「何か、君の行く先々で事件が起こってないか?」
診察が一通り終わり、もそもそと服を着直していた時だった。マリーは口元に隠し切れない笑みを刻みながら言った。
セントラルタワーでの一件から翌日。二度目の重傷とも言える怪我を負ったセツナは、エリアの魔法で完治したとは言え念のためにマリーに診てもらうことになった。
本音を言うとあまりマリーのお世話にはなりたくないセツナだが、エリアの怒りのオーラが凄まじかったため宥める意味も兼ねて仕方なく従うことにした。重たい足を引き摺って何とか来てみれば案の定、彼女は事の顛末を聞くや人の不幸に対して本気で爆笑したのだった。
「あーウケる。歩くアクション映画みたいな男だな君は。まあ俳優と言うにはかけ離れた顔だが。爆発の次はあれだね、街中でカーチェイス? 君の愛車がぶっ壊れるような愉快な事にならないといいけどね。保険はちゃんとしてるかい?」
「全然愉快じゃねぇよ!? ……っとに止めろよ縁起でもない。これだからあんたのとこ来るのは嫌なんだよ」
にやにやしながら無遠慮に頭に伸びてくる手をセツナは振り払う。
強気には振る舞ったが言われてしまうと気になってくるセツナは、今日は出来るだけ早く帰宅しようと密かに心に誓った。
「君が伝説級のトラブル吸引体質なのは置いといて、あまりエリアの治癒魔法に頼るんじゃないぞ情けない。ちゃっかり先日の怪我まで治癒させてるし。治癒魔法の危険性については知らないわけでもないだろうに」
「別に頼ってねぇし。分かってるし」
小馬鹿にしたように言われ、セツナは不貞腐れたように呟いた。途端、エリアが眉を落として落ち込むのでセツナは慌ててフォローする。
無自覚に仲良さを周囲に見せつけている二人のことは視界の端へ放っておき、マリーはだらしなく机に頬杖を付いた。
「それで、だ」
色素の薄めなマリーの瞳がついっと動く。視線の先には、純白を纏ったような美貌があった。
「普段はお忙しい大佐殿まで一緒に集まって、一体どうされたのかな?」
様々な実験器具が雑多に置かれているテーブルに資料を広げていたウェイルは、突然話を振られてきょとんと顔を上げた。僅かに首を傾けて、ふわりと微笑む顔はどう見ても品のいい美少女のようだ。
組んでいた足を優雅に組み替えて、ウェイルはマリーに向き直る。
「たまには気分を変えていつもと違う場所で、っていうのもありかなぁと思いまして」
「別にかまわないが、守秘義務はいいのかな?」
「ドクターなら問題ないですよ」
マリーはふぅん、と気の無い返事をしながらウェイルが目を通していた資料に視線を投げる。資料とは言え紙媒体ではなく、ウェイルが愛用する携帯用の電子端末だったが。
「それで、結局首突っ込むことにしたんだ? 君たちは化物退治が専門だと思っていたんだけど」
何の話をしに来たのかは気付いていたようで、マリーが単刀直入に聞く。その声音にはどこか呆れが含まれており、ウェイルも困ったように笑う。だがすぐに表情が消える。
「陸戦特務部隊第二三班、ランスロット・ウォーカー二等兵。彼はそう名乗りました」
ウェイルが記憶を辿るようにぽつりと呟いた。マリーはすぐに何かを察したようにキーボードを打ち込み始める。
疑問符を浮かべるエリアに、セツナは答えた。
「昔、まだ特務師団として形ができる前に俺たちがいた部隊だ」
かつてセツナたちがいたのは、人体実験に適合した子供たちを集めた部隊だ。つまり、同じ部隊にいたと言うランスロットはミリティアということになる。となればあの並外れた運動能力と魔力にも頷けるが。
「じゃあ、セツナの知り合い?」
エリアの疑問に、セツナは苦笑を浮かべて首を横へ振った。
「ミリティアは施術に適合出来なかったやつは死んでいった。それでも軽く百人以上はいたからな……面識ないやつもさすがにいたよ」
