それは砂糖のように甘い | ナノ


それは砂糖のように甘い


「あっ」
商店街を通り抜けて自宅へ戻ろうとしていた遊馬は、恋人の姿を見つけて足を止めた。相手も気付いて、ちょっと驚いた表情になった。
「遊馬」
「カイト!偶然だな。買い物?」
「ああ。ハルトがケーキを食べたいと言ったからな」
彼の右手にはケーキの箱があった。カットケーキが2、3個入るくらいの大きさだ。きっと、目に入れても痛くない弟と自分の分を購入したのだろう。
約束もなく偶然会えるなんて嬉しかった。何となく別れがたくて、用事もないのに並んで歩き出す。何度か足を運んだことのある天城家へ向かいながら、ふと遊馬は視線を下におろした。
(手、繋ぎたいな……)
学校の先輩であるカイトと付き合い始めたものの、まだ恋人らしいことはしたことがなかった。男同士というのもある。応援してくれているハルトに見送られてデートらしい外出はしたこともあるが、隣を歩いて、同じものを見て話し、柔らな微笑を向けられるだけで満足した。でもせっかく付き合っているんだし、手を繋いでみたいと思う欲求はある。
幸い、左側を歩いているカイトの右手は空いていた。ちょっと迷ったが、これもいい機会だろう。商店街を出て大通りに出たところで、遊馬は思いきって左手をカイトへ伸ばした。
「カイト!」
「ん?」
「そ、その、手……!」
「手?」
遊馬の手の平と自分の両手を見やったカイトは、左手に提げていたケーキの箱を差し出した。
「持ってくれるのか?」
「え」
「……違ったか」
「いや、持ってもいいけど、そうじゃなくて……」
「なら食べたいのか。まったく、お前は食い意地が張っているな」
カイトがおかしそうに笑うものだから、遊馬は苦い笑みを浮かべて手を下ろした。
(駄目だ。通じてねえ……)
先輩後輩として過ごしてきた期間が長かったせいか、カイトは今でも遊馬を恋人と言うより弟か友達扱いしている節がある。遊馬相手に色めいたことなんて思いつきもしないのだろう。
(でも、諦めたらそれで終わりだよな。カイトが恋人気分になれないなら、させるまでだ!)
心の中で拳を握る。遊馬は決意をもって足を止めた。カイトも半歩進んだところで振り返る。
「遊馬?どうした」
道中で歩みをとめた二人を、すれ違う人々が邪魔そうに見ていた。商店街から出た大通りは駅に繋がっており、かなりの人通りがある。歩いていても他の人の鞄が腕に当たるくらいだから、突っ立っていたら通行の妨げになる。
けれど遊馬の視界には、その他大勢の人々なんて入っていなかった。カイトと手を繋ぐ。そのミッションに集中している。
「カイト。俺は……!」
行動で分からないなら直接口に伝えるまでだ。再挑戦を試みた遊馬だが、案の定と言うべきか、前方不注意な通行人に背中からぶつけられて、大きく上体が傾いだ。
「遊馬!」
カイトがとっさに肩を押さえて転倒するのを阻止した。近い距離にドキリと鼓動が跳ねる。
そ知らぬ顔ですれ違おうとした通行人を、カイトは鋭い眼光で睨みつけた。
「おい。貴様、ぶつかっておいて謝罪もなしとは――」
「カイト、いいって!突っ立ってる俺たちも悪い……ッてェエ!」
続けて他の通行人の傘が向こう脛に当たり、遊馬は思わず叫んだ。鋭い激痛に脚を押さえてしゃがみこむ。
大通りは結構な人ごみだ。蹲った遊馬は徒歩の視点から消える。遊馬の存在に気付かず、歩行者の足が彼の背中にぶつかって、それも痛かった。だが、それ以上に脛が痛い。
「遊馬、立てるか?端に寄ろう」
カイトが手を差し出してくれて、遊馬は涙の滲んだ視界でそれを取った。痛む脛は押さえたまま、道の端までケンケンしながら移動する。ショーウィンドウの前までたどり着いくと、大きく息を吐いた。脛はズキズキと疼痛を訴えているが、時間の経過と共に治まっていく。
「はは……もう大丈夫だぜ。カイ……」
顔を上げた遊馬は、目の前のガラスケースに移った自分たちの姿に気付き、目を丸くした。
(手、握ってる……!)
痛みに蹲る遊馬に差し出された手が、離れることなく握られていた。驚いて振りほどきかけたが、もったいなくて出来なかった。どうしようかと内心パニックになっていると、カイトはごく自然に手を引いて歩き出した。
「痛みが引いたなら行くぞ。ハルトが待っている」
「あ、ああ……」
つられて足を進めながらも、遊馬の意識は握られた手に集まっていた。想像していたのとは違うけれど、思いがけない形で叶った願望に舞い上がった。喜びから顔がだらしなく崩れる。
「なにをヘラヘラ笑っているんだ。頭のネジでも飛んだか?」
「うん……そうかもな。嬉しすぎて痛みも一緒に吹き飛んだぜ!」
「気楽なことだな。そんなにケーキが食べたいのか」
