 裕介はぽかんとして私を見ていて、いたたまれなくなって下を向く。赤い糸よ、真実はときに人を傷付けるのです。このあと私と裕介がぎくしゃくするのはあなたのせいですよ。



「え、と……糸に脅されて作ったっショ?」
「私の意思で作ったけど。でも裕介もお弁当用意してるし、当たり前だよね。自転車のこと調べてみたら、ご飯食べながら乗るっていうから、たくさん食べるのかと思って」
「あー、えー、と……」
「よく考えなくても気持ち悪かったね、ごめん。もとから言う気はなかったし、うちの晩御飯になるだけだから。気にしないで」



 そうは言っても、気にするのが人間である。この空気とじくじくと痛む心臓をどうしたものかと考えていると、大きな手がお弁当を持ち直した。そんな丁寧に持つようなものは入ってないのに。
 裕介が困りきったように口を開く。



「昨日、練習のこと考えてて……ここは遠いから近場にしようと思ったら、小指が痛んで」
「そっちにも痛みの被害が……」
「で、最初の予定通りここにして……でも暇だろうから、練習早めに切り上げて、名前を送ってったらもう一度来ようとしてたショ。でも、オレが登ってるあいだ、本読んだり音楽聞いたり宿題したり、なんか楽しそうで……」



 まるで自宅のように好き勝手にものが散らばっている光景を見て、思わず愛想笑いをする。読みかけの本、中途半端に開けたお菓子や飲み物、やりかけのまま放置されている宿題や塾のノート。



「暇じゃないよ。家にいても同じことしてるし」
「みたいだな」



 だから、一休みしたあとに練習するから、腹が減ったらこれを食べてもいいか。おずおずと聞かれたのに、数秒かかって言葉を飲み込んでから頷いた。

 ──なんだかやわらかい音が、する。とっても優しくて、なんだか泣きたくなるような笑いたくなるような不思議な色を、裕介は持っているのね。


 
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