SHARK | ナノ


SHARK


ほんの出来心だった。

「なあなあ、神代凌牙ってカッコいい名前だよな!」
「何だいきなり」
「今度からシャークじゃなくて凌牙って呼んでいい?」
「年下のくせに呼び捨てかよ」
「えー、じゃあ凌牙先輩とか?」
「やめろ。シャークでいいじゃねえか」
「これでも俺、一応彼女なんだけど!恋人同士って名前で呼び合うもんなんだろ?だから俺も呼んでみたい!」
「くっだらねえ……」
「いいじゃんかよー。なあなあ、凌牙って呼んでいい?」
「駄目だ」
「ケチ!」

そんな押し問答をしたのはついこの間のことだ。
そして今、机の上には凌牙の私物が置いてある。さっきまで教室でARビジョンを用いたデュエルをしていたのだが(もちろん負けた)、荷物を置いて凌牙が席を離れたのだ。
手持ちぶたさで帰りを待っていた遊馬は、ふと悪戯を思いついた。凌牙のDゲイザーを起動させて、登録画面を呼び出す。
「R・Y・O・G・A……これでよしっと」
『SHARK』になっていた名前を勝手に変更して登録ボタンを押した。名前呼びを拒否された意趣返しのつもりだった。悪戯に気付いてムッと眉を寄せる凌牙の姿が容易に想像できる。
含み笑いを漏らした遊馬は、まさかこの行為が凌牙を傷つけることになるとは、夢にも思っていなかった。



