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約束の地は、遥か遠く 2-6 




 ランスロットは油断なく周囲に視線を走らせ、だが攻撃の気配に体が反応する。咄嗟に剣で弾いたのは、風の刃だった。

「聞いただろ? お前の相手は俺だ」

 ランスロットの予想よりも近くで、声がした。
 高く澄んだ鞘鳴りを奏でて、セツナが抜刀する。不意打ちの攻撃。だがランスロットも優れた反射神経で防ぐ。弾かれた刃はさらに加速し、鋭さを増して再びランスロットを襲う。
 セツナの剣速に慣れはじめたランスロットが、反撃に刃を繰り出す。セツナはそれを地を蹴って避ける。距離をとって着地し、セツナは深く息を吐き出した。
 左肩の辺りが痛い。熱を持って、じくじくと疼く。
 ランスロットの一撃を受け止めた時。あの時の重い一撃で、昨日の傷が開いた。
 セツナは相手に悟られないよう平静を繕いながら、内心舌打ちしていた。今すぐどうこうなるほど重篤な怪我ではないが、戦いが長引けばそれだけ不利な要素になるだろう。
 鈍い痛みを訴える怪我を無視してすぐに駆け出した。
 柄に手をやると見せかけて、セツナは隠し持っていた投擲用の小型ナイフを素早く放つ。わざとタイミングをずらし着弾に時間差が生まれるよう、続けざまに三本。虚を突かれて瞳を見開くランスロット目掛けて、それぞれ足、喉、頭へ。
 あえて魔法に頼らず物理的な攻撃を利用したのは、相手の隙を付くためだ。
 発動の直前まで他の事に意識を向けていられるエリアの様に、一瞬で魔法を放つことも出来なければ器用に魔力を隠す真似もできない。セツナ程度の術者なら魔法の発動で、下手をすれば術式を練る時点で相手に勘付かれてしまう。
 だがこれならば相手に悟られる心配はない。しかも着弾も早い。
 シールドの術式を詠唱する時間も無ければ、意表を突かれた相手は防ぐ為に咄嗟に剣を振るう。知性を持つ人間が相手だからこそ通じる手段だ。
 一気に間合いを詰め、防ぐための剣を振るおうとするランスロットの開いた脇へ抜刀、するつもりだった。しかしセツナは踏み込んだ足を強引に制止させていた。
 投擲したナイフは、相手の目の前で一瞬不自然に停止した後、音を立てて落下したのだ。
 口元に凶悪な笑みを浮かべたランスロットの刃が振るわれる。まずい、と思った時には身体が反応していた。咄嗟に後ろへと跳躍し、回避行動を取る。
 着地と同時に、セツナの頬から鮮血がしぶいた。

(重力場か……!)

 内心で舌打ちした。同時に合点がいった。
 リィンフォースだと思っていた、人間離れした彼の膂力の正体だろう。
 体重を乗せ振り下ろす際に重力エネルギーを付加した斬撃は、本来のものより何倍もの威力となって襲い来る。
 シールド同様、最も階位の低いものでも第三位からと言う高度な魔法である為、リィンフォースを使うのが一般的だ。それを当たり前のように使うとは。やはりとんでもない魔術士だ。

「今のを避けるか」

 高度な魔法を立て続けに使用しているにも関わらず、涼しい顔で呟くランスロットには余裕が窺えた。
 それが面白くないセツナだが、悟られまいと虚勢を張る。

「大人しく捕まってくれる気はないわけ?」
「ないな。俺に一体何のメリットがあると?」

 逆に質問で返され、セツナはそうだなと、考えるように呟いた。

「驚くほど質素な生活になるけど屋根はあるし、メシは不味いけど三食付いてくる」

 セツナの軽口に、ランスロットは愉快そうに笑う。だがその笑みはすぐに消え去る。

「俺ほどのやつなら死刑、だろ」

 ぞっとするほどの声音だった。

「……自覚はあるわけね」

 セツナは独り言のように呟いた。
 だが。それほど覚悟ができていると言う事だ。説得は無駄だろう。そもそも誰かに言われて簡単に考えを改める程度の意思では、このような大それた事を出来るはずが無い。そして、強い意志を持った人間は、手強い。
 間合いを詰めてきたランスロットの重い一撃が振り下ろされる。
 まともに打ち合っても競り負けることはすでに理解している。ならば、かわしてしまえばいい。
 セツナを取り巻く大気が、意思を持つようにざわめいた。
 一刀を体捌きでかわし、隙を与えないよう続く二刀目を刀で捌く。

「……!」

 太刀筋の合間に交錯する互いの視線。息を飲んだランスロットの気配が変わるのを感じた。
 左右からの連撃を刀で弾き、剣を重ねるように胸を狙った突きをかわしざま横薙ぎに刀を一閃する。ランスロットは跳躍し、セツナごと飛び越えてそれを回避する。と見せかけて、重力を操り分厚い靴底がセツナの頭上へ急降下。セツナが上体を逸らしてあり得ないタイミングでの踵落としを避け、ランスロットが着地した床には大きくひびが入る。再び斬撃の雨。
 重量のある武器を仕様していながら、恐ろしい手数の攻撃だった。

 息をつかせぬ壮絶な剣戟に、エリアは知らず言葉を失っていた。

 目で追うのがやっとの剣速。繰り出される攻撃の全てが必殺の一撃に化けるものばかり。
 重量のある大剣を片手で操っているにも関わらず、速さと重みのある斬撃を繰り出すランスロットは誰が見ても驚異的だ。剣が二本ある分、手数が増え隙も無い。
 対するセツナは、その全てに反応して見せた。
 セツナが読むのは風だ。相手が動くことで生まれるほんの僅かな大気の流れを感じ、視線、息遣い、全ての要素を注視し次の手を予測する。途轍もない集中力と、もはや未来予測と言っても相違ないほどの先読みの力だった。しかし次の手が分かっていても、対応できなければ意味が無い。それをセツナは、相手に比べれば遥かに刀身の華奢な剣で全てを捌き、あまつさえ反撃まで繰り出す程の余裕がある。もはや天性の剣術の才能としか思えなかった。

「すっげ……」

 誰かの恐らくは無意識の呟きで、エリアは我に返った。
 オレンジ頭の青年が、食い入る様に二人の剣舞を眺めている。
 更に上を思わせる余裕すら感じるセツナの太刀筋。本気の彼をもっと見ていたいと思ったが、このまま民間人を放っておく訳にはいかなかった。
 おもむろに右手を翳す。真空の弾丸が、崩れかけてた壁に止めをさした。その音に、取り残されていた生存者たちが一斉にエリアを見た。エリアは開いた穴を顎でしゃくると、ぽかんとしていた生存者たちを感情の篭らない瞳で一瞥する。

「動ける人間は応援が来るまで避難誘導。手伝いなさい」

 有無を許さない口調。一同はハッと顔を見合わせて、小さく頷いたあと各々駆け出した。
 それを見届けて、エリアは人知れず溜息を吐いた。彼女の機嫌が悪いのは他に理由がある。

「あんたは戦わなくていいわけ? 仲間なんだろ」

 まだ逃げていなかったのか、先ほど呆けた顔をしていたオレンジ頭だった。
 エリアは苛立ちを隠すように腕を組みながらちらりとセツナたちを見て、すぐに視線を彼らから逸らした。
 それが出来るなら、とっくにそうしている。

「私の役目はあなたたちを逃がす事。それに、あなたならあの中に混ざれると?」

 逆に質問で返されたオレンジ頭は焦ったように高速で頭を振った。

「冗談! 逆に足手纏いになる!」
「……そういうことよ」

 どうやら見た目ほど阿呆ではないらしい。己の分別を弁えている割り切りの良さには好感が持てた。

「分かったら早く下の階の人たちを避難させてくれないかしら。多分このままだと床が抜けるから」
「まじ?」

 言いながら急いで駆けて行く男の背中を見送り、エリアも廊下に出て辺りを見渡した。
 背後で行われている戦闘音を無視すれば、廊下はがらんとしたものだった。すでにこの階に残っている一般人はいないようだ。ここのフロアは企業が会議で使用するための大部屋しかないため、もともと人が少なかったのが幸いだった。しかし下どころか上にはまだまだ多くのフロアがあるし、展望デッキまで存在する。とんでもなく骨が折れる作業であると自覚し、小さく溜息を零した。
 とにかくセツナたちが戦うこのフロアから一般人を出来るだけ遠ざけることが先決か。エレベーターは使い物にならないだろうと見切りをつけ、足早に非常階段へ向かう。
 曲がり角を曲がったところで、立ち往生している人々に出くわした。
 見れば、先に非常階段があるであろう廊下の先の隔壁が降りていた。取り残された数人が、その重たい隔壁を必死で持ち上げようとしているがびくともしない。戦闘の影響でか。恐らくは誤作動を起こして、隔壁が降りてしまったのだろう。
 何故彼らは他へ回らずに、不可能に近い隔壁を持ち上げようとしているのか。近づけばすぐにわかった。誰かの足が、挟まれている。一人は操作パネルを触っているが、反応が無い。面倒な状況に、エリアは小さく舌打ちした。
 隔壁を持ち上げようとしていた数人の男性の中に、見覚えのある派手な頭を見つけた。
 なぜか今日はこのオレンジ頭と縁がある。

「あなた前衛の魔術士でしょ。リィンフォースは」
「さっきからやってるって! あと俺が二、三人はいれば何とかなると思うけど!」

 軽口はさらりと流す。彼の腕輪が薄っすらと光を帯びていた。本当に魔法は発動している。
 エリアは小さく溜息を落としながら、同時に魔法陣が一瞬だけ浮かんで消える。体の重量が増した様な、いつもの感覚を覚えた。

「どいて」

 短く言い放ち、視線で手を離す様に促す。
 エリアの迫力に負けたのか、あっさりと身を引いた。つられて手を退けようとしていたオレンジ頭の青年は制する。

「あなたは手伝いなさいよ」

 釘をさされて、青年は慌てて隔壁の底を掴み直した。
 エリアは横に並んで彼と同じように掴み、一度小さく息を吐く。直後思い切り吸い込むと同時に、両腕に渾身の力を込めた。
 重たい隔壁が、ぎしりと音を立てた。あろうことか、成人の男性数人がかりでも全くびくともしなかった壁が、たった二人の力でゆっくりと持ち上がってゆく。信じられない光景に、周りに取り残された人々はただ唖然としていた。膂力を引き上げる魔法も使える魔術士の驚異的な力だ。それも、ほとんどこの華奢な女性の力によるものだと、この場にいる誰もが理解していた。
 ヒトがすんなりと通ることが出来る高さまで持ち上げたところでエリアは、ゆっくりと手を離した。一度大きく息を吐き出し、顔を上げる。

「あなたの三人分くらいの働きはできたかしらね」
「……それ以上だろうよ」

 引き攣った顔で呟く青年を横目に、エリアは身を屈ませる。
 救出された青年は青い顔でぐったりしていた。重たいシャッターに挟まれていた足の骨は見事に折れている。負傷した足を引きずってこの上層階から逃げるとなると、かなりの労力を要するのは想像に難くない。ましてや、長時間血液の循環が滞っていた細胞は壊死を起こしているかもしれない。そうなれば最悪切断しなければならない事態となる。エリアは僅か逡巡し、すぐに結論を出した。
 折れた足に手を触れる。瞬間、生まれる翡翠色の優しい輝き。
 重篤な怪我ほど治療には威力の強い魔法が必要となる。しかし治癒の魔法とは言え、あまり強力な影響を与えるものは身体に負担がかかる。彼はまだ若いので体力的には問題ないだろうが、何の強化もされていない一般人だ。さすがにミリティアと同じ雑な扱いというわけにはいかないだろう。いつもより弱い力で、乾いた大地に少しずつ水が浸透するのをイメージし、ゆっくりと治癒の効果を巡らせていく。力を抑えての作業は繊細で集中力を要した。あまり汗をかかない体質のエリアですら、額に汗が滲むほどの。
 翡翠の輝きに照らされたその真剣な横顔に誰もが魅了されたが、当の本人は全くあずかり知らないことだった。
 ゆっくりと光が消失すると、エリアは小さく息を吐きながら手を離した。

「折れてた骨は繋がったわ。多分切り落とす必要はないと思う。身体に負担をかけるから完治はさせてないの。あとは医者に何とかしてもらって」

 淡々と話すエリアを呆けた顔で見ていた男性は、話を聞いていたのか疑わしい表情のままゆっくりと頷いた。
 なんともなかった他の男性に肩を貸してもらいながらも自力で歩けている様子に安堵し、エリアは非難する彼らの背中を見送った。

「あなたも早く行きなさいよ」

 隣で暢気に彼らを見送っていたオレンジ頭の青年に、エリアは冷ややかな視線を投げる。しかし彼も中々に図太い神経の持ち主なのか、ほとんどの人間がびびるエリアの冷たい視線に動じる様子が無い。

「いや、そうなんだけどさ。やっぱり俺も気になるというか」
「だからって、」

 エリアの言葉は途中で遮るように突然に、大きな揺れと爆発音が響き渡った。オレンジ頭は身を竦ませて、ゆっくりと当たりを見回した後エリアを見る。

「なんだ、いまの」
「多分問題ない。ウェイルの魔法だから。あれを仕留めたんでしょ」
「まじかさっすが……て、なんであんた分かるんだ」

 ……面倒臭い。
 問われてエリアが思ったことがそれだった。元来人付き合いは苦手な方だ。人懐っこい態度で寄って来られて感化されかけているが、ここは適当にあしらい早いところ彼にも逃げてもらいたいところだった。
 そんな彼女の内心を知る由もない青年の瞳は好奇心に輝いている。
 どうあしらおうか思案していたエリアたったが、何かを感じ取ったようにびくり、と身を震わせた。
 突然の彼女の反応に、青年は首を傾げている。
 魔力に敏感なエリアでないと離れた位置から感じる事は出来ないが、二回。強力な魔法が発動したのを感じた。
 一度目の魔力は、先ほどの爆発音と共に感じた。あの馬鹿みたいに大きな魔力はエリアも知っている、ウェイルのものだと分かったったのでさほど気にならなかった。だが、問題はその後。たった今感じたものは?
 知らない魔力。離れた位置から感じられるほど強力なものを放つ者となると、そうそういない。あの場にいた者となると、考えられるのはあの赤毛の男しかいなかった。
 疑問符を浮かべた視線を向けてくるオレンジ頭の男性は無視して、エリアは来た道を戻るために駆け出していた。
 巨大な金属片に体を貫かれ大量の鮮血を流し、それでも戦うセツナの姿が脳裏を過ぎる。
 命令など、エリアにとっては知った事ではない。セツナが怪我をする姿は見たくない。そのために、戦い方を学んだのだから。力が及ばなくとも、盾になることならできる。
 セツナを守りたい。
 エリアをいつも突き動かすのは、この想いだけだった。











 埒が明かない、とセツナは刃を交わしながら感じていた。
 斬撃を躱し、隙を見て反撃。この繰り返しだった。
 拮抗してしまっているこの状況を打破するには、きっかけがいる。このまま持久戦に待ちこむと言うのもありではあるが、長引けばその分周囲への被害が増える。室内はすでにぼろぼろの有様で、どこに大穴が開いてもおかしくない状態だった。とは言え、お互いまだ手の内を隠している状態で先にしかけるのは、リスクが大きい。
 だが――。

「術式起動」

 セツナが小さく詠唱した。
 後へと跳び距離を取ると、その僅かな隙に素早く納刀する。ランスロットが僅かに怪訝な顔をするのが見えた。
 セツナが学んだ剣術の中で主体とするのは、剣を鞘に納めた状態から抜き放つ際に攻撃の手を加える抜刀術だ。鞘内の摩擦で威力が落ちるのではないかと考えられるが、それは誤りだ。その摩擦によって力を溜め、弾き出す際に驚異的な加速を見せる。達人ともなれば抜く手すら見せず、常人が防ぐのはまず不可能だ。まさに神速と称するに相応しいだろう。
 まだ年若いセツナが何十年と修行を積んだ達人のように動くには無理があるが、足りない分は魔法がある。
 隙を稼ぐために距離を取ったことで、間合いが開いてしまっている。この刀では、この距離は届かない。しかしセツナは、この開いた距離を一足で踏み込める自信があった。
 先ほど詠唱し発動したのは風の魔具だ。圧縮した大気を纏い、鞘を握る左手を後へと引き抜刀の構えを取る。風に髪を煽られながら、目が合ったランスロットに向けて挑発的に笑みを浮かべた。
 瞬間。一気に加速する。一瞬で間合いを詰められたことで、ランスロットの動揺が見えた。いや、この瞬刻には焦る間すらない。お互い思考で認識する前に、身体が勝手に行動する。
 歯の浮くような金属音。
 セツナの高速の抜刀を、ランスロットはギリギリの反応で受け止めた。
 同様のタイミングだった。二人が剣を交わす傍らを、当たりを揺らす爆発音と衝撃波が駆け抜けた。
 突然の出来事に、ランスロットの手が思わず止まる。
 光の粒子となって二体のネフィリムが消失していく。そこから、二つの石が小さな音を立てて落下するのが視界の端に見えた。
 これ以上は無い絶妙のタイミング。セツナは分かっていた。ウェイルなら、そろそろあの二体を片付ける頃合いだろうと。だから先手を打つことを決めたのだ。
 セツナと対峙していたままだったランスロットの首筋に、光の刃が突きつけられた。ウェイルの魔力で形成された剣だった。

「その首が可愛ければ、降伏を」

 普段ではまず聞けない冷淡な声で、ウェイルが言った。
 ランスロットが小さく舌打ちした。身動き以外にも、少しでも魔法の気配がしたら殺す。普段の穏やかな振る舞いからは似つかわしくないほどの殺気を感じた。
 セツナへと向けていた剣を下ろすと、音を立ててぞんざいに床へと放る。自由になった両腕を、ゆっくりと上へと上げた。

「すぐに殺さないのか。お優しいことだ」
「そうしたいのは山々ですが、ここであなたを裁くべきは僕ではありませんので」

 ウェイルはセツナに視線を送った。拘束しろ、との言外の命令だとすぐに心得たセツナは刀を鞘に納める。どこかまだ余裕を感じる相手の動きに警戒しながら手首を掴むセツナに、ランスロットは小さく笑った。

「昨日俺が作ったネフィリムは、三体だった」

 唐突な話題に無視して拘束しようとするセツナに、ランスロットはさらに続ける。

「一体は誰かに殺された」

 では、残りの二体は?

 言葉にならない疑問だった。
 当然、術者である本人なら答えは分かっているはずだ。
 意味の無い時間稼ぎの会話にしては意味深な呟きに疑問に思う前に、大きな魔力が膨れ上がる気配がした。
 下から突き上げるような衝撃を感じた直後、突然宙に投げ出された様な浮遊感を感じた。
 強大な魔力の発生源は、下のフロアからだ。ちょうど真下にいた誰かが、戦闘で脆くなっていた床をぶち抜いたのだ。
 破砕された塊と粉塵が舞い、重力に従って落下するさなか、セツナは唇に孤を描いたランスロットを見た。ランスロットの手には、床へ投げ捨てたはずの剣が握られている。咄嗟に反応しようとしても遅かった。これが地面の上だったなら、いくらでも対処できただろう。しかし体の自由がままならない空中ではどうしても動きが鈍ってしまう。
 まずい、と思った時には腹部に鋭い痛み。そのまま背中から下の階の床に叩きつけられる。

「――ッ!!」

 衝撃の反動で吐き出す空気と共に、思わず言葉にならない呻きが漏れた。
 セツナの腹部を貫いた剣の柄を握ったまま無遠慮に喉の上に右足を置き、もう一方の剣でウェイルを指す。

「動くなよ」

 潰すぞ、と。言いながら僅かに足に体重を掛けるのが圧迫される喉の痛みで分かった。
 ランスロットの背後に従うように立つ、二体のネフィリムがいた。床を壊したのは考えるでもなくこの二体だろう。
 漆黒のつるりとした表面。だが生物のように骨格の凹凸がはっきりとある。一方は筋骨の逞しい人間の男性の様な形をしていた。ただ顔部分だけがつるりとしていて何も無い。もう一方も同様につるりとした顔だったが、口だけが対照的に大きく裂け鋭利な歯がぞろりと並んでいる。二足で立っているが猫背で、先端が鋭利で太い尾が生えていた。人間らしい外見の一体とは違い、どちらかというと動物的な印象だった。
 ただのモンスターと言ってしまうには、立ち姿からは隙が感じられない。そして肌が粟立つ様に感じるプレッシャー。これまで見た三体のネフィリムとは明らかに格が違う。
 それぞれ、さきほどウェイルが倒した二体の体から零れ落ちた石の様なものをいつの間に回収していたのか、手に持っていた。おもむろにそれを取り込むと、二体から感じる威圧が僅かに増した。

「数十人もの人間の生命力を食らって成長したネフィリムだ。これまでとは話にならないぞ」

 どうする? と、ランスロットの挑発的な言葉。新たな魔法を紡ぐ陣が、ゆっくりとランスロットを取り巻き始める。
 それでもウェイルはいつもの調子のまま、小さく肩を竦めただけだった。

「余裕だな。選べ、部下か、己の命を!」

 ウェイルの周囲で炎の魔法が炸裂する。
 初めの爆発と同等の威力が周囲を振るわせる。焼け付く炎と舞い上がる噴煙で塞がれた視界が徐々に戻ると、ランスロットは実を眇めた。

「生憎ですが、どちらも選ぶ必要はありません。もともとそれは、僕の所有物です」

 誰が、とセツナがかすれる声で小さく呟いた。
 純白の青年は無傷。それどころか汚れすら付いていなかった。
 ウェイルの魔法ではない。スペルレスを駆使する彼だが、魔法のための魔力は一切練ってはいなかった。
 代わりに、ふわり、と青銀の長い髪が舞う。対照的な漆黒の軍服を翻して降り立ったのは、小柄な女性だった。魔法を放った名残の燐光が、彼女の周囲を漂いすぐに消失した。
 ウェイルをシールドで守ったエリアは、そのことには頓着せずランスロットを睨む。

「その足を退けなさい」

 消失したばかりの青い輝きが、再び彼女の周囲から生まれる。
 平素通り感情の篭らない声音。しかしエリアの身体から滲み出す青白い燐光が、代わりに彼女の感情を現していた。幻想的で美しい輝きだがそこに儚さは無く、隠しきれない激しい怒りと闘気が渦巻いている。
 強大で、しかし美しさを損なわない魔力の輝きに、ランスロットは思わず圧倒されて息を呑む。

「ランスロットォ!」

 この場にいない、誰かの叫び声。同時に何かが投げ入れられた。ランスロットは即座にセツナに突き立てていた大剣を抜くと、胸倉を掴みその何かの方へ突き飛ばす。
 大粒の石のようなもの。それが手投げ弾だと理解したとき、辺りが完全な空白に染まった。
 激しい閃光と爆発音で相手の動きを封じるために使用するもので、殺傷能力はない。そう理解はしたが、強烈な耳鳴りと明滅する視界。眼球の奥が潰されるような痛みを、頭を押さえてただ耐えるしかなかった。
 持ち前の回復力で常人よりも早く戻った視覚と聴覚だったが、それでも逃げるには十分な時間だったらしい。すでにランスロットの姿はない。あの、二体のネフィリムの姿も。
 逃走のために使ったのがスモーク弾の類ではなく、閃光弾だったのは相手にとって運が良かったと言える。五感のほとんどを奪われてしまえば、セツナの索敵能力も封じられてしまう。その他大勢のいる街中に紛れられては、今更特定の人間の気配を辿るのは不可能だった。

「……っくそ」
「まだ仲間がいたみたいですね」

 割られた窓を見つめたまま、ウェイルが呟いた。平然としているが恐らくはセツナ同様、彼の胸中にも悔しさがあるだろう。
 舌打ちを隠さないセツナの肩にそっと触れる手があった。

「セツナ、傷の手当を」

 血を吸って真っ赤に染まったセツナのシャツのボタンを外していくエリアの眉間には、深い皺が刻まれている。小さな額からは脂汗が滲んでいた。恐らくはまだ頭痛と耳鳴りがするのだろう。それでも真っ先にセツナの身を案じてくれる。
 苛立っていたセツナの闘争本能が、すっと和らいだ。
 癒しの光が心地いい。セツナは一先ず幕が下りた戦いに、ほっと息を吐いた。

 









 人気の無い薄暗い路地で座り込み、ランスロットは息を吐いた。
 いまだ治まらない激しい動悸に胸元を掴み、呼吸を整えることに必死だった。
 今いる自分は現実か、幻想か。曖昧な境界線の中で、今に縋ろうと努めて思考を回転させる。
 力ではこちらが上回っていたようだが、ことごとく捌かれた。剣術の腕はあちらの方が優れているという事だろう。
 実力が拮抗、ないしは上のミリティアとの戦闘は初めてだ。決して、引けを取っている訳ではなかった。それもあの処刑人と。
 喉の奥からこみ上げそうになる笑いをなんとか飲み込む。
 認めたくはないが、あのとき刃を交えるごとに高揚していく自分がいた。けだもののような感情を抱く自分に対して沸くのは嫌悪感。だが受け入れてしまえば、もっと楽に戦うことが出来るだろう。
 初めからこうしておけば良かったのだ。
 世界を覆せる力。夢でも幻想でもなく、確かにこの手にはあるのだ。
 気付くのが遅過ぎてしまった。
 自嘲の笑みを浮かべかけ、ランスロットの内心にはお構いなしに突然伸びてきた腕によって強引に壁へ叩きつけられる。

「予定に無い行動をするな」

 本気の怒りを滲ませて、オーウェンはランスロットを詰った。打ち付けられた時の衝撃の強さからも、その度合いは相当なものだと分かる。
 腹が立ったのは無茶をした自分を案じてか。それとも、自分の身に何かあれば目的を達成することができなくなるからか。どちらであったとしても、ランスロットにとってはどうでもいい事だが。
 他のことを考えていたのが分かったのか、掴まれた胸倉にいっそう力が篭る。首を締め上げられているも同然で、思わず顔が歪む。
 オーウェンは力がある方だ。その苦痛をあえて抵抗せず受け入れる。そのまま睨み合い、しばらくして先に折れたのはオーウェンの方だった。
 あからさまに溜息を吐くと、あっさりと手を離した。

「もういいのか?」

 首元を押さえつつ嫌味ったらしく笑うと、オーウェンは一瞬表情を大きく顰めた。不貞腐れたように舌打ちをして、がりがりと苛立たしげに頭をかいた。

「あそこでわざわざ名乗ったのも、お前なりに理由があったんだろ」
「別に深い意味は無い」

 あっさりと返ってきたランスロットの言葉の意味を理解するのに時間を要したのか、オーウェンからの反応はない。ランスロットは構わず続ける。

「なんとなくそうした方がいいと思った」
「……は?」

 ようやく出てきたのは何とも間抜けな言葉だった。
 ただの勘だ、と唇に笑みを刻みながら言うランスロットに、オーウェンは呆れて閉口するしかない。

「ああ悪かったと思ってるよ。そう怒るな、収穫はあった」

 怪訝そうに顔を顰めるオーウェンに続ける。

「あの英雄殿に匹敵する逸材を見つけた」
「……何?」
「上手くすれば、あっちを狙うよりも事は楽に済むぞ」

 どこか的を得ない表情を浮かべるオーウェンに、ランスロットは笑う。
 軍人とは思えない容姿をした女だと思った。しかしそれもミリティアなのだとしたら、納得がいく。
 小柄な体には見合わないほど、他を圧倒させるほど強大な魔力。ミリティアでもあれほどの者はそうそういない。にもかかわらず当の本人にその自覚は無く、それでいてまだ未成熟な力だと感じた。こういうときが最も危うい状態だろう。
 だが好都合だ。
 不安定な者の方が、降すのは容易い。







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