あかい指切り >> Input

「私は一緒には行かないよ」



 苗字の言葉に驚いたのはオレだけじゃない。となりにいた金城も予想外だという顔をして苗字を見つめていた。
 巻島がイギリスに行ってしまうという話を聞いたのはついさっきで、急いで鳴子たちに連絡をとって巻島がどこにいるか探した。誰も聞いていないってことは、巻島は誰にも言わずに隠してたってことだ。オレたちにも言わずに隠してたってことだ。巻島はそういうところもある奴だけど、突然そんなことを言われたオレたちの気持ちにもなってみろよ。

 必死に巻島を探して直接話して、イギリスに行くのが本当だと聞いたときは体の力が抜けた。そんな、念願のインハイのてっぺんとったっつーのに、まだ一緒に走れると、卒業してもすぐ会えるんだと思ってたのに、外国に行くことはねえじゃねえか。
 明日ならゆっくり話す時間をとれると言った巻島を呆然と見送ったのは、オレと金城だけだった。
 巻島はきっと寂しさを隠して、このまま誰にも会わずに帰ってしまうんだろう。自分の役目は終えたとばかりに、行ってしまうんだろう。

 そんなとき現れたのは苗字で、思わずオレと金城は詰め寄った。どうして言ってくれなかったのかと、苗字に言っても仕方ないことを愚痴った。



「私だって、聞いたのはインターハイ終わってからだよ。ずっと、それこそ三年になる前から裕介がなにか悩んでたのは知ってた。だけど言わなかったから、私だってなにも聞かなかったんだよ。悩んで迷ってるのは私に伝わってるってわかってるのに、裕介は言わなかったから、聞けなかったんだよ」



 苗字の言葉に、するりと手が落ちる。
 そうだ、苗字がなにも感じないはずがない。ずっと仲がいい恋人だったんだ。好きだと照れもせず言う、いつも巻島を気にかけていた苗字が悩んでないなんてこと、あるはずがない。



「……悪い」
「ううん、言わなかった裕介が悪いんだよ、気にしないで。だけどしめっぽいのは嫌いで、笑って去りたいって……本当はまだここにいたい裕介の気持ちを、すこしだけ……言わなくてもふたりはわかってるだろうけど」



 珍しく力なく笑った苗字は、オレの肩を叩いた。なぐさめるような、元気づけているようなそれに、なんとなく違和感を覚えて苗字を見る。



「苗字は巻島と一緒にイギリスに行くんだよな?」
「私は行かないよ」
「な……なんでだよ!」
「やりたいことが出来たから。それはイギリスでもできるだろうけど、日本でもできる。向こうで学ぶにはまず英語を勉強しないといけないから、きついと思うんだよね。英語を習得してイギリスに行って、慣れない英語と格闘しながら専門分野を学ぶよりは、まず日本で出来るところまでするよ。それでまだ足りなかったら、学べるところへ行く。それがイギリスじゃなくても」



 いくつもの別れが突然おとずれたような気がして、なにも言えずに苗字を見つめる。苗字は真剣な顔をしていて、巻島よりも自分の将来をとることが伝わってきた。



「裕介と出会って、私はようやく『こうじゃなかったらいいのに』じゃなくて『こうしたい』って思えるようになったの。自分をないがしろにしてたんじゃ、自分を好きになれない。裕介が言ってくれたように、私も自分のしたいことをしなくちゃ」



 まっすぐ前を向いて、凛として言う苗字の目には、まだ見ぬ未来が映っているようだった。
 巻島が外国に行ってしまうショックと、苗字がそれについていかない衝撃からようやく立ち直って、金城と顔を見合わせて笑う。こいつらが真剣に自分のことを考えて決めたのに、オレたちがそれを応援して笑顔で送り出さないでどうすんだよ。



「それに、裕介と離れてしまったからって心まで離れるわけじゃない。なんとなく感情が伝わるし、お互いが誰より近くにいることは変わらない。裕介にとって私は運命の相手なんだもの。赤い糸でつながってるって、いまなら自信を持って言える」



 苗字の愛の言葉は相変わらずだが、いつも予想外のところでブッ込んでくるから心臓に悪い。好きだのなんだのと言うのすら恥ずかしいオレにとって、苗字は誰よりも愛を知る凛々しい人間だ。
 金城が横でメガネをあげて笑った。



「これからも、巻島は苦労しそうだな」
「裕介に必要な苦労なら仕方ないよ。だけど、いらない苦労だったら私が代わりにいくらでも背負ってあげる」



 そういうとこが苦労しそうだと言ってんのに、苗字は気づかないんだろう。

 誰より巻島を好きなことを隠さずに愛を伝えるから、苗字は女でも男でもひそかなファンが多い。恋愛に憧れてたり、その発言を参考にしようとする人間にとって苗字はまぶしい存在だろう。
 そういや箱学の新開も苗字を気に入ってるとかいう噂があるが……まあ、苗字なら大丈夫だろう。問題は巻島だ。

 金城が微笑んでオレの肩に手を置く。



「田所、お別れ会の準備でもするか」
「おう」
「あっ私もする! それにしても、金城がお別れ会とか言うとなんだか面白いね」



 離れたってオレたちがペダルを回した時間がなくなるわけじゃない。インターハイで優勝した感動が色褪せることもない。離れていてもいつかは会える。オレたちは苦楽を共にした仲間だ。
 だから、なぁ巻島。笑って見送るから、いままでの礼くらい言わせろよな。


 
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