「名前さん、ちょっといいですか?」
「どうしたの?」
「すこし散歩でもしようかと。ご一緒にどうですか?」
「じゃあ私も休憩しよっかな」



勉強に挑んでいたせいで固まっていた体を伸ばすと、ぽきぽきと音がした。都大会まで三日間練習が休みになったのに、虎太と竜持くんは相変わらずサッカーの練習をしていた。竜持くんがこれだけ真っ直ぐにサッカーに向き合っているのは、久々に見た気がする。

涼しい家から一歩外に出ると、むわっとした夏特有の暑さが体にまとわりついた。今はまだいいけど、数分もすれば汗をかいてしまうだろう。まあいい、それも夏にしか味わえない醍醐味だ。



「すみません、三日もお世話になってしまうなんて」
「いいって、お母さんも電気代浮くって言ってたし」
「相変わらずですねえ」



くすくすと笑う竜持くんにつられて、男らしい母親としっかりしている降矢のおばさんを思い浮かべる。私と三つ子が一緒にいることは、家に小学生だけを残さないという意味でも、私がいると三つ子があまり悪さをしないという意味でも都合がいいらしい。しかしそれでは私に悪いというのは、降矢のおばさんの言い分だ。
私の知らないところで親同士が話し合い、三つ子の面倒を見ることがアルバイト扱いになってしまった。時給700円、働いた時間は三つ子による申請。こうして家にお邪魔して勉強する程度のことで時給は発生しないのが、せめてもの救いだ。私は三人の面倒を見ることがお金になればいいなんて思ったことは、一度もないのに。



「そう怒らないでください。名前さんを堂々と家に呼べて嬉しいんですから」
「そんなことしなくても、いくらでも行くもの」
「いちおう受験生ですからね。気を遣うんです」
「受験するのは来年だよ」
「直前になって勉強不足に気づいても遅いんですよ。名前さんはただでさえのんびりしているのに」



竜持くんの言うことはたいてい正しいから、これもいつか正しいことになってしまうのかもしれない。暑いのにぶるりと震える私を見て竜持くんは、ほら、という顔で笑った。
暑いなか目的地もないままぶらぶらと歩いて、小さな公園のなかに入る。ベンチに木陰がさしていて、ちょうどいい休憩場所になりそうだ。付き合ってくれたお礼ですと、竜持くんが自販機でお茶を買って手渡してくれる。こんなことをするなんて、どこで覚えたんだろう。私の視線を笑顔でかわして、竜持くんは遠くを見つめるような目をした。



「……いつか、ほかの人の口から聞かされる前に、僕から話しておきます」
「うん」
「気付いていたかもしれませんが、試合でオウンゴールを狙うことがあるんです。同じ一点でもそちらのほうが効果がありますし、相手の士気は下がります。普通に試合をしても面白くありませんしね」
「うん」
「子供らしくないと、そもそもこんな事をするべきではないと、随分言われました」
「うん」
「でも花島コーチは、それでいいって言ってくれたんです」
「そっか、よかったね」



竜持くんが珍しく驚いた顔で私を見た。それだけ?と、いつもより丸い瞳が訴えている。確かに子供らしくはないけど、こうして随所に散りばめられている可愛らしさを、人はどうしてすぐ見逃してしまうんだろう。30センチほどの距離の向こう側にある、さらさらとした髪をなでる。



「わかってたよ。だって竜持くんのやることなんだし」
「知ってたんですか?」
「なんとなく。竜持くんがオウンゴールさせたなら、きっとそれを狙ったんだろうなって。だって竜持くん、無駄なことが嫌いじゃない」
「そうですけど。──何も、思わなかったんですか?」
「え?そうだな……確かに子供らしくはないけど、竜持くんらしくはあるなって」



子供は、花に似ている。毎日話しかけて水をあげて土にも気をつけて、それでも原因がわからず枯れていったり、手間をかけていないのに元気に育ったり。特にこの竜持という子供の扱いは難しくて、どんなに手間ひまをかけてもそれが嫌だとそっぽを向いたり、ならば少し距離を置こうとすれば離れていってしまう。
あのコーチは本物だ。だからこんな短期間で、竜持くんの固いガードのなかへ潜り込んでしまえたのだ。こんな、安心するような笑みを浮かべるほどに。



「よかった。名前さんにどう思われるか、すこし心配だったんです」
「竜持くんを嫌うことなんて、絶対ないよ」
「──絶対、ですか」



竜持くんは瞳のなかに何かを映して、すこし目を瞑ってくださいと言った。大人しく目を閉じて待っていると、まるでエスコートするように手が優しく持ち上げられた。指先に何かふれて、砕け散りそうなガラスを扱うようにそっと戻される。
何をしたのか聞こうとした狭間に首筋にペットボトルが当てられ、驚いて目を開ける。いたずらが成功したと笑う竜持くんの顔は、晴れ晴れとしていた。


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