「だから、なんでそうなるんだよ」
「これ以外に方法はないじゃない。これは裕介と付き合うときに私が決めたことなの。もう決めてるの」
「だから、なんでそういうことを勝手に決めるんだよ!」
空気がびりびりと震える。思いきりにらんでるのに名前は物怖じせず、背筋をのばしてオレの視線を受け止めていた。
知ってたよ、名前がこんなやつだって。だが、さすがにこれは受け入れられない。
付き合って、いや出会ってからはじめての喧嘩で、田所っちたちが隠れつつも緊張して様子をうかがっているのがわかる。部室からすこし離れているとはいえ部員の見える場所で喧嘩してしまったのはオレの過ちだ。だけど、受け流すことはできなかった。
しばらく名前とにらみあってから、後ろを向いて足早に離れる。このまま名前のそばにいても怒鳴り合うだけで何も解決しない。
ただ離れることだけ考えてたどりついたのはいつも昼食を食べている場所で、いらいらしながら乱暴にベンチに腰かけた。名前のばかやろう。そんなことされても、全然嬉しくなんかねえんだよ。
「赤い糸がちぎれると、ふたりとも死んじゃうの」
そう名前が言ったのは、オレたちが付き合う前だった。いつもより真面目な顔で自分が見た衝撃映像のことを語る名前は、真剣だった。
──ああ、だからオレを好きにならないのか。
ふっと浮かんだ言葉は、あながち間違いでもないだろう。入学式を終えて自分のクラスに入るときにぶつかってから名前が気になって、オレはこんなにすぐ好きになったのに、名前はオレを好きになってはくれなかった。
秘密を共有する相手として弱みをみせて、まっすぐオレを見てくれて、なのにどこか薄い壁がある。名前の赤い糸のさきはオレにつながってるはずなのに、どうして好きになってくれないのか悩んだこともあった。
それが、名前のこの言葉で解決した。
赤い糸がちぎれるなんて状況はめったにないとは思うが、目の前で人が死んだショックは名前を縛り付けていた。元からよく思っていなかった赤い糸が見える体質を、きっと恨んだことだろう。
それなのに明るくオレに接して、なんでもないようにそれを言える名前をオレは尊敬していた。弱音をはいたのも泣いたのも、オレが「赤い糸が見える」という体質を受け入れたときだけ。
「そんな簡単にちぎれないっショ。名前が見たふたりは喧嘩してたんだろ?」
「たぶん、女の人が決定的なことを言ってしまったんだと思う。ぎりぎりつながってた糸がちぎれて……」
口をつぐんだ名前は、思い出したくない光景が浮かんだのか、ぎゅっとくちびるを噛んでいた。
「私と恋しなきゃいけないわけじゃない。好きな相手を見つけて両思いになったら、幸せになってね」
いつだったか名前が言った言葉を思い出して、眉間にしわが寄った。そんなこと言ったって、赤い糸の相手と出会ったら恋をしてしまうって言ったのも名前じゃないか。
「名前は赤い糸が見えるんだろ? ちぎれるのもわかるなら、その前に回避できるだろ」
「だけど、なにが原因でちぎれるかわからない」
「そのときは言えばいい。そしたらオレも、ちぎれないようにするから。ふたりで努力すりゃ、ちぎれるはずないっショ」
だから、オレを好きになれよ。飲み込んだ言葉はたぶん赤い糸を通しても伝わらないオレの気持ちだ。
名前はすこし考えてから、顔を上げて笑った。
「うん。裕介と一緒なら、きっと大丈夫だよね」
「当たり前だろ。喧嘩したら謝る。これができてりゃ問題ねえショ」
今度こそ名前は心から笑った。
──それを見て思ったんだ、この問題はこれで解決したって。ちぎれないようにふたりで努力すりゃ、そんな最悪の事態はおこらねえって。なのに、名前が考えてることはオレとは違った。
「赤い糸がちぎれそうになったら、私が先に死ぬから。そうしたら裕介は死ななくてすむし」
「……は?」
「そうしなきゃ裕介は死んじゃうから。私は裕介を死なせたくない」
「……なんでそうなるんだよ」
名前はわかってねえ。なんでもひとりで背負い込んで、オレがいるのに、オレたちが付き合ったのは赤い糸が原因で責任は自分にあるって、見当違いなことを考えてる。
オレは名前が好きだから付き合った。そんなの、赤い糸で結ばれてんだから当たり前のことだろうが。オレたちが結ばれなかったら世界中の誰だって両思いになんかなれないし、赤い糸の意味なんてなくなるだろうが。
だから思わずカッとなって名前に怒鳴ってしまった。あいつは頑固で、いつ死んでもいいようにオレへの気持ちを口にしている。
足元の小石を蹴って、深呼吸してから立ち上がる。喧嘩したら謝る、これさえ出来てりゃこの糸がちぎれることなんかない。オレには糸なんか見えないけど、まだつながってるのはわかる。名前が、悲しんでる。
はじめての喧嘩だからこそ、きちんとしなければいけない。そうすりゃきっと、名前の心配事も減るだろう。
部室まで歩いていくと、田所っちと金城が名前をなぐさめていた。田所っちがオレを見つけて、ほっとしたように名前に教える。あとでふたりにも謝っとかないとな。
「ヨォ名前、考えは変わったか?」
「まさか」
「だろうな」
クハっと笑って髪をかきあげて、息を吸う。これが名前だ。
「さきに死ぬなんて許さねえ。そんなことしたら、オレも自殺するぞ」
「それは駄目。なんのために私が死ぬと思ってるの?」
「名前に死んでほしいなんて、思ってねえんだよ。そんなことになったら……そうだなァ、心中でもすっか」
「……心中?」
「ふたりで死ぬのも悪くねえ。名前が相手ならな。本当に一緒に死ぬなんて、なかなか出来ねえぞ」
笑って言うと、名前が目を見開いた。名前がこんな顔をするなんて、オレがこんな顔をさせるなんて珍しくて笑う。
いつも名前に赤くさせられっぱなしなんて、プライドが許さねえっショ。
「……そうだね。裕介が相手なら、死ぬのもこわくないかもね」
名前の目が細められて、ようやく笑う。
名前が悲しんでいたことが痛いほど伝わってきて、ぎこちなく頭をなでた。誰かの頭をなでるなんて、慣れてなくて緊張する。
「裕介とならきっと、そんなことにならないよね」
「当たり前だろ」
「こうなったら、裕介がほかの女に目移りしないほどいい女になるよ。私を好きになってよかったって思わせるんだから、覚悟しておいてね」
ウインクして、銃の形にした手を胸にあてられて硬直する。赤くなっていく顔を冷ませそうにない。ああもう、なんでこうなるっショ!
「たまにはオレにもかっこつけさせろよ!」
「裕介はじゅうぶんかっこいいじゃない。私の目には、世界で一番いい男に見えてるよ」
「ああもう……」
どうやっても勝てそうにない。こうなったら、オレに惚れてよかったって思わせてやるから、そっちこそ覚悟しとけっショ!
← →
return