「遊馬、帰るぞ」
戻ってきた凌牙と共に下校して、その道中、ふたりは最近オープンしたばかりのゲームセンターに寄った。デュエル以外のゲームを協力して攻略したり、時には対戦したりと楽しい時間を過ごす。日が暮れかかった頃には帰路についた。事件が起こったのはその時だ。近道をしようと路地に入ったところで、すれ違った不良3人組に因縁をつけられてしまった。
「おい、女一人に寄ってたかって見苦しいったらねえぜ。腰にカードケースを下げてるってことはデュエリストだろ?男なら男らしく、正々堂々、デュエルで決着つけようぜ」
遊馬を背中に庇って前に出た凌牙が3人を挑発する。気の短い不良達はあっさりそれに乗っかって、Dパッドを装着した。
「シャーク、俺もやる!」
「いいからお前は下がってろ。足手まといだ」
「うぐっ……で、でも!いくらシャークでも3人を同時に相手にするのは……!」
「大丈夫だ。安い挑発に乗るような奴の底なんて知れてる」
不敵に微笑む凌牙の目は自信に満ちていた。場慣れしているのだろう。
こういう時、普段忘れているが、凌牙が彼らの側の世界の一員であったことを思い出す。
「う……うん、わかった……」
遊馬を庇う凌牙の姿に、不良達は下卑た笑い声を上げた。
「おーおー、兄チャンかっこいいねー!」
「カノジョの前でいいとこ見せたいってか?ヒュー!」
「その涼しいツラもいつまでもつかな?先攻はもらうぜ!俺のターン、ドロー!」
そうして始まったデュエルは、半ば想像はついていたが、凌牙の独壇場だった。3人の攻撃をものともせず、エアロシャークやブラックレイランサー等、強力なモンスターを次々に召喚しては、相手のモンスターをなぎ倒してゆく。
圧倒的なデュエルタクティクスを見せ付けて3人を一網打尽にし、凌牙の勝利で決闘は幕を下ろした。
「やったあ!さすがシャーク!」
とび跳ねて遊馬は喜ぶ。デュエルをするのは好きだが、それと同じくらい、凌牙のデュエルを見るのも好きだった。
「ったた……く、くそっ!こんなはずじゃあ……」
「てっめえ、俺たちをこんな目に遭わせて、ただで済むと思うな!」
「『RYOGA』――リョーガ、か。覚えてやがれ!」
ARビジョンに表示された名前を見つけられてしまった。あ、と遊馬は汗を垂らす。
この時になって、登録名が変更されていることに気付いた凌牙は、外したDゲイザーをまじまじと見つめた後、恐ろしい形相で遊馬を振り返った。
「――遊馬!お前か!」
「ご、ごめん!」
まさかこんな事になるとは思わなかったのだ。
そういえば、かつて闘った陸王海王も本名ではなくて通り名であるらしい。不良の世界で本名がバレるのは好ましくないのかもしれない。マズいことをした、と反省して小さくなる。
凌牙は舌打ちをひとつすると、急いだ様子で遊馬の手を引いた。
「行くぞ」
慌しくこの場を去ろうとしたが、捨て台詞を吐いていた不良のひとりが、不意に思案する声を上げた。
「おい、待て。リョーガ……?どこかで聞いたような……」
記憶を辿るような間を置いた後、相手はハッと目を見開いた。
「水属性……リョーガ…………お前、神代凌牙か!」
ズバリ言い当てられて、凌牙の足が止まった。その名前を聞いた他の二人も騒ぎ出す。
「おい、神代凌牙って……アイツかよ!去年の全国大会の不正野郎!」
驚いて遊馬は振り返った。何で知っているのかと思った後、すぐに気付く。あの事件は新聞記事にもなっていた。彼らのような不良が新聞などに目を通すとは思えないが、曲りなりにもデュエリストだ。遊馬は知らなかったが、決闘者の間では有名な話なのかもしれない。
一方的に叩きのめされた屈辱に歪んでいた不良達の表情が、嘲り笑うものに変化した。
「こんなところでお目にかかれるとはなあ。汚れた優勝候補どのによ!」
「実力を見せ付けられたぜ。今のデュエルだって、どうせ小汚い手を使ったんだろ?」
「全然気付かなかったぜ。さすが決勝まで進んだ腕前だ。おい、見逃してやるついでにネタばらししてくれよ!」
好き勝手言われているというのに、凌牙は何も言い返さなかった。眉を寄せて、じっと罵倒に耐えている。
「……お前ら!それ、本気で言ってんのかよ!?」
たまらず遊馬は怒鳴った。
「今のデュエルのどこに不正の入り込む余地があった!?不正どころか、3対1の不利な条件で勝ってみせただろ!本気でデュエルしてる奴なら分かるはずだ。シャークのデュエルは本物だって!!」
「やめろ、遊馬」
肩を掴まれ、止められる。
「んなこと言っても無駄だ。いいから行くぞ」
「だってシャーク!」
「いいから!」
強く腕を引かれて、逃げるようにその場を後にした。揶揄する不良達の声を背中に浴びせられ、悔しくてたまらない。
人通りの多い表通りまで出たところで、凌牙の手を振り払った。
「シャーク!なんで言い返さないんだよ!?」
「まともに相手してたら埒が明かねえ」
感情の見えない声で凌牙は言った。
「理由はどうあれ、不正行為をしたことは事実だからな。お前のように言ってくれる奴なんてごく稀だ」
「そんな……!」
「それより遊馬」
振り返った凌牙は、今さっきまでの無表情から、般若の形相に変わっていた。
「てめえ、よくも勝手に名前変えやがったな!?」
「ご、ごめん!ほんの出来心で!」
「余計なことしやがって……!」
吐き捨てながら凌牙はすぐにDゲイザーの設定をし直した。ちょっと悪戯して困らせたかっただけなのに、不測の事態によって予想以上に凌牙の怒りを買い、遊馬はしょぼくれた。
(もしかして『SHARK』って名前にしてたのは、こういうことを避けるためだったのかな……)
例の事件の後、凌牙を嘲り蔑む人間は後を絶たなかっただろう。実力でデュエルに勝ったとしても、不正を疑われ、正当な評価など望めなかった。学校一の札付きとして付けられた「シャーク」の異名を自ら用いているのは、こういう背景があってのことなのかもしれない。
――なあなあ、凌牙って呼んでいい?
――駄目だ
それだって「神代凌牙」という汚名にまみれた名前で呼んでほしくなかったのかもしれない。シャークと呼ばれる以前のことを思い出さずにはいられないから。
「ごめんな、シャーク。悪戯なんかして……」
傷つけるつもりなんてなかった。ただちょっと恋人らしいことをしたくて、名前呼びを一蹴されたことに拗ねてみただけだった。
(愛想を尽かされたらどうしよう……)
ビクビクしながら凌牙の反応を待つ。凌牙はチラリと遊馬を見やった後、憤りを押し込めたような溜息を吐いた。
「……オレの私物に、二度と勝手に触るんじゃねえぞ」
どうやら、その一言で許してくれたらしかった。何度も首を縦に振ると、「首痛めるぜ」と言って笑ってくれた。その笑顔に、ほっとした。
過去は変えられない。今こうして凌牙と一緒にいるのだって、それぞれ積み重ねてきた過去があって、それがたまたまあの日交差したからだ。理不尽な理由でデッキを強奪する不良と、大切な物を壊された被害者。普通なら仲良くなるはずもなかった二人は、凌牙のデュエルに魅せられた遊馬が彼を追い掛け回し、結果、気がつけば恋人という枠に納まっていた。
(そうだ。俺は『凌牙』を知らない。俺が好きになったのは『シャーク』なんだ)
悪ぶっているけど実はいい奴で、恐いけれど実は優しい『シャーク』が、遊馬は好きなのだ。
名前で呼ぶことに固執する必要は無い。遊馬だって、そこまでこだわっていたわけじゃなかった。ただ、恋人なら名前で呼び合うものだと小鳥達に言われたから、呼んでみたくなっただけだ。
(でも……)
本名を嫌がるのは取り巻く状況が許さないからで、本心から厭うているわけではないとしたら……。
遊馬はぎゅっと拳を握り、目の前の少年を見上げた。
「決めた!俺、当分シャークのことシャークって呼ぶぜ!」
「いきなり何なんだ、お前は」
突拍子も無い発言に凌牙は呆れた顔になった。
「もしかして、まだ名前で呼びたいとか考えてたのか」
「だって俺諦め悪いもん」
「知ってるさ。時々、心底ウゼェよな、お前」
「……シャークこそ、俺のこと本当に彼女だと思ってるのか疑わしい時あるよな……」
彼女にウザイはないだろう。
地味に傷つきながらも、とりあえず今はそれを脇に置いておく。
「名前で呼ばれるのが嫌いなら呼ばない。でもさ、その代わり約束してほしいんだ!」
「?」
「凌牙って呼ばれてもいいって思えたら、その時はそう言って!!俺、やっぱり本名で呼びたい!」
心から『シャーク』でいたいと望んでいるわけではないだろう。神代凌牙として表立てないから、やむなくシャークの通名を使っているのだ。
だったら、いつか。
いつの日か、神代凌牙という名前の名誉を取り戻す時がきたのなら。
誰よりも先に本名を呼んでやりたかった。暗い路地裏で罵倒に耐えなくていい。堂々と前を向いて、光の中に立っていいのだと言ってやりたかった。
真剣な瞳で見つめる遊馬を不思議そうな表情で見返した凌牙は、ふう、と疲れたような息を吐いた。
「……やっぱウゼェぜ、お前」
「だ、だから彼女にウザイなんて言うなよー!俺だって傷つくんだからな!」
諦めの悪さなら天下一品。いつか絶対名前で呼んでやろうと、気難しい彼氏の顔を見ながら思った。



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