やや呆れ気味にカイトは肩をすくめる。遊馬が有頂天になっている本当の原因にまるで気付かない彼は、おそらく特別な意味をもって手を引いているのではないのだろう。ハルトにしているのと同じ感覚なのかもしれない。となると、恋人としてではなく弟と同じ扱いを受けていることになるのだが、それでも遊馬は嬉しかった。上機嫌で歩んでいると、人の多い大通りを抜け、住宅街に入る。3つの角を曲がったところにある一軒家がカイトとハルトの住居だ。鍵を取り出すために離れた温もりを名残惜しく思いながら、遊馬は「それじゃあまた明日」と暇を告げた。何となくついて来たけれど、本当にお邪魔するつもりはない。ケーキだってハルトとカイトの分しかないだろう。
だがカイトは、驚いた様子で引き止めてきた。
「ここまで来たんだ。寄って行け」
「だって、ケーキ食うんだろ?邪魔するのはちょっと……」
「食べたかったんじゃなかったのか?さっき手を出していたじゃないか」
「……あのなあ……」
遊馬は食い意地が張っているが、他の人のものを横取りして食べようと思うほど意地汚くない。鈍い恋人に、とうとう遊馬は口を切った。
「あれはケーキがほしかったんじゃなくて、手を繋ぎたかったんだよ。全然気付いてもらえなかったけど」
「なに……?」
カイトの双眸が見開かれた。驚いている様子から、思っていた通り手を繋ぐ行為に特別は意味は含まれていなかったのが分かった。手の温もりに包まれているだけで満たされていた遊馬だが、それもちょっと悲しかった。
「なんか、俺ばっか好きみたい……」
ぽろりと口から言葉が零れた。カイトの眉がぴくりと動く。
遊馬も自分の発言に驚いた。思わず口元を覆う。
そんな風に思ったことはなかった。けれど、もしかしたら、心の奥深くでそう思う部分があったのかもしれない。先に好きになったのも、告白したのも遊馬からだった。たまにはカイトから想いを向けてほしいと望む心があってもおかしくない。
遊馬の発言を聞いてカイトは難しい表情になった。しばし迷う間を置いて、彼は口を開いた。
「……俺が、何も望んでいないと思っているのか」
「え……?」
「お前に触れて、何も動じずにいられると思っているのか。馬鹿だな」
「馬鹿って……!だってそうだろ。手を繋いでも、ハルトと同じ扱いだったじゃんか!」
「同じなわけがあるか」
強引に手を掴まれ、引き寄せられた。真剣な色を灯したカイトの双眸が近くなって、ドキンと心臓が跳ねる。
「お前が手を繋ぎたがっていることには気付かなかった。それは詫びよう。だが、お前だって気付かなかったじゃないか。……これでも緊張していたんだぞ。手を握るのに……」
続けて告げられた内容に、今度は遊馬が驚く番だった。平静に見えた顔の下で、カイトもどきまぎする心を抱えていたらしい。
「好きな奴と手を繋いで、意識しないわけがないだろう」
付け加えられた本音を聞いて、遊馬は瞬く間に想いが高揚した。一方通行なんかじゃない。互いに気付かなかっただけで、望んだものはそこにあったのだと気付いた。
掴まれた手に、自分の手を重ね合わせてみた。カイトの反応を窺いながら指先を、彼の指と指の間に埋める。ピクリと驚いたカイトの指は、慎重な動きで遊馬に応えた。指と指が絡み合って、俗に言う「恋人つなぎ」の状態になる。手の甲に触れる指先の感触がこそばゆかったけれど、その感覚も愛しさに変換された。カイトと目が合う。気恥ずかしい中にも甘い幸せを感じているのが伝わってきた。二人は照れ笑いをこぼす。
「兄さーん!遊馬もー!いつまでそこにいるのー?」
二階のベランダから声が降ってきた。見上げると、ハルトがベランダの柵に凭れてこちらを見ていた。
「ケーキ買ってきてくれたんでしょ?早く三人で食べようよ!」
無邪気に笑うハルトに、遊馬とカイトは互いの顔を見て、破顔した。
「ああ!今行くぜー!」
「ハルト、先にお皿を出して待っていてくれ」
「わかったー。兄さん、遊馬を一人占めしないで、早く来てね」
からかうように言って、ハルトがベランダから室内に戻っていった。カイトが苦笑しながら玄関を指さす。
「そういうわけだ。上がっていけ」
「でもケーキ足りないんじゃ……」
「見てみろ」
手を離したカイトが、左手に提げていたケーキの箱を開ける。中にあったのはイチゴのショートとチーズケーキ、そしてザッハトルテ。3種類のおいしそうなケーキが並んでいた。
「俺達は最初から遊馬を誘うつもりでいたんだ。商店街で会えたのは運がよかった。だから遠慮する必要はないぞ。そもそもお前に遠慮など似合わんからな」
口角を上げて投げられた言葉に、遊馬は相好を崩した。
「へへっ……じゃあ遠慮なくもらうぜ。ケーキも、こっちもな!」
掌を掴んでカイトを見上げる。少しずつでも前に進みたい思いが一緒なら、遠慮なんてしない。やってみたいことにどんどんチャレンジするつもりだ。
カイトは柔らかな表情をして、「好きにしろ」と微笑んだ。その言葉でカイトも望んでいるのだと分かるから、遊馬はますます嬉しくなった。



青春切符、秋海さんの誕生日に捧げた小説です
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