唇の中でうごめく | ナノ


唇の中でうごめく


このところ、遊馬は放課後に日課ができた。ホームルームの終わりを告げるチャイムと同時に鞄を掴み、すれ違うクラスメイトに「また明日!」と声をかけて駆け出していく。目的地は1階下の教室だ。緑色の制服を着た2年生ばかりが行き交うフロアを走り抜け、目当ての部屋の前で足を止めた。
「シャーク!いるかー?」
教室中の視線が遊馬のほうに向く。そして室内にいる凌牙にも、遠慮がちに眼差しが集まった。ただでさえ悪名高い彼は、注目されるのを煩わしく思っているようで、眉根を寄せると溜息を吐きながら席を立った。
「また来たのかよ……」
「もちろん!勝つまで諦めないぜ!」
美術館でのタッグ以降、再び登校を始めた凌牙に、遊馬はデュエルを申し込み続けていた。
デュエルをすれば相手がどんな人間か分かる。学校一の札付きという呼称に似合わない正道なデュエルを見せた凌牙に、遊馬は好感と仲間意識を覚えたが、素人に負けた凌牙はきっと複雑な思いでいただろう。上手く噛み合わなかった心が、あのタッグデュエルを通して確かに重なり合ったのを遊馬は感じた。
それがとても嬉しかった。もっとデュエルをすれば、より近付くことができるのではないかと思った。
毎日のように教室を訪ねては凌牙にデュエルを挑む。今日も空き教室でARビジョンを用いたデュエルを行い、そして派手に敗北を喫した。
「うぅ……やっぱシャークって強いぜ……」
吹っ飛ばされた体勢から身を起こす。床にあぐらをかいて座り込む遊馬を見て、凌牙はDゲイザーを外しながら不敵な笑みを浮かべた。
「これでお前の連敗記録はまた更新だな。遊馬、こんな負け続きで楽しいか?」
「そりゃあ悔しいけどさ。楽しいぜ。デュエルの面白さは勝敗だけじゃないだろ」
「……お前らしいな」
眩しいものを見るように凌牙の目が細められた。デッキをカードケースに戻しつつ、彼は背を向ける。
「だが、お前はデュエルチャンピオンを目指してるんだろ。俺にばっか構ってねえで、もっといろんなやつとデュエルしたほうがいいぜ」
去ろうとする背中に、胸がざわめいた。
「え……ま、待てよシャーク!もうデュエルしてくんねえの?」
「そうは言わねえが、ここんところ毎日じゃねえか。あの幼馴染みやクラスのやつらに愛想尽かされるぜ?付き合い悪いってな」
「みんな、そんなこと言うやつじゃないよ。それに……」
躊躇う間を置いて、遊馬は強い眼差しを向けた。
「お……俺はシャークが好きだ!だからデュエルしたくなるし、もっと仲良くなりたいんだよ!」
凌牙は足を止めると振り返った。突然の発言に驚き、切れ長の目を大きく見開いている。
(げっ。ばれた……?)
遊馬は焦った。友情ではなく、恋愛感情で好きだと言ったのが伝わってしまったのだろうか。
遊馬が凌牙に抱いている想いは、明らかに友情の枠に収まるものでなかった。本来、同性に向けるにはふさわしくない感情だ。遊馬だって自覚してから受け入れるまで、だいぶ葛藤した。おいそれと口にしていい気持ちでないことはわかっている。思ったままに行動する遊馬にも、それくらいの分別はあった。
(ただ好きだって言うだけならセーフだと思ったけど……)
おおっぴらに好意を丸出しにしても、男相手ならそう取られないだろう。思い切って口に出した本音だったが、聡い凌牙は秘めた感情まで敏感に察知したのかもしれない。
(気持ち悪いとか思われたらどうしよう……!)
今のところ遊馬は、学校内で凌牙の一番の理解者という位置にある。この淡い恋の行く末は分からないが、このポジションを失いたくなかった。デュエルを通して縮まっていく距離が嬉しくて、つい想いをこぼしそうになる時もあったが、肝心な部分は言葉に乗せる前に、なんとか喉の奥へ呑みこんでいた。
気持ちを悟られた可能性に、緊張して心拍数が上がる。固唾を呑んで相手の反応を窺った。
凌牙は見開かれた双眸を何度か瞬かせた後、肩をすくめた。
「ったく……恥ずかしいやつだな。好きだとか、簡単に口にするなよ」
そのいらえに、遊馬は体中の力が抜ける思いがした。凌牙は突然の発言に驚いただけで、それが恋心からくるものだとは気付いてないようだ。呆れた声音だったが、眼差しは柔らかかった。好意を不快に思う色も、軽蔑する感情も見えない。口元には小さく微笑も浮かんでいる。遊馬の胸に、泣きたくなるような安堵が広がった。
「あ、ははは……だってシャークがつれないこと言うからさ。俺たち仲間なのに」
「仲間、ね……それがお前の本心か?」
「へ?」
去ろうとしていた凌牙が踵を返し、戻ってきた。膝をついてしゃがみこむと、あぐらをかく遊馬の顔面を覗き込んでくる。近すぎる距離に、鼓動が大きく跳ねた。
「お前はもっと欲張りだと思ってたんだがな。かっとビングだったか。望むものは諦めず、全部手に入れようとするやつだと思ってた」
「シャーク……?」
「俺に言いたいことあるんじゃねえのか?」
薄い唇が弧を描く。遊馬はびくりと肩を震わせた。
(え……やっぱりバレてる?)
ひやりとしたものが背中を撫ぜた。脱力した体に緊張が戻ってくる。
相手の内心を測りかねて注視していると、焦れたように眉を寄せた凌牙に顎を掴まれた。
「言わねえなら引きずりだしてやろうか」
「なにを……ぅんッ!?」
続く言葉は塞がれた。一瞬、何が起こったのか分からなかった。視界が海を思わせる双眸の青から、肌色に変わる。唇に押し当てられた柔らかな感触の正体に思い至り、脳内はパニックに陥った。
(なっ、なななっ……!)
――キス、されてる。
男同士ですることじゃない。外国人なら親愛のキスとかあるのかもしれないが、ここは日本で、遊馬達は日本人だ。というか、明らかに親愛の域を超えている。
重なった唇が角度を変えて覆いかぶさってきた。顎を掴む力が強くなり、薄く開いた隙間に舌が滑り込んでくる。唇の中で舌が触れ合い、ぞくりと刺激が背筋に走った。
(ウソだろぉおお!?)
どうしてこんなことをされるのか分からなかった。遊馬は凌牙を好きだけれど、凌牙はそうでないはずだ。彼から色恋の気配なんて感じたことがない。遊馬だけを特別扱いしている節はあるものの、それは他の人間が凌牙に関わろうとしないから目立つだけだ。
凌牙は根本的には優しい人間なのだろう。声をかけると面倒くさそうにしながらも付き合ってくれる。意外と世話焼きな一面を知っているから、優しくされたって勘違いしないよう言い聞かせていた。
けれど、ならこれは、どういうことなのだろう。
思いも寄らない事態に怯み、奥へと逃げようとするが、凌牙は許してくれなかった。縮みこむ遊馬の舌先を捕らえて、引っ張り出そうとする。
何度もくり返される動きに、やがて遊馬の心も動かされた。
(……言って、いいのかな……)
凌牙が恋愛の意味で好きだと、告げていいのだろうか。何度も喉元に込み上げてきては押しとどめ、唇の中でうごめくだけだった恋心だ。外に出すことを自ら制していたが、もう、いいのかもしれない。遊馬の気持ちなんてすっかりバレていたようだ。こんなことをされている以上、凌牙もさらけ出すことを望んでいるのかもしれない。
「んっ……」
そろそろと舌を伸ばして、凌牙のものに触れてみた。ピクリと動きを止めた舌が、激しさを増して絡み付いてくる。
呼吸が苦しくなったけれど、遊馬は懸命に応えた。唇の中で呑み込んできた想いを舌先に乗せて、凌牙のほうへ押しやる。絡む熱に思考が蕩けそうだった。
口付けが終わる頃には、双方息が上がっていて、頬もうっすら染まっていた。
「い……いきなりなんなんだよ……」
「お前が、ちゃんと言わねえからだろうが……」
濡れた口元を手の甲でぬぐって、凌牙は続けた。
「お前は負け試合でも楽しめるみたいだがな……俺はやっぱり勝ちてえんだよ。負けるのは嫌だし、中途半端なのも我慢ならねえ。……さっきみたいなのもな。言わねえんなら、言わせくなる」
決闘時のような、強い意志を宿した瞳がこちらを向いた。
「それで、俺に言うことはねえのか?」
「っ……」
勝ち誇った顔で言われて、言葉に詰まった。遊馬だって負けて悔しくないわけじゃない。自分からサレンダーなんてもってのほかだ。けれど、こうでもされなければ、きっと胸のうちを吐露できなかっただろう。
「……あーっ、もう!」
恋愛において、惚れたほうが負けだという。ならば凌牙を好きになった時点で、もう遊馬は負けていたのだ。
「いいか?一度しか言わないからなっ!?俺は、その、シャ、シャークのことが――」
唇の中でうごめいていた想いを外へ押し出す。
嬉しそうに破顔した凌牙の表情に、互いの想いが重なるのを感じて、温かな幸福感が広がった。



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