「パスポートは持ちましたか?」
「うん」
「着替えは入れましたね?財布は二個ですよ、この間買った財布には少しだけお金を入れてポケットに」
「うん」
「お金はありますか?」
「うん」
「じゃあ大丈夫です。何か忘れ物しても、現地で買えばいいだけですから」
「うん」
「何で僕たちより緊張してるんですか」
「だ、だって……」



海外に行くなんて初めての経験なのだ。三つ子と一緒に空港まで送ってくれるという言葉に甘えて、早朝におじさんの家に来たのはいいものの、どうしても緊張してしまう。
何度も荷物や時計のチェックをしてはそわそわと落ち着かない私の手を、竜持くんがこっそりと握ってくれる。あと数分で出発だ。



「大丈夫ですよ。飛行機では隣に座りますから」
「虎太と凰壮と一緒に座らなくていいの?」
「はい。名前さんは何も心配せずにいればいいんです。そんなに緊張していると時差ボケで楽しめなくなりますよ?」



降矢のおじさんが出発するという声をかけてくれる。それに頷いて竜持くんの手を一度だけ握り返して、名残惜しく感じながらもゆっくりと離した。
飛行機は墜落しないことを祈るしかない。桃山プレデターのみんなが勝つのも、私は祈ることしか出来ない。ならせめて、前向きに祈ろう。きっとみんなは銀河一になるんだから。



「さあ、行きましょう。名前さんは笑っているほうがいいですよ。僕、名前さんの笑った顔が好きなんです」
「私も、竜持くんの笑った顔が好きだよ」



凰壮が呆れたような視線を投げかけてくるのに笑って、キャリーケースを持つ。凰壮も虎太も好きだよと声をかけると、一人は真顔で、一人はわかっているというように頷いてくれた。



・・・



スペインの観光地を背景に、目の前には差し出された手、ラブラブなコーチと杏子さん、はしゃぐ子供たち。観光するには一日ではたりないだろうけど、私たちは観光をしにスペインまで来たんじゃないから一日でちょうどいいと思う。私も観光をしたかったからこの提案に問題はない。じゃあ何が問題かというと、差し出されたこの手だ。



「竜持くん、みんないるから、ね?」
「誰も気にしていませんよ。それに明日からはカメラがつきますし」
「私が気にしてるっていうか」
「……嫌なんですか?」



傷ついた表情でこちらを見てくる竜持くんに、良心が大ダメージを受ける。竜持くんと手をつなぎたくないわけではない。一緒に並んで歩きたくないわけでもない。ただ、みんながいる前でそういうことをするのに抵抗があるだけだ。



「名前さん、また僕たちがスペインに来たとしても、それは今の僕たちじゃありません」
「……うん」
「僕はただ、名前さんと思い出を作りたいだけです」
「うん。──ごめんね」
「気にしてませんよ。僕たちに抱きついてきた人の台詞とは思えませんけど」
「そ、それは……」
「僕たちが何をしても、仲のいい姉弟としか思われませんよ。……やっぱり、嫌ですか?」
「──ううん」



嫌じゃないの、恥ずかしかっただけ。きっと竜持くんもそれをわかっているから、こんなに優しい目をしているんだ。
差し出された手をそっと握って、並んで歩き始める。いつか二人でまたスペインに来れるかもしれないけど、それは今の私たちじゃない。姉弟以上恋人未満の甘酸っぱい関係は、今でしか味わえないものだ。



「ねえ竜持くん、いっぱい写真撮ろうね」
「勿論です」



離れないようにみんなの後ろをついて歩いていく途中、そっと竜持くんの横顔を見上げる。再会してから身長は伸びて筋肉もついてきたけど、しなやかさは失われていない。髪は相変わらず子供特有のさらさらとした軽やかさがあって、心から笑うことが増えたように見える。



「何ですか、そんなにじっと見て」
「竜持くん、変わったなって。成長したっていうか」
「すぐに名前さんに追いつきますよ。だから待っててくださいね」
「私が追いつくから、竜持くんが待っていてくれたらいいの」



はしゃいで前を歩いているみんなを見て、竜持くんの手を引く。突然立ち止まった私に引っ張られ、不思議そうに止まる竜持くんを引き寄せる。背伸びしてぎゅうっと目をつぶって、やわらかな頬に唇を押し当てた。
珍しくぽかんとした顔で驚く竜持くんと、熱くなる頬を冷ましながら向かい合う。竜持くんの頬もじわじわと赤くなっていくのを、照れながら見上げた。



「今しか、出来ないから」
「……まだ恋人じゃないんじゃなかったですか?」
「そうだけど……ごめんねっていう意味を込めて。お詫びになってるかわからないけど」
「なっていますよ」
「ごめんね、ありがとう。私もいまの竜持くんとたくさん思い出を作りたいから」
「じゃあ、僕からも」



頬に、いつの間にか大きくなった手が伸びる。くすぐるように指先が頬をなで、そのまま髪を梳いて、頬に竜持くんの唇が当たった。掠めるような、触れたかさえわからないほど僅かな皮膚の触れ合いに、驚いて竜持くんを見上げる。



「思い出ふたつ目、ですね」
「……竜持くんからするなんて、ずるい」
「名前さんにばかり先手を取られていてはいけませんから」



行きましょう、と手を引かれて前を見ると、虎太と凰壮が見失いそうなほど遠くにいるのが見えた。慌てて走り出す私の手をひいて、竜持くんが先導するように前を走る。
このまま愛の逃避行もいいですね、と冗談を言う声が聞こえてきたのに笑う。竜持くんと二人でなら、それも楽しそうだ。


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -