沈黙が痛い。ふたりとも何も話さずにいるし、私は泣くのをこらえるので精一杯だ。
沈黙に耐えかねた巻島が、自転車をおこしてチェックをはじめる。左手は動かさないようにしているあたり、優しいのかもしれない。
「あの……自転車、大丈夫? 思いきりぶつかっちゃって」
「それより、心配するならそっちっショ。体は」
「あざとか出来てるかもしれないけど、骨折はしてないみたいだし。そっちは?」
「同じく」
チェックを終えた巻島が、手持ち無沙汰にまわりを見る。スカートをはたいて立ち上がって、まだ小指がつながっているか確認して、巻島と向かい合った。
「……自転車、置きに行く? 大事なんでしょ」
「……部室、あっちショ」
ぎこちないにもほどがある。自転車を押す巻島の横を歩きながら、そっと顔をのぞき見た。怒っているというか、まだ動揺しているみたいだ。私以外にはこうなった原因はわからないんだから当たり前だけどさ。
運動部のかけごえや楽器の音が風にのって聞こえてくるなか、巻島がそっと口を開いた。おずおず、というような感じは、なんとなく巻島に似合わないと思った。
「その……ワザとじゃァないんだけど、苗字の横通ると当たったり」
「ああ、うん」
「悪い。引っ掛けるつもりなんてなかったんだヨ」
「知ってるよ。いきなりどうしたの?」
「いや……怒ってたから」
心当たりのない言葉に首をかしげる。怒る? 私が巻島に?
しばらく考えてから、こうなったときに赤い糸に怒ったのを思い出した。頭にきて、いい加減にしてと怒鳴ったような記憶がある。
いつのまにかついていた部室に自転車をおき、巻島はしゅんとしたように私を見た。私より少しだけとはいえ背が高いのに、そんなふうに見られると、いままで八つ当たりしたみたいに冷たくしていた自分が恥ずかしくなってくる。
「巻島に怒ってたんじゃない。ええと……こうなった原因に、怒ってて」
「原因、知ってるっショ?」
「うん。まあ……たぶん、信じられないけど」
やけくそである。この話をしてドン引きでもすれば、私に恋なんてしないに違いない。
部室からすこし離れた、木々で囲まれた場所に座り込んで、できるだけ簡潔に説明した。赤い糸が見えること。それが今まで私と巻島を引っ張って、よくぶつかっていたこと。今回は糸が絡まっているせいで指が離れないこと。
ぽかんとしながら聞いていた巻島は、まだつながっている小指を見た。それから私を見て、もう一度小指を見る。
「……赤い糸が、つながってる……」
「うん」
「オレと」
「うん」
「苗字が」
「うん」
「……え」
「その気持ちはわかるけど。いまはこれをほどくことを最優先にして」
「ほどくって……さわれないショ」
問題はそこである。さわれないものはほどけない。
この赤い糸は、いつまでたっても仲良くしない私たちに業を煮やして、こんなことをした。とすれば、もう仲良くなった、あるいはこれから仲良くなることをアピールすればいいのではないだろうか。
「巻島、私たちもう仲良くなったわよね。入学してきたときと比べたら遥かに」
「え? まあ……」
「なったわよね?」
「なった、と、思う……」
歯切れの悪い巻島の返事は放っておいて、小指をすこし振る。ほんの1ミリ程度だけど隙間ができたのを見て、巻島と顔を見合わせた。この作戦はいける!
「私、これからは巻島に挨拶する。帰りも絶対にさよならって言う」
「は?」
「いいから、巻島も私と仲良くなる方法考えて。じゃないと一生このままよ」
小指に向かって話しかけるなんて、よっぽど変に見えているに違いない。だけど私は必死だったし、巻島も思い当たることがあったのか、引きながら「あー」だとか「うー」だとか唸りつつも口を開いた。
「苗字に挨拶するショ。困ってたら助けるし」
「私も、巻島が困ってたら助ける。あとは……ええと、そう、ふつうに話すようにする」
巻島がそっと手を動かす。数センチ距離が開いたのに、目を丸くして小指を凝視した。私を見た巻島の目には、さっきまでの疑いや引いた様子はなかった。
「もう、苗字を疑ってないショ。よくぶつかる理由も、冷たくされる理由もわかった」
「えと、ごめん」
「気にしてないっショ」
「ありがと」
糸がさらにゆるむ。だけどまだ絡まっているそれに、ない知恵をなんとか絞り出そうと頭を抱える。男女がなかよくなるために、漫画とかではどうしてたっけ……。
「あっそうだ! 巻島のこと、名前で呼ぶ。これでどう?」
「オレも。だから、そろそろ離さない、カナー、なんて……」
巻島のお願いが聞いたのか、するすると糸がほどけていく。試しに手を離してみるけど、もうからまっていない。いつもどおりだ。
「ほどけたよ、巻島!」
「やった……ってまたくっついてんだけどォ!?」
「なんで!」
「あー、あれじゃね? 名前で呼ぶってやつ」
「いまから有効なのか……ええと、じゃあ、裕介。ほどけたから安心して。あと、今日一緒に帰れない? 待ってるから」
巻島はすこししてから頷いて、部活に戻っていった。それにしてもこの糸、やたらお見合い話を持ってくる近所のおばさんより厄介に違いない。
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