「正直僕もです」
初期の頃からミリティアの部隊にいた二人でも、ランスロットのことは覚えていないようだった。それなりの人数はいたのだろう。
「あったぞ」
マリーの言葉に皆彼女を見る。
「二三班は、ヴァーリ・アリンガム、レスター・バートリー、ジョシュア・ヘイズ、オーウェン・ニコルソン、カナン・ヒーリーそして、ランスロット・ウォーカーの六名からなる部隊だな」
マリーは軽快にパネルを操作する。照明が僅かに落とされ薄暗くなった室内に、ディスプレイの明かりが灯る。そこに一人のデータが映されていた。
正面から写した肩から上が映った写真は、まだあどけない気弱そうな少年の顔。どこか影を落とした表情は、不安げにも見える。セントラルタワーで会った時とはまるで別人のようだが、確かに髪や瞳の色は同じだった。
「ランスロット・ウォーカー当時十一歳。階級は二等兵。性格は内向的。臆病で人見知りの気がある。とても兵士向きとは思えないおとなしい少年だな。現に、実技成績もあまりいい方ではなく、特に目立った功績も収めていない。だが、魔力がずば抜けて高い。二三班ぶっちぎりだな。ちゃんとした環境で学べば、スペルレスも夢ではないかもしれないぞ。まあ、そこ二人には劣るけどね」
マリーに顎で指し示されたエリアは、あまりぴんとこない表情で首を傾げる。
「君たち二人は規格外だ。言うなれば、真のバケモノ、だね」
ウェイルはともかく、自分にそれほど力があるとは思えないが。エリアはいまいち実感の湧かない言葉に一人俯き、真剣に悩んでいるようだった。
この自己評価の低さにセツナは苦笑しているが、エリアはそれにも気づかない。
「話を戻すが、魔術士においてこういうのが一番化けるタイプだ。彼はあまり目立ったところのない兵士だったが、話を聞く限りかなりハイクラスの魔法剣士だそうじゃないか。軍から去ったこの空白の数年に、彼は一体どんな経験をしたんだろうな」
マリーの様子がいつもとは違うような気がして、エリアは首を傾げる。しかしディスプレイの光に照らされた横顔からは、感情が読み取れない。
「『地獄より、来たれり』」
呟いたのは、ウェイルだった。
「ランスロットがネフィリムの詠唱で唱えた最初の一節です。ロゾフの訛りが入っていたので、聞き取りづらかったですけどね」
「ロゾフ?」
意外な繋がりにセツナが眉を寄せた。
「初めはロゾフ出身なのかとも思い、それが知りたくてここに来ました。どうやら出身はここだったみたいですけど」
ディスプレイに表示されていたままのランスロットの経歴データ、その出身地の欄にはアスタ、と書かれていた。
エリアはどういうこと? と尋ねるようにセツナを見る。
「ロゾフはティンダルの同盟国だ。事情が少し複雑で、レヴァニテスとティンダルの板挟みになっててな、内乱が絶えないんだ。ニュースでよく見るだろ?」
ティンダルとは、エリアも聞き覚えがあった。
宗教の名を使う事で大義名分をこじつけているだけであり、国家の間で戦争が起こる理由は様々だ。ただ、建国以来と言う長いサイクルで見ても、ここレヴァニテスとティンダルの間には大小様々な諍いが何度も起こっている。いわゆる犬猿の仲だ。
そして、その諍いから生まれた兵器の一つが、ミリティア。彼らが初めて投入されたのが、中でも最も近年に起こった戦いだ。魔法という技術が確立されてから二度目の戦乱で、俗に第二次魔法戦争とも言われいている。この戦乱が最も激しかったとされているが、ミリティアの圧倒的戦力差で終息に向かった。
もともと不仲な国の側の同盟国。何故そんなところへ、レヴァニテス出身のランスロットはいたのだろうか。色々と不都合が生じることは想像できるというのに。
いまいち話の的を射ないエリアに、マリーが助け舟を出した。
「まあ待ちなさい。エリアには知らない事だから、順を追って彼女にも説明してあげなさい」
はっとして、セツナはエリアの方を見た。彼女は気まずそうに視線を彷徨わせた後、おずおずとセツナを見上げる。眉を落としたその表情が、どう見ても困っているときのそれだった。
他国との戦いが激化する当時、エリアは養父のもとにいた。義理の父親からの偏執的で歪んだ愛情を向けられていた彼女は、ミリティアたちどころか外界との接点がほとんどない隔離された生活だった。科学者であった父親から独自に強化施術を受けたとは言え、戦場にも出ていない。例え大きな出来事だったとしても、ミリティアに関する世情を知りようがなかったのだ。
「ごめんなさい……」
「いや、俺の方が配慮が足りて無かった」
「そうさ。君が謝る必要はないよ。この唐変木がぱっぱらぱーなせいだから。ほんとデリカシーないやつってサイテー」
「……そこまで言う?」
疲れたように項垂れるセツナを無視して、マリーはすぐに話に戻る。
「さて、馬鹿は放っておいて。エリアも分かったと思うけど、特務師団にいるミリティアたちが全員と言うわけではない。ウェイルの下に残ったのは中でもほんの一握りの精鋭ばかり。あとは戦死した者も多いが、生き残った他の者はと言うと、ほとんど軍から去った。その経緯が褒められたものではないんだ」
話し始めたマリーの表情に、影が落ちる。当時の事を思い出しているのだろうか。
「激化するティンダルとの戦いの最中、ミリティアは生まれた。これは君も分かっているだろう?」
エリアは無言で頷いた。
「第二次魔法戦争が終息し、現在は一応平定状態だ。戦いが無くなれば兵器は必要なくなる。人々の心にゆとりが出てくると、周りのことへ目が向かう。それが、肉体を強化させられ兵器として作られたミリティアたちのことだった」
人体実験の末に、ヒトを凌駕する力を持ってしまった子どもたち。人間を、しかもまだ幼さの残る子どもを兵器として作り変える非人道的とも言える行いを批判する声が、国内だけでなく世界中から集まる事となる。
そして戦いが減り、彼らを生み出した国自体が彼らの驚異的な戦闘力を持て余し始める。
国のために戦った子どもたち。しかしその国にとっては、もはや煩わしい存在となっていた。
「大人たちの都合で作っておいて、勝手だろう? まあ、それに加担した大人の一人である私が言えたことでもないけれど」
マリーは眉を寄せ話を聞くエリアに肩を竦める。
きっと彼女は、何千と言う非難の言葉を浴びただろう。マリーの口元は、皮肉げに歪んでいた。
「批判の声は高まる一方だったし、国もとうとう匙を投げたんだろうね。ろくに考えもせず、ミリティアを解放すると宣言した」
その後の彼らは悲惨だった。
無責任な正義感とは性質が悪いもので、いざ子どもたちが普通の生活を送ろうとしたとたん周囲の者たちは彼らに牙をむき始める。常識的な身体能力を上回る彼らが一般人の中に混ざったとき、異常さが際立つのは当然の事だ。ましてやまだ人生経験の少ない子ども。はじめから器用に隠して生活するなど当然困難なこと。彼らの異常性を感じ始めた周囲の者たちは、しだいに彼らを忌み嫌うようになる。
孤立し、支えの無い子どもたちの力など微々たるものだ。そこに目を付けた者がいる。
ミリティアは、圧倒的な戦闘力を持った生きた兵器。その力を欲する他勢力が、庇護の目がなくなった彼らを攫うことなど容易だった。誘拐された子どもがどのような道を辿ったのか。兵器として奴隷のように使われたか、人体実験か。ろくな目に遭っていないことだけは分かる。
そして、政府が気が付いた時には、解放された子どもたちの行方がほとんど把握できなくなくなっていた。
「結局、まともな生活ができているミリティアのほとんどが軍に……ウェイルの元に残った子どもたちだ」
常に命懸けの厳しい任務ばかり。それでも、誰かに押し付けられたわけでもない、自分の意思で戦うことを選んだ子どもたちは前を向いて生きている。
「二三班に所属していた者は例に漏れず、全員が所在不明。しかもその間にランスロットが滞在していたと思われる国が国、だ。彼が望まぬ形でそこにいたのではないかという事は予想できる。今にいたる経緯から推測しても、怨恨と言う動機を抱くには十分だと思わないか?」
マリーに問われ、エリアはゆっくりと頷いた。
空白の数年。ここにきて、マリーの言葉の意味が理解できた。
戦うことが苦手だった臆病な少年。そんな彼が、何の躊躇いも無く人を殺す技を振るっていた。戦うことに、慣れていた。争いの絶えない国でそこまで劇的に変わってしまう程の何かを、この行方不明だった数年間に経験している。
一体どのような想いで、技を磨き生きてきたのだろうか。それがプラスの言葉に当て嵌まることはないだろうと、エリアも分かる。
「ですがまあ、彼の目的に関しては正直どうでもいいんです」
「え……」
あっさりと言い捨てたウェイルの言葉に、エリアは思わず疑問符を浮かべる。
「僕たちにとって最大の問題は、彼があの場で名乗った事です」
それによってランスロットがミリティア施術を受けた被験者である事が、周知の事実となった。
何かと理由をこじつけてミリティアの、強いて言うならウェイルの立場を追い詰めたい連中にとって、いい餌にしかならない。すでにあらぬ嫌疑がかけられていると言うのに、これではそれを肯定しているようなものだ。
もちろん、あの場にいたアンチウェイルのランベルトもはっきりと聞いていた。知らぬ存ぜぬでは通用しない。
彼らを真っ向から相手にしているウェイルの気苦労は計り知れない。その彼がいなければ、特務師団などとっくに潰れているだろう。
それどころか、社会的立場が危うくなるのは何も軍に残ったミリティアだけではない。戦いの世界から解放され真っ当な生活を送る、生き残ったごく僅かのミリティアの平穏まで壊してしまうことになる。
「もはや無関係の立場を貫くわけにはいかなくなりました。完全なる潔白を示すためには、我々ミリティアの手でランスロットを捕らえる必要があります。セツナ、できますね?」
ウェイルのアメジストの様な瞳が、セツナを映した。他者を魅了する美しいそれだが、拒否を許さない力強さがあった。
もとより上官からの命令だ。セツナがノーと答えることは許されないことは弁えている。
「命令なら、やるしかないだろ」
捻くれた言い方だが、命令であることを抜きにしてもセツナはこのままランスロットを見過ごす気にはならなかった。
どのような名目があるにせよ、彼の行いですでに何十人もの人間が犠牲になっている。そしてその数は、これから増えるだろう。そのようなことは許せない。そういう性分なのだから仕方がない。
初めに巻き込まれた時点で、こうなる運命は決まっていたのかもしれない。
セツナの答えを聞いたウェイルは満足そうに微笑んだ。それならもう一つ、と思い出したように呟いた。
「ロゾフは小さい国ですが、何故他国から目を付けられているんだと思います?」
不意を突かれたようにセツナはたじろいだ。おずおずと答える。
「天然の魔石が多く採れるから、か?」
その通り、とウェイルが言った。
「だからかは知りませんが、彼が持っていたのは貴重な魔石の原石ではないかと思われます。あれに奪った生命力を蓄積させる術式を施していた」
「力を集めるために殺戮を繰り返していると?」
なら、他にも何か大きな仕掛けを用意している……?
それがろくでもないことなのは分かる。
「セツナ、エリアの両名は何が何でもそれを阻止すること。いいですね」
にっこりと、強制的な迫力を感じさせる笑みを浮かべ、ウェイルは言った。
任務通達を一通り終え、執務に戻ると研究室をあとにしたウェイルを見送った後、残されたセツナたちはフィズの淹れてくれた温かいコーヒーを暢気に啜っていた。
事ある毎にマリーにいじられ、その度に反論するセツナを眺める。そのエリアの様子だけはいつもと違った。口数が少ないのはいつものことだが、それにしてもどこか表情が冴えないような、元気が無いような、そんな風にセツナには感じられた。
両手でコーヒーカップを包むように持ち、目が合うと手元を見るように俯いてしまう。
「どうした?」
見かねたセツナは訊ねる。
エリアは躊躇いがちに口を噤み、少し間を置いた後でようやく呟いた。
「……ひとつ、聞いてもいい?」
聞き辛いことを、勇気を振り絞って尋ねるような、そんな響きだった。
なんだ? とセツナが先を促すと、エリアはゆっくりと顔を上げた。眉尻が下がったその表情からは、いつもの気の強さなど微塵も感じられなかった。
「あの人が、セツナのことを知っているようだったのは、どうして」
ぎくり、とセツナの身体が強張った。
混乱の中で有耶無耶になっていたが、やはり彼女の耳にも届いていたのか。
処刑人。
先ほどランスロットとは面識の無い相手だと言った。なのにその彼が、セツナをそう呼んだたことに疑問を抱いてもおかしくはない。ましてや、エリアが気を使ったのか、あえて遠回りに口に出さなかった言葉。ランスロットが言った呼び名は、あまりにも物騒な意味合いの言葉だ。
処刑するのは、何を? ヒトを? どんな、人を……?
軍人として生きてきた以上、その手が綺麗なはずが無い。割り切り方は学んできたし、自身の信念の上でやってきたことに悔いは無い。
エリアはさぞや混乱した事だろう。今まで黙っていた自分が悪い自覚はセツナにはちゃんとあるのだが、彼女にそのことを説明するのが憚られる自分もいた。
そう。セツナは、エリアに知られるのが怖い。
彼女からはいつも信頼の目を向けられてきた。それが軽蔑の目に代わる事。多分、それが怖い。
僅かの沈黙をすぐに打ち消したのは、マリーの呆れを含んだ溜息だった。
「私から説明してやろうか」
また面白がってやがる、と内心うんざりした気持ちで視線を持ち上げるセツナだが、存外にも真剣な顔のマリーがいたことに狼狽える。
事件が起きる直前、偶然にもエリアに話した過去の事。全てを打ち明けてなかったことに対してふざけ半分に叱責されることすらも危惧したが、こういう時、妙な取り計らいを見せる辺りがどこかウェイルと似ている。二人がただ達観した大人なだけかもしれないが。
「ごめんなさい。やっぱり、いい」
何も言わないセツナの反応をマイナス面で捉えたのか、エリアが左右に首を振る。
彼女の胸中を占めるのは、言うべきではなかったという後悔だろうか。
思えば、エリアがセツナに対して踏み込んでくるのは初めてのことだった。悪く言えば無関心とも取れる。実際、エリアは他人に対して関心が薄い方だ。それでもセツナに対しては信頼を寄せている。
見返りを求めない無償の愛とは良く言ったものだが、今までの関係の方が歪だ。
ただ、このままではフェアではない。セツナはそう思った。
「いいよ、別に」
ぽんと、頭に手を置くと、エリアが恐る恐る顔を上げた。
段々と気恥ずかしくなってきたセツナは思わず顔を反らす。
「……、あとはマリーに任す」
「結局丸投げか。仕方ないね」
自分から話す事を提案しておいて、マリーは肩を竦めた。
「さっきの話に戻るが、ミリティアが投入されてからのティンダルとの戦力差は本当に圧倒的だった。僅か数百人の兵士で、何万といたティンダル兵を退けた」
「……生身の人間相手に戦車を出したようなもんだ」
皮肉交じりのセツナの呟き。
エリアは自分の両手を見下ろしてみる。何度かマメを潰し、少し綺麗とは言い難いその手の平。男性のものと比べればかなり小さく、お世辞にも強そうとは思えない。しかし、エリアは軽く力を入れたつもりで林檎が砕ける。日常生活で使う物は大抵脆く、今ではだいぶ慣れたが意図せず壊してしまう事が多かった。
自分の方が異常なのは、外の社会を見て感じたことだ。
ミリティア一人ひとりが一騎当千の力を持っている。確かに生半可な数のヒト相手では話にならないだろう。
「戦いが比較的早く終結に向かったのは、ミリティアの力のお陰とも言えるが……。その後の方が悲惨だった。ほとんど力の無くなった反乱分子の残党狩りにまで、まだ子どものミリティアが駆り出された。どこに正義があるのか分からなくなるほど一方的な虐殺に、段々と心の方が疲弊し始める。
結果、マナ中毒を発症するミリティアがでてきた」
セツナも過去に患っていたと聞いたのは、まだ最近だ。
「一度境界を超えた者を治す術は、現代にはない。処分する者が必要だった。その役割を一人で担っていたのが、彼だ」
大仰に指し示されて、セツナは気まずそうに視線を泳がせる。
同胞殺し、裏切り者、処刑人。そう揶揄され嫌煙されながら、今まで多くの仲間の命を刈り取ってきた。
誰かがやらねばならなかったこと。それでも、セツナはエリアの目を見ることが出来なかった。
「こいつは君に嫌われるのが怖かっただけだよ」
「んなっ!?」
頬を僅かに紅潮させ絶句するセツナを余所に、マリーが悪戯っぽく笑う。それを聞いたエリアが大きな瞳を見開いてきょとんとする。数回瞬きをして、セツナに向き直る。おもむろに。彼女の小さな手の平がセツナの手に重ねられ、一度心臓が跳ねた。
「……私が、セツナを嫌うことはないと思う」
逡巡した後で彼女が呟いた言葉がこれだった。
「だ、そうだよ青年。これで安心だねぇ」
「うるさいよ」
冷やかすマリーにいつものようにひねた態度で応じるセツナだが、今は言うほど嫌な気持ちではなかった。
密かに、重なった手を握り返す。少しひんやりとした指先。細くて華奢だが、しっかりと受け入れてもらえた事。セツナは、ただ嬉しかった。
静かになった自室で、マリーはかつてのカルテを眺める。
男児は髪を伸ばし、一つに結ぶ。ヤマト国の武人のような慣わしを受け継ぐ厳粛な家系に則り、現在とは違いかなり長く伸ばされていた艶やかな黒髪。顔立ちはまだあどけなさが残るにも関わらず、全てを拒絶するような黄金色の鋭い眼光を持っていた。
マナによる精神汚染レベル2。戦いを好む傾向有り。経過観察の後、回復の兆しが見えないようなら処分するべし。セツナのカルテには事務的にそう書かれていた。
「危ういねぇ」
マリーは気だるげに呟いた。今まで席を外していたフィズが訳も分からず疑問符を浮かべているが、マリーはそのまま口を噤んだ。
彼女は彼のことを全肯定している。
それが今のセツナの支えでもある。今回嫌忌していた自身の過去を受け入れられたことで、相手への想いがさらに強まった事だろう。
だが、全てを肯定するという事は、善良な部分だけではなく邪悪な部分すらも認めるという事だ。もしもセツナが望んで外れた道を行こうとした時、エリアは何の躊躇いも無く彼に従い着いて行くのだろう。
その事に気付いているのか、無意識に感じているのか。セツナが善人であろうとするのは、そんなエリアの存在があるからだ。
相手を想うが故に、正の方向を向くことが出来ている。どのような形であれ道標の様な存在がいる今、セツナが道を踏み外すことはないと断言できるだろう。
ただ。一度、マナに侵食された彼の心は負の方面を向いていた。
闇に堕ちかけていたその心が求めたのは、殺戮だ。現在の彼には似ても似つかないもの。相反する正負の感情が混在する心の内の、果たしてそのどちらがセツナ本来の気質なのだろうか。
一度壊れかけた人としての心を修復することは不可能なのだとしたら、今のセツナを繋ぎ止める補強材は間違いなくエリアの存在だ。
もしもそれを失った時、次は完全に壊れる。
その時は――。