「惨敗でした。僕たち、負けたんです」
「うん」
「名前さんに偉そうなことを言っておいて」
「……うん」
「──名前さんが来なくて、本当によかった」
あんな無様な姿を、大敗した試合を見せずにすんだ。つぐんだ口からこぼれた思いに、唇を噛み締める。いてくれればよかった、じゃない。いなくてよかった。無力な私が何もできないのを、竜持くんはわかっているのだろう。
「念のため言っておきますが、名前さんは勘違いしていますよ。男には、面倒くさい意地もプライドもあるんです」
自らを男と言う、悔しさと悲しさに背筋を伸ばして立ち向かう一人の人間。ここにいるのは、戦う一人の雄だった。
そう感じると、途端にふれあっている手がじんわりと熱を持って存在を主張しはじめた。私がいま握っているのは、小学生だと安心していた人の手ではない。男の人の手だ。
「名前さんに、お願いがあるんです」
「な、に?」
「少しでいいんです。一緒に寝てくれませんか?」
「えっ!?」
「いくら悔しくても睡眠は必要です。体調管理ができていないと練習の質が落ちますし、いざという時にリベンジできません」
確かに竜持くんは、兄と弟と比べて立ち直っているように見えた。まっすぐな目には闘志が宿り、悔しさを燃やしている。
──よかった。すこしは元気が出たみたいだ。安心して頷いてから、自分のしたことに気付く。頷いて、しまった。
竜持くんは嬉しそうに笑い、ベッドまで私を誘導した。握っている手が熱くて火傷しそうだ。
「狭いですけど、すこしの間なので勘弁してください」
「う、うん」
いまさら嫌とも言えないし、断って竜持くんを傷付けたくなんかない。ぎこちなく動く手足でなんとかベッドにもぐりこんで、出来るだけ端による。竜持くんは電気を消してベッドに入り、枕を押しやってきた。
「僕のわがままを聞いてもらっているんですから、枕は名前さんが使ってください」
「あ、うん、なんで電気、消したの?」
「節電です」
「そ、っか」
窓から街頭の光が入ってきて、いつもより近くにある竜持くんの顔を照らし出す。思わず距離を取ろうとするが、素早く手が伸びてきて阻止された。落ちますよ、という言葉に、出来るだけ端っこに寄ったことを思い出す。おかしそうに笑う竜持くんが綺麗に見えて、顔に熱が集まった。
「試合に負けた時は悔しくて仕方がなかったし、帰ってからは拗ねたり悲しかったり、僕も忙しかったんです」
「来るのが最後になってごめんね」
「いいんです。名前さんをいつまでも引き止めておけるんですから」
くすりと小学生らしからぬ顔で笑って、竜持くんは私の手に自分の手を当ててきた。もう片方の手は私が落ちないように支えてくれていて、嬉しいけど恥ずかしい。
シングルサイズのベッドは二人では狭すぎて、体のいたるところがふれあっている。竜持くんの呼吸が耳をくすぐって、どくんどくんと心臓が耳の横に移動してきたみたいだ。竜持くんの要求通りに手を握ると、安心したようなため息が聞こえた。
「すこしだけ、こうしてもらっていても構いませんか?」
「うん。寝れる?」
「わかりませんが、一人でいるよりはずっと早く眠れると思います」
ぱちりと竜持くんと目が合う。頭は同じラインにあるのに、足の指先は遠い。足がふれて恥ずかしくて、動きたいのに動けない。綺麗な赤い瞳が緊張しきった私を見つめて、ゆるゆると閉じられた。きっと今のは、私を思っての行動だ。竜持くんを見習って私も目を閉じてしまおう。そうすればうるさい心臓も、すこしは静かになるかもしれないから。
・・・
「……え?」
目を開けて真っ先に飛び込んできたのは竜持くんの服だった。上を見ると、ぐっすりと眠っている竜持くんの顔。抱き寄せられたまま、手は握られたまま。時刻は朝の6時。どうやらあのまま寝てしまったらしいと理解した瞬間、顔が一気に熱くなった。ま、まさか、もしかしなくても、私は竜持くんと一緒に眠ってしまったのか。
人が起きたことによる何かを感じ取ったのだろう。竜持くんの目がゆっくりと開かれ、一瞬のちに見開かれた。私を瞳に映したまま状況を把握し、時計を見て時刻を確認する。私とすることがまったく一緒で、ふっと体の力が抜けた。
「おはよう、竜持くん」
「──おはよう、ございます。驚いた、あのまま寝てしまったんですね」
「うん。ごめんね、私も寝ちゃったみたいで」
「いえ、僕はいいんですが──親に連絡は?」
「今日は夜勤だから、まだ帰ってないよ」
「いま帰ればセーフということですね」
「そういうこと」
「送ります。ここから20分ほどでしたね」
「一人で帰れるよ」
「朝帰りさせた責任はちゃんと取りますよ」
起きられますか、と差し出された手に手を重ねる。ベッドの中でつないでいる手が離れてしまった代わりに、今まで一人ぼっちだった手がぬくもりを得た。
おじさんとおばさんもあれから帰ってきたし虎太と凰壮も起き出すぎりぎりの時間だというので、忍び足で玄関まで行ってそっと抜け出す。外に出て顔を見合わせてくすくす笑う私たちを、朝靄が隠してくれた。
「これなら誰かに見られにくくなりますね」
「うん。もう夏なのに、朝は肌寒いや」
「朝に冷え込むことが、朝靄が発生する条件のひとつですから」
着ていたジャージを脱いで私にかけてくれた竜持くんは、まだ繋いだままだった手を引いた。初めて会ったときはあんなに小さくて泣き虫だったのに、いま着ている服はこんなに大きい。ぬくもりも香りも、まるで竜持くんそのものだ。赤くなった頬を隠そうとジャージに顔をうずめてみたけど、まったくの逆効果だった。