「名前さん」



なぜ竜持くんは怒っているのだろうか。人のまわりのほんのわずかな空気が混じりあうように、すこしだけコーチと仲良くなれたと思う。それを喜ぶ間もなく、竜持くんがタオルで汗をぬぐいながら威圧してきた。数メートル先には子供らしい笑い声があふれているのに近付けもしない。私の目も耳も、言葉すら竜持くんが独占している。



「コーチに袖の下を使うなんてなかなかですねえ」
「袖の下!?そんなつもりはないよ!」
「もしほかの保護者が知ったらどう思います?確かに僕たちの実力はずば抜けていますが、何にでも文句を言いたい人もいるんですよ」
「ご、ごめんなさい……」
「あの名前さんがここまでする日が来るようになるなんて、月日は残酷ですね。スカートまではいて、用意周到じゃないですか」



竜持くんの言うことはいつも正論で、言い訳すら薄っぺらく感じて唇を噛む。そんなつもりはなかった。ただ、コーチと、コーチをコーチにするために奮闘してくれたという杏子さんに、すこしでも感謝を示したかった。
頭の上から、風の音で掻き消えてしまいそうなため息が聞こえてくる。びくりとした体と気持ちを、竜持くんは首をふって否定した。



「いまのは自分に呆れていたんです。僕もまだ子供ですね」
「竜持くん……?」
「すこしは感情をコントロールできるようになったと思っていたんですが、やはりまだ甘かったようです」
「ううん、そこまで考えていなかった私が悪いの。竜持くんは正しいよ」



なんとか笑ってみせると、竜持くんは痛ましいものを見るような顔をした。たしかに傷ついたけど、それは間違っている行為を突きつけられ、自分の愚かさを知ったからだ。竜持くんは何も悪くないし、そんな顔をする必要もない。



「このチームでそこまで気にする人はいませんよ。補欠もいませんし、何かをして試合に出させる必要もありません」
「でも、私がしたことは間違っていたから、もうしないよ」
「──別に、差し入れくらい許容の範囲内でしょう。ただ、すこし寂しくなっただけです」
「寂しい?」
「名前さんの料理を食べられるのは、僕たちの特権だと思っていましたから」



過去形。その言葉の意味を、頭で理解するより早く心で理解した。竜持くんは寂しがり屋なのだ。皮肉の殻で覆って笑顔で隠して、小学生らしくはないけど、一皮剥けばそこには傷つきやすい子供が眠っている。



「今日、ケーキ作ろうと思って!だから形だけでも女らしくと思ってスカートはいてきたの!コーチと杏子さんに作ったの、みんな竜持くんたちが食べたことあるのだし、あと、今日は竜持くんの好きな大きなハンバーグとエビフライ作る予定で、あっでも今日おばさんいるんだよね?えと、だから、ケーキ作るの初めてだし、食べるのは竜持くんたちだけだから!」



ノンブレス、我ながらよく言い切った長文を竜持くんは飲み込んで、それから眉をさげて思わずというように笑った。くすくすと耳をくすぐるような声は、支離滅裂な慰めを面白がっているのだろう。目的を果たせなかった意味のない言葉は、高校生にあるまじき幼稚なものだ。



「ありがとうございます。楽しみにしています」
「うん」
「それと、そのスカート、よく似合ってますよ」
「あ、ありがとう。竜持くんにそう言ってもらえると、嬉しい」



買ったばかりのスカートがひらひらと風に揺れて、なんだか風が気恥かしさ運んできたようだ。転校生で微妙に浮いていたなかで出来た友達でもなく、塾にいるすこしかっこいい子でもなく、可愛い三つ子たちに。一番に同じ顔がみっつ思い浮かんだということは、一番に見てほしかったのだろう。これを吐露するくらいのいじらしさは許してもらおうと、なんでもないように口にする。



「名前さんはまったく──その台詞、どこで覚えてきたんです?僕以外に言っちゃ駄目ですよ、誤解されますから」
「何を?」
「ほら、もう行きましょう。虎太クンがお腹を空かせています」



竜持くんに促されるまま歩き出して、うまく会話を誘導されながら先ほどの疑問を忘れていく。
虎太にアップルパイを作ると言って、嬉しそうにする虎太に期待はしないように念を押した。それから、いまさっき竜持くんが怒っていたのに気づいていながら助けてくれなかった凰壮を、すこしばかり責める。



「竜持くん、怒ってた」
「そりゃあな」
「凰壮も思うの?私がコーチに袖の下を使ったって」
「名前姉にそんなこと考える脳みそなんてないだろ」
「ない、けど」
「竜持が怒ってたのは別のことだろ。あいつ、焦ってるからな。名前姉もすこしは──いや、いまさらか。名前姉はずっと竜持を特別扱いしてたもんな」
「竜持くんを?そんなことないよ」
「俺も虎太も、小さいころはすこし寂しかったんだぜ?まあ竜持を特別扱いするからこそ、俺たちを三つ子としてじゃなくて、それぞれ個人として見てたっつー証になるんだけどな」



スポーツドリンクを飲み干して凰壮が笑う。子供にするように頭に手を置かれ、ぽんぽんと二度上下に動く。それから思い出したようにスカートが似合ってるなんて言うものだから、思わず吹き出した。


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -