道端で会いましょう | ナノ


道端で会いましょう


※凌牙君→高一、遊馬→中三
※ふたりはご近所さん





(眠い……)
凌牙はこみ上げてきた欠伸を口の中でかみ殺した。
昨夜遅くまでクラスメイトからの電話に付き合わされたため、完全に寝不足だった。低血圧で朝に弱い凌牙は、朝から憂鬱な気分を抱えながらも、いつも通りの時間に家を出た。高校に向かうバス停の場所まで徒歩で十数分の距離だ。一本逃がすと次のバスまでかなり待たなくてはならないので、寝坊しようが必ずこの時間に出ざるを得ない。
住宅街を心持ち重い足取りで歩いていた凌牙は、前方に見えた人影に気付いて視線を上げた。
(今日も会ったか……)
赤い前髪が印象的な少女だった。去年まで凌牙が通っていた中学の女子制服を着ている。
最初に彼女のことを気にとめたのは、もう3週間以上前のことだ。かつての母校は高校と正反対の方角にある。すれ違った少女の制服を見て、家の近くに後輩がいたのか、と思ったのが始まりだ。どうやら登校時間が被っているらしく、ほぼ毎日のように同じ道で入れ違いになる。
とは言っても、言葉を交わしたことはなかった。向こうからしてみれば、去年まで同じ校舎で学んでいた先輩だとは思わないだろうし、凌牙も後輩だからと言って特別何かするつもりはなかった。知り合いですらないのだ。
すれ違う時、少女からの視線を感じることがあるので、向こうも「いつもの人だ」くらいには思っているのかもしれない。だが、ご近所付き合いの希薄な昨今、毎日顔を見ているとはいえ通りすがりの人物ごときに声なんてかけない。そ知らぬ顔ですれ違うだけだ。
少女から目線を外し、いつものように無言で通り過ぎようとした。
「お、おはよう!」
その途端、横から声が飛んできて驚いた。例の少女が、口元に微笑を浮かべて凌牙を見上げている。
「ああ……おはよう」
急なことだったので無愛想な声になってしまったが、返事があっただけで満足したようだ。少女は嬉しそうに笑うと、軽い足取りで反対の方向へ駆けていった。
ただの通行人とはいえ、すっかり見慣れた相手を無視してすれ違うのが気まずかったのかもしれない。凌牙も気にしないようにしていたが、あまりに鉢合わせるので、道を変えようかと考えていたところだった。ただ一言挨拶されただけで、もやもやとした感情が晴れていくのを感じた。
以来ふたりは、すれ違いざまに挨拶をするようになった。知らない顔をして朝から気まずい思いをするより、ずっと良かった。
起床して、朝食をとり、制服に着替えて、バス停へ向かう。毎日くり返される日常に、少女とのささやかなやり取りが組み込また。
(お。来たな)
今日も前方から歩いてくる少女の姿を見つけて、口元を綻ばせた。向こうも気付いて笑顔を浮かべる。
「おはよう!」
「はよ」
いつ見ても彼女は朝から元気だ。血圧が上がらず、テンション低めな凌牙には、時折その笑顔が眩しくなる。
短く挨拶を交わしてすれ違――おうとした。ちらりと視界の隅に彼女の後姿が目に入り、凌牙は慌てて振り返った。
「ちょっと待て!」
「え?」
大きな目を見開いて少女が足を止めた。挨拶以外の言葉をかけたのは初めてだった。人懐こい顔をしている彼女も、さすがに驚いている。
しかし凌牙はそれどころでなく、持っていた鞄で彼女の体を隠すように近づいた。
「おい、後ろ……!」
「え?何かついてる?」
「じゃなくて!」
言葉で指摘するのも憚られ、凌牙は気まずくスカートを指差した。少女は視線を自分の腰に落とす。そうしてやっと、凌牙が言いたかったことに気付いて真っ赤になった。
「わっ、わわっ!」
慌ててスカートの裾を伸ばして押さえる。
傍目にも短いスカートが、彼女のショルダーバックに挟まって捲れ上がっていたのだ。
「み……見た?」
羞恥に染まった面で見上げられ、悪いと思いながらも曖昧に頷いた。
「そりゃ、見せられればな……」
「み、見せたんじゃないっ!」
「他に誰かとすれ違わなかったのか?」
「家、すぐそこだから……」
不幸中の幸いだった。凌牙はやれやれと胸をなで下ろす。突然のハプニングに朝から変な汗をかかされた。何だか疲れてしまい、凌牙は踵を返した。
「じゃーな。……いちご柄」
「!!!」
少女が鋭く息を呑んだ。一拍置いて、ぎゃんぎゃん騒ぐ声が後ろから聞こえてくる。
(本当に元気な奴だぜ)
凌牙はくつくつと肩を笑わせた。
翌日、やっぱり登校時間に鉢合わせることになった少女だが、凌牙を視界に入れるなり、口を引き結んで顔を背けた。
そんな反応を示されるとからかいたくなってしまう。おはようの一言もなくすれ違おうとした彼女に、凌牙のほうから声をかけた。
「よお、いちご」
「いちごじゃねえよッ!!」
間髪入れずに噛み付かれた。そ知らぬ顔から一転、親の仇でも見つけたような形相で睨みつけてくる。特徴的な前髪と同じ色に面を染めた少女に、とうとう凌牙は噴き出した。

そのことがきっかけで、少女とは挨拶以外の会話もするようになった。さほど時間的余裕のあるわけではない登校中だし、わざわざ立ち話をするような共通の話題があるわけでもないので、本当に何でもない話ばかりだ。
「あ。カバン変えた?」
「前のは古くなってな。お前はずっと変わらねえな」
「お気に入りなんだ。入学した時からずっとこれなんだぜ」
「スカート挟まれてたのにか?」
「もう忘れろよ!」
挨拶がてら軽口を叩いては、各々学校へ向かう。
朝の数分にも満たない時間を、凌牙はいつの間にか楽しみにするようになっていた。どうやら後輩の少女に一定以上の好意を抱いているらしい。そんな自分を自覚した時、驚きよりも、納得が胸へ降りてきた。最初に見かけた時から、割りと可愛いな、と思っていたのだ。意識に留めていたのも、母校の制服姿が理由の大半だったが、彼女自身を気にするところもあったのかもしれない。あんなに男勝りな少女だったのは意外だったが、それすらも新鮮さをもって凌牙の胸に焼きついた。
もっと相手のことを知りたいという欲求が芽生えたのは休日だった。今日は土曜で学校はない。よって例の少女とすれ違うこともない。せっかくの休みだというのに物足りなさを感じて、凌牙は溜息を吐いた。
「……コンビニでも行くか」
時刻は夕方を指している。朝も昼も食べていなかったので、さすがに空腹を覚えた。
ご近所だと思われるあの少女と会えるかもしれない、という期待もあったが、そう上手く世界は回っていない。ちょっと遠回りをして、いつもすれ違う道を通ってみたが、小学生の子供達が遊んでいただけだった。
肉まんをひとつとミネラルウォーターを購入した凌牙は、諦めて自宅への最短通路を取った。月曜日になればまた会えるだろう。そう思い直して前を向いた。
そこで、あの赤い前髪を見つけ、足が止まった。
「お前……」
「え?あ……朝の人!」
私服だから見過ごしそうになった。しかし特徴的な髪型を間違うわけがない。どこか買い物に行っていたのか、ブランドのロゴが入った紙袋を肩から提げていた。
「制服じゃないから誰かと思ったよ!」
「今日はスカートじゃねえんだな」
「制服ぐらいしか履かねえもん。俺、ほとんどこんなんだぜ?」
「なら、いちごを晒して歩くこともねえか」
「……いい加減それネタにすんのやめろって!」
ぶすっと頬を膨らませる少女に笑いがこみ上げる。
まさか本当に会えると思わなかったから心が弾んだ。
「あれ、何かいい匂いがする……。それって肉まん?」
少女がコンビニ袋の中を覗きこんできた。
「ああ。腹減ってんのか?」
「うん。今日はお昼におにぎり3つしか食べなかったからさあ」
「……そんだけ食えば充分だろ」
対するこちらは水しか口にしていない。細い見た目に反して、どうやら彼女は大食いらしかった。ほとんど真っ白な少女のプロフィールに、そのことを記憶する。
凌牙も腹の虫が鳴っていたので、近くの公園で肉まんを分け合って食べることにした。半分にして手渡すと、嬉しそうに齧り付く。
「ありがとな!後で半分お金払うよ。いくら?」
「いいぜ、こんくらい。気にすんな」
ブランコに座った少女の対面の柵に腰掛ける。あっという間に平らげた少女は、幸せそうにお腹を叩いた。飾らない笑顔を見ているだけで、不思議とこちらの心まで温かくなってくる。そんな魅力が彼女にはあった。
「何買ってきたんだ?」
膝の上に置かれた紙袋を見やると、少女はなぜか憂鬱げに眉を下げた。
「ああ。小鳥に……あ、小鳥っていうのは俺の幼馴染みな。そいつに彼氏ができてさ。デートに着ていく服を一緒に買いに行ったんだよ。そしたらアイツ、俺の分まで選び始めて……。しかもワンピースだぜ?着る当てなんかねえよ」
「ふうん……」
当てがない、ということはフリーか。少なくとも決まった相手はいないようだ。ちゃっかり喜んでいる自分に気付き、凌牙は苦笑した。ちょっと気になる程度の相手だと思っていたが、自覚している以上に彼女に入れ込んでいるのかもしれない。
「いいじゃねえか。着てみろよ」
「やだよ。スカート似合わないの分かってるし」
「そんなことねえだろ。似合ってるぜ、制服」
「え……」
目をまん丸にして、少女は凌牙を見つめた。
「に……似合う?俺が?」
「他に誰がいんだよ」
「そ、そうだよな……似合う……へへっ、嬉しい」
膝に乗せた紙袋を抱きしめ、はにかむように微笑んだ。
「俺、女らしくないだろ?そんなこと言ってくれた男の子って初めてだ」
「別に女らしくねえこともねえんじゃ……」
確かに男口調には驚いたが、そんなのは表面的なものだ。内面を見てみると、彼女は意外に女らしいと思う。
「少なくとも、パンツ見せて恥らうくらいには女捨ててねえだろ」
「ちょっ……!今、喜んでたのに!台無しだよっ」
肩を怒らせて睨んでくる姿を見るのは、結構面白かった。喜怒哀楽をはっきり面に出すから、見ていて飽きないし、弄りたくなる。
「ヘソ曲げんなよ。肉まんやったろ?」
「そんなんで釣ろうとしても騙されないからな!」
「じゃあ別のもん買ってやるよ。明日の日曜はどうだ?デートしようぜ」
「……え?」
そっぽを向いていた少女がきょとんとこちらを見やった。凌牙は紙袋を顎でしゃくってみせる。
「それ着てこいよ。せっかく買ったんだ。袖通すくらいしようぜ」
もっとこの少女のことを知りたかった。思い切って誘いをかけてみたが、彼女は丸く眼を見開いて、凌牙を凝視した。そんなに驚かれると凌牙だって恥ずかしいのだが、面には出さずに返事を待つ。
え、あの、と口を開きかけてはもごもご言って閉ざすということを何度かくり返した後、少女はやっと声を上げた。
「俺、いま告白されてるの……?」
改めて問われると、少し困った。告白までしているつもりはなかったが、デートに誘うということは、結局そういうことだ。好意は確かにあるのだから、そう受け取られても問題はない。
「お前の好きでいいぜ。告白だと思うんならデートになるし、そうじゃなけりゃただのお出かけになる。選んでくれ」
「ええ?そこから俺が選ぶのかよ!」
困惑の声を上げる彼女の言い分はもっともだったが、凌牙は本気でどちらでも良かった。彼女をより知ることが第一の要求事項であり、この関係につける名前が友達だろうと恋人だろうと大した事柄でなかった。
ブランコに座った少女は、靴の先で砂を弄くっている。どう答えたものかと考えあぐねているようだ。しばらくそうやって黙った後、頼りなげな面持ちで凌牙を見上げた。
「そんなこと言われても決めらんないよ……。だって俺、お前のこと、何も知らない」
「……だろうな」
ただ顔を知って挨拶を交わしているだけの関係だ。どんな人間かもほとんどわからない状態で、いいも悪いもないだろう。
「でもさ……俺も、お前とはもっと話してみたいって思ってたんだ」
「そうか」
「だから!」
挑むように少女は身を乗り出した。
「遊びに行くのはいいよ。でも、それが何なのかはお前が決めろ!デートって言うんなら告白だと思うし、お出かけなら友達って思う。選ぶんならお前が選べ!」
投げた球をそのまま返されて、凌牙は面食らった。
今度は凌牙が困る番だった。曖昧で穏やかな淡い好意は、名称付けられるところまで形作られているわけではない。むしろ、名前を付けたいからもっと近づきたいのだ。
頬を染めて凌牙の返事を待つ少女に視線を飛ばした凌牙は、もしかしたら彼女も同じなのかもしれないと思った。決して凌牙に悪い印象は持っていないのだろう。彼女もぼんやりとした好意に色づけをしたいのかもしれない。
「なら、こういうのはどうだ。明日、出かけた後に互いの希望を言い合う。それで決めようぜ」
「おう!望むところだ!」
男前な返事に苦笑した。やっぱり、面白い奴だと思う。
「待ち合わせはどうしよっか。駅前とか?」
「いつもの時間にいつもの場所でいいだろ。どうせ家は近所なんだろうし、わざわざ離れた場所で落ち合う必要もねえ」
「それもそうだな」
「ちゃんと今日買ったワンピース着て来いよ。……ああ、下はいちごでいいぜ」
からかい混じりに軽口を叩くと、少女はみるみる頬を膨らませた。
「このスケベっ!絶対履かないからなっ」
足元の砂を凌牙に向けて蹴り上げる。パラパラと細かな砂が飛んできて、凌牙は柵から腰を浮かせて避けた。
「おい、やめねえか」
「ふんだ!」
ひとしきり怒りを見せた後、勢いよくブランコから立ち上がった彼女は、そういえば、と口を開いた。
「今更だけど、名前なんていうの?」
「………あ」
まじまじと互いの顔を見つめ合う。言葉を交わすようになって数ヶ月は経つが、思い返しても名乗った記憶はなかった。ほとんど相手のプロフィールを知らないとは言え、一番基本的な事項すら知らなかったのだ。それで付き合うの付き合わないのと話しているなんて、つくづく奇妙な間柄だと思う。
互いに名乗って、ついでに携帯のアドレスも交換したけれど、きっとこれを使う機会はあまりないのではないかと凌牙は思った。通信機器を使って連絡を取る頻度の高さが、そのまま友好関係の深さに直結する現代ではあるけれど、少女――遊馬には当てはまらない気がした。だって、こんな機器を使わずとも、彼女とは繋がっていられる場所がある。
「それじゃあ凌牙、また明日!」
「ああ。あの道でな」
袖触れ合うも他生の縁。道端から始まったこの関係がどう変化するのかは分からないが、今日のやり取りの中で、淡い好意は恋愛感情へとだいぶ傾いたようだった。
(きっと遊馬のこと好きになるんだろうな)
確信に近い予感を胸に抱き、凌牙は口元に楽しげな笑みを浮かべた。



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