■ スローペース(せんべ)

130420訂正


せんべ

‐‐‐




「なんでかなぁ」


それは、6月の梅雨の合間に見る晴れた日のことだった。


「俺は女の子がスキだし、出来るなら女の子とキスしたいと思ってるんだけど、どうしたもんか、キミがスキみたいなんだ。なんでかなぁ?」

そんなことを、言っていたような気がする。気がするというのは、ちょうど俺は洗面所で顔を洗っていたところで、正直、俺に宛てられた言葉だとは気が付かなかったからだ。なんせ、蛇口を捻って、顔を上げたところで、漸くそれの存在に気が付いたぐらいだったから。鮮やかなオレンジ色の髪と、揃えようとして失敗してしまったかのような少し不揃いな眉が印象的な、そいつの存在を。

「あ? いま、誰かと話してたか?」


「うん、キミと話してた」

それは、そう、言った。重たい瞼の下から瞳をキラリと煌めかせて。

「キミのことが、スキみたい。女の子じゃないのに」

どうしよう、と<それ>は言う。未だ発達しきっていない声音は女みたいで、吐いた科白の差に思わず笑ってしまった。笑えば「ひどいじゃんか、本気なんだよ」と<それ>は言う。<それ>がムキになればなる程、可笑しく思える。なんだろう、今まで出会ったことが無い人種だ。突然現れて支離滅裂なことをぬかして。一体コイツは何がいいたいのだろう?


「俺はね、跡部くんのサーブ。とっても好きなんだ」


「おい、そんな理由で人を好きになるのかよ」


「俺は女の子がスキなんだって」


「俺は男だぜ」


「だ、か、ら、どうしようってキミに聞いてる」

「なんだそりゃ?」


意味わかんねぇ。
肩を竦めてみせると、<それ>は困ったなぁと深い溜め息をつく。

「ほんと、スキって分かんないよねぇ」


ねぇ、どうすれば良い?
だなんて。
てめぇのこと、聞かれても。
てめぇじゃねぇから分からねぇだろうが。
俺は髪を掻き上げて、ついでに肩に掛けたスポーツタオルで適当に顔を拭って、それから、それとなく先方を爪先から髪の先まで見た。
今更だが、緑色に黄色のラインが入ったユニフォームであることに気が付いた。こいつ、山吹の連中か。
砂埃のついた白いパンツから察するに試合をした後か…いや、応援に付き添った見学か何かかも知れない。ま、山吹とは試合がなかったし、あったとしても眼中にはねぇなぁ。
人懐っこそうな顔は氷帝には珍しいタイプだなと思う。オレンジ色の髪は染めたての艶のようなものがあるし、鼻筋は整っている。不揃いな眉は無視するとして、重たそうな瞼の下から覗く瞳が、なんだろう。ことのほか強い色彩を帯びている。真っ直ぐで、曇りの無い純粋な瞳。嘘偽りのない、取り繕うだなんてもっての他だと言いたげな眼差し。光の灯った強い眼孔。

「あんた、名前は?」

自然と言葉が漏れた。
自分でも驚いた。何を言っているのだろうかと。
俺の言葉に呼応して、<それ>は、花がぱっと咲いたかのような弾ける笑顔を顔面に添えて、

「俺、清純。千石清純だよ」

と言った。
選挙のオープンカーから流れてくるかのような、そんな名乗り方だった。




★☆★




「一年生でも部長して良いんだ?」


へぇ、そりゃ凄いね。っと、千石はさも感心の無いように言う。氷帝学園に単身乗り込んできた山吹系男子は、部外者丸出しの白蘭姿でベンチに堂々と腰を掛けていやがるから癖が悪い。先ほどから部員達が、この闖入者が気になるらしく、互いにひそひそと何やら口にしているのも分からなくもない話だ。これでは練習にならねぇだろうが。


