あかい指切り >> Input

「巻島さんの彼女てどんな人なんスか?」



 あくまで雑談のなかでふっと気になったからというようにオッサンに聞いてみたのは、入部して一ヶ月くらいしたときのことだった。
 独特の雰囲気があってどことなく近寄りがたい巻島さんに彼女がいると聞いて、ワイと小野田くんはめっちゃ盛り上がった。なにしろ自転車部で唯一の彼女持ちが、あの巻島さんなんや。小野田くんはかっこええって言うとったけど、ワイは純粋に興味があった。あの緑色の髪ですぐに人との距離を縮めない巻島さんの心をゲットしたんは、どんな人なんやろ。



「あー……男前だな」
「男前!? 女なのに!?」
「女だけどな、オレなんかよりよっぽどがっしりしてるぜ」
「オッサンよりがっちりって……プロレスラーかなんかですか?」
「女だよ。どこにでもいる、普通のな」



 オッサンよりがっちりしてる男前なのに、どこにでもいる普通の女ってわけわからん。矛盾しすぎやろ。
 もっと聞こうと思ったけどそこで部室に巻島さんが入ってきたから、話はそこで終わりになった。オッサンは巻島さんにメニューのことで話しかけて、ワイは小野田くんと話しはじめる。

 せやけどずっと気になっとった。あの巻島さんの彼女って、どんな性格なんやろ。巻島さんとどんな話すんねやろ。
 それがいま、唐突に予期せぬ形で会うことになるなんて、ワイはおろか巻島さんまで思っとらんかったみたいやった。

 インハイ前に巻島さんの家で箱根駅伝のビデオを見たあと、もう一度見ようかと小野田くんと話していると、勢いよくドアが開かれた。部屋のなかにもうひとつあった、巻島さんが開けるなって言っとったドア。



「ごめん裕介寝てた! 田所たちはもう来て……」



 ワイらを見た女の人はかたまって、巻島さんを見た。巻島さんとふたり、たしかに視線で会話した女の人は、ふっと目を閉じて微笑んで髪をうしろへ流した。



「私のことは気にせず、どうぞゆっくりしていってね」
「いや、もうビデオは見終わったぞ」
「えっうそ! そんなに寝てたの!?」
「こっちこそ、苗字がいるなんて思わなかったぞ」
「私だって田所たちが来る前に帰ろうと思ってたの!」
「まあいい、お前のこと一年が気にしてたぞ。ちょうどいいから話してけよ」
「なんで田所っちが決めるっショ……」



 そう言いながらも、巻島さんは彼女さんを追い出そうとはしない。これが……これが噂の苗字さんか!
 苗字さんはちらっとワイたちを見たあと、椅子を引き寄せて座って足を組んだ。脚に片肘をのせ、手の甲にあごを乗せて指を動かす。



「私は苗字名前。なにが聞きたいの?」
「えっ……と」
「裕介の彼女だもん、気になるよね。なんでも聞いていいよ」
「ふたりはいつから付き合っとったんですか!」



 思いきって聞いてみると、苗字さんは驚いた様子もなく答えてくれた。2年の春から……ってことは、付き合って一年ちょいか。



「でもこいつら、一年のときから付き合ってるみたいだったぞ。実際付き合ったあとも態度は変わってねえし、オレも金城も付き合ってると思ってたしよォ」
「それはあれっショ、準備期間っつーか」
「裕介が私を好きになるかどうかは、裕介の自由だしね。私は裕介が好きだったから、そうなればいいと思ったけど、やっぱり最後は裕介が決めるべきだから」
「はっ?」



 なぜか巻島さんが驚いて苗字さんを見る。いまのどこに驚く要素があったかわからんけど、苗字さんはすぐにわかったようで、巻島さんのほうを向いた。



「私、ずっと裕介が好きだったよ。風邪ひいたときにはとっくに」
「そっ、いっ……一言も……好きになりそうってだけで……」
「好きって言ったら、裕介を縛っちゃう。言ったでしょ、決めるのは裕介だって」



 巻島さんの顔が赤くなっていく。横で小野田くんが「かっこいい……!」って目ぇキラキラさせて言っとるけど、いつもみたいに巻島さんに言っとるんとちゃうやろな。確実に彼女さんに言っとるわ。



「巻島さんのどこが好きなんですか」



 スカシが空気を読まずに聞く。この甘ったるいふたりきりの空気のなか、よう発言できたな! 尊敬するわ!



「裕介の好きなところ……ぜんぶかな」



 ありきたりな答えに、なんだかがっかりする。ぜんぶ言うたかて、本当にぜんぶちゃうやろって思ってまうのは、ワイがまだ恋愛には疎いからなんやろうか。



「もちろんだけど、裕介には欠点もある。駄目なところだってあるし、お互いいらいらすることもある。だけど、その欠点もぜんぶ含めて裕介なの。いいところだけ見ても、それは裕介じゃないの。だから私は、欠点も、いらいらするところも、あんまり好きになれないところがあっても、ぜんぶひっくるめて好き。つまり……裕介が好きってことかな」



 まさかの発言についていけずに口を開けていると、巻島さんがほんのり赤くなって苗字さんを小突いた。



「そういうこと、一年の前で言うなって言ったっショ」
「えっ抑えてたつもりなんだけど、まだダメ?」
「ダメ」



 苗字さんはむうっとふくれたあと、勢いをつけて椅子から立ち上がった。自分から質問したくせにスカシは顔赤くしとるし小野田くんは目ぇキラキラさせとるし、なんちゅうか完全に苗字さんの空気や。



「仕方ない、我慢しますか。でも、ふたりきりのときは遠慮しないからね」



 ちゃんと手入れされてるであろう緑色の髪をすくってキスをした苗字さんは、巻島さんにウインクして笑った。
 なんや……なんやこれ! 女がする仕草ちゃうで!?



「そういうのがダメなんショ!」
「ごめんごめん。じゃあみんな、ごゆっくり。私はとなりの部屋でもう一眠りするね」



 楽しそうな苗字さんは、ワイたちに手を振ってドアの向こうに消えた。
 誰もなにも言わないなか、オッサンがひとりでジュースのプルタブを開ける音がひびく。おいオッサン、空気読めや。



「言っとくけど、苗字は始終あんな感じだからな。三年も一緒にいればさすがに慣れる」
「そうなんですか……かっこいい!」
「小野田くん、それ女に言うセリフちゃうで」



 小野田くんにはそう言いながら、ようやくオッサンが言っていたことがわかった。
 見た目はどこにでもいる、ふつうの女子。それが口を開けば男前なことを言うし、ちゃんと芯がある感じがする。それがオッサンに言わせればがっしりしてる、っちゅうことなんやろう。



「巻島さん」
「なんだ鳴子」
「彼女さん、女の子にモテてません?」



 苦い顔をしたってことは、思い当たる節があるっちゅうことや。あれじゃ女子高にいったら女の子にモテモテやろうな。
 巻島さんがそっぽを向いて、ほんのすこしだけくちびるを尖らせる。



「……名前はオレの彼女っショ」



 あっ、拗ねてる。
 となりの部屋からくすくすと笑い声が聞こえてきて、巻島さんが自分の手を見て小指を動かす。そして、いままで見たことがないくらい自然に、幸せそうに笑った。


 
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