夏休みも終わって、暑さが引かない新学期が始まってしばらく経った。夏休みのあいだ必死にペダルを回している裕介の邪魔をするなら、私は一生裕介と口きかないと赤い糸を脅したせいか、引っ張られることも痛むこともなかった。
そろそろ体育祭だなーとぼんやりと考えていると、珍しくハイテンションな裕介がドアを開けてずんずんと歩いてきた。おざなりに朝の挨拶をして、興奮したように両手を机に打ち付ける。
「名前! 優勝したっショ!」
「自転車で?」
「小さな大会だけどな! あのダンシングで!」
「あの怪我しそうなやつで? ほんとに!?」
「オウ」
思わず立ち上がって、裕介の興奮した顔を見る。数ヶ月のあいだに成長した体は、前よりも見上げなければ視線が合わなかった。
じわじわと実感が足から心臓までやってきて、両手を挙げる。裕介はにんまりと笑ってハイタッチしてきたのに笑って、こっちからもハイタッチをする。
「おめでとう裕介!」
「っショ!」
「やったじゃん! 今日はお祝いだね! なにか買ってあげようか? 歯磨き粉?」
「なんでだよ!」
こんなに笑ってよく喋る裕介は珍しい。このテンションが維持されてるのも。
ごんごんと拳をぶつけ合いながら、ひたすら「イエーイ」だの「おめでとう」だの「やった」だの、女子高生らしい語録の少なさでお祝いをする。
「じゃああれがいいショ。オニギリ。オカカと梅入ったやつ」
「りょーかい。明日のお弁当でいい?」
「おー」
チャイムがなって席に戻っていった裕介を見送って、私まで上機嫌になりながら担任が入ってくるのを待った。横の席の友人が、なんとも言えない顔でこっちを見てくる。
「で、名前と巻島はいつから付き合ってるの?」
「付き合ってないけど」
「いや嘘でしょ。あんな巻島初めて見たし、お祝いは名前の手料理がいいっていうし」
「裕介って意外と気を遣う性格だから、安上がりですむ方法考えたんじゃない」
「いや絶対名前に気があるね」
「それより、部活の先輩とはどうなったのよ」
「話そらさないでよ。でもね、先輩と進展があって!」
自ら話をそらす友人の浮かれた声を聞きながら、ぼんやりとお弁当のおかずは何にしようか考える。いままで作ってきたのは、ウインナーと卵焼きとほうれん草のおひたしという、お弁当の定番でおいしいけど地味でそれほど手間のかからないものばっかりだった。
お祝いだし豪華にしたほうがいいよね。卵焼き焦がすレベルで料理下手だけど。
・・・
その日の昼休み、友人と食事をしていると、ドアが開かれて大柄な男の子が顔を覗かせた。違うクラスで、なんだか見覚えがあるようなないような体型をしている。
私のほかに誰も気づいていないようなので、ちょうど食べ終わったお弁当箱に蓋をして男の子のところまで行く。
「誰か探してるの?」
「おう、巻島いるか」
思わず巨体を見上げる。なんとなく見覚えがあると思ってたけど、たぶん自転車部の人だ。よく食べるのが田所、グラサンかけてるのが金城って言ってたから、たぶん今話したのが田所で後ろにいるのが金城だ。
とりあえず一人で席に座ってなにやら雑誌を読んでいる裕介のところへ行く。
「裕介、お客さん」
「おお」
裕介がドア付近で話し始めたのを見て、机のうえに置いたままだった雑誌を見る。そこには、水着を着て微笑む巨乳たちがいた。まさかのグラビアに固まる。
こんな……真昼の教室で堂々とグラビアを読むとは……我が道を行きすぎではないのか。あっでもこの人いい乳してる。
勝手にページを捲って見ていると、ずだだだという音とともに裕介が走ってきて、雑誌を取り上げられた。いいところだったのに、何をするんだ。
「なに見てるんショ!」
「なにって……裕介が一番わかってるんじゃないの? せっかくいい乳見てたのに」
裕介がくしゃっと雑誌を丸めて背中に隠す。そこまでしなくても、もう見ちゃったから今更なのに。
どうせならもっと見たかったと思っていると、教室に入ってきた田所と金城が面白そうにこっちを見てきた。なまぬるい視線を受けて裕介を見上げると、髪をかきあげて、下がった眉毛をさらに下げた。
「あー……コイツらとは話さなくていいっショ」
「ガッハッハ、なに嫉妬してんだよ!」
田所の大きな手が裕介の背中を叩いて、細い体がつんのめる。痛いとつぶやいて恨めしそうに田所を見る裕介の雰囲気は、どことなくいつもと違う。たぶん、これが信頼とか仲間とかいうやつなんだろう。
グラサンをかけていない金城が、すこし申し訳なさそうに話しかけてくる。
「邪魔して悪かったな。せっかくの時間を」
「べつに、今さっきまで友達とお弁当食べてたし、気にしないで」
「そうか……巻島、おまえの彼女はいい子だな」
「ハァ!? 何言ってるっショ! 違うし!」
「照れるな照れるな!」
「本当に違うよ。私と裕介は恋人じゃない」
ふたりの目が見開かれて、視線が裕介に移る。頬をかく裕介は、二人からすっと視線をそらした。
「巻島おまえ、こいつを次の大会に誘うっつってたじゃねえか。応援に来てほしいんだろ?」
「えっそうなの?」
私の言葉に、田所と金城が凍りつく。やっちまった、という顔をした田所は、ばんっと裕介の背中を叩いた。男ならさっさと誘え、という言葉はたしかに男らしいけど、こんな空気のなかで誘うような裕介でもない。
「じゃあ、裕介さえよければ行くよ。ずっと行きたいって思ってたし。でも、もし糸が……」
「いきなりインターハイに来るとかは、レベル高すぎっショ。だから次の大会で確かめてみればいい。たぶん……大丈夫ショ」
「え、あ、うん」
「オニギリ。昆布とじゃこ入ったやつ」
「じゃあ私は帰りにハーゲンダッツの季節限定のやつ」
「ショ」
裕介が大会に出るのはおろか、本気で走っているのを見るのさえ初めてではないだろうか。楽しくなりながら裕介の手から雑誌を取ると、慌てて取り返された。ケチ。
「……で? お前らいつ付き合うんだ?」
← →
return