「部活終わってから来ればいいだろーが」

見下ろす形で言ってやった。ちょうど日の光を背後にしたせいで、千石の顔に影が差し込む。ざまぁみろ。


「それってば、キミんとこの部活の話?」

「テメェんとこの話だ」

「あは、俺んとこはいーの、いーの。今日はダブルス強化デーだから」

笑いならが答える千石に呆れてしまう。おい、お前、テニス部員だろ。それでいいのか。

「てめ、仮にも山吹だろ? ダブルスぐらいできねぇのかよ」


「んー、伴爺がやらせてくんないからなぁ」


「一生球拾いかよ」


「ひどいなぁ、跡部くん。新人戦の時の俺の活躍、覚えてくれてなかったんだ?」

ねぇどうなんだよ、と千石は上目遣いに此方を見上げてくる。相変わらず不揃いな眉だ。この眉と千石清純という名前を知ったのが初めて会話したあの時分なのだから覚えてるわけもねぇ。第一、それまで顔も名前を知らなかったんだから。
俺が黙っていると先方は察したらしく「ちぇっ」と舌打ちをした。

「こー見えても、強いよ?」

「興味ねぇ」


「ひどいなぁ」


千石はヒョイと立ち上がって、


「じゃあさ、俺と試合しようよ」


と言った。
それから、にっと笑みを作って、


「俺が勝ったら手を繋いで帰りましょう」

わざと丁寧な口調で言う。
あまりにも唐突な言葉に何が言いたいのか言葉の意図が掴めなかった。暫く間を有してから、ああ、なるほど、と理解する。


「…めんどくせぇ」

「えー、ケチー」


「ケチじゃねぇ。それに、俺様はリムジンで帰んだよ」


「なんだ、つまんないなぁ」

今日はアンラッキーだなんて言いながら千石はベンチに脚を投げ出して座った。立ったり座ったりで騒がしい奴だ。本当に。

俺は、そんな千石を鼻で笑う傍らで。
目を、少しだけ細めて。
素知らぬ顔でコートを見た。
一番コートは、使用中。二番と三番は…ダメだな。それなら。

「なんて、な」


言えるわけねぇだろうが、馬鹿馬鹿しい。

「あれ、跡部くん。耳が赤いよ? まさか、照れて」「るわけねぇよ!とっとと山吹に帰れ!」

ハエを追い払うが如くラケットを振れば、千石は笑いながら身を逸らしてそれをかわす。くそ、このドウタイシリョク野郎。逃げ足だけは早い。先を読んで死角を付かなければ一発お見舞いできないだろう。
そう思い、身を乗り出したところで、漸く俺は、はっと我に返った。
いつの間にか、俺は。
千石のペースに飲まれちまってる。
先月までは顔も名前も知らなかったハズなのに。
実におかしな、話だ。
千石がテニスをしていて、しかも山吹で、ただ知っているのは、名前と顔とテニスをしていることだけで。よく思えば、コイツのこと、知らないことが多い。
どんな風にボールを追い掛けるのか、ラケットを持つ仕草やクセ、得意なショット…全て知らない。


「…四番コートに入れ」

言った。
ポツリと。
曇天から落ちた雨粒みたいに。

言えば先方は「へ?」と間抜けな声を漏らす。
そうだ、俺はこいつのこの間抜けな様が見たかったんだ。


「俺が勝ったら山吹まで送り届けてやんよ」


実に、清々しく、言い放つ。
千石のプレイスタイルがどんなものかお手並み拝見してやるだなんて上から目線で睨みを効かせるのも忘れない。
千石は暫くの間言葉を咀嚼するかのようにキョトンとして、それからニカッと笑った。カメラのシャッターを切ったような笑顔が光る。


「ラケット貸して下さいな、お姫様」

「姫じゃねぇ」


両手を出しておねだりをする千石の、あのオレンジ色の頭をガットでやんわり叩く。自分で言い出した試合なんだから、ラケットぐらい持ち合わせておけよな。
パシバシと叩けば、千石の髪は、日を浴びて鮮やかに煌めく。とても綺麗な、髪だ。ボールを追い掛けて揺れる姿は、たぶん、それ以上に綺麗なんだと思う。そして、恐らく、きっと、たぶん、絶対に、俺は千石に勝つんだろうな。俺は強いから、勝ってしまうんだろうな。


千石の指は堅いのだろか、それとも、柔らかいのだろうか。

きっとその謎は、解けそうにない。

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -