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約束の地は、遥か遠く 2-4 





「俺よりも遅い到着とは、随分な事だな」

 会議室へ到着して早々、険のある言葉が降りかかる。
 向かい合って座るよう並べられた長机の議長席側に、今朝会ったランベルトが座っていた。隣の席にいた秘書のラシェルが、視線を下に向けたまま小さく会釈する。
 市からの依頼になるため、代表者の役割として彼が来たのだろう。仕方の無い事とは言え、この人物がいるだけでモチベーションが下がる程には不躾な態度だった。

「タイミングとしてはちょうど良かったんじゃありませんか?」

 対するウェイルは、辛辣な嫌味に怯むどころかいつもの笑みを湛えたままだ。
 どうも、形勢はウェイルの方がいくつか上らしい。
 ランベルトのこめかみがひくついたのが見えたが、水面下に見え隠れする険悪な空気に巻き込まれたくないセツナは気付かないふりをする。
 気を逸らそうと、改めて周囲を見渡してみる。
 テレビの宣伝でも見覚えがあるような大手企業から、おそらくは個人経営だろうと予想できる聞き覚えのない社名が刻まれたネームプレートがテーブルに置かれている。
 ネームプレートで割り当てられた席にはスーツを着たフォーマルな装いの人物が着席しているが、各々彼ら傍らには武器を携帯した比較的動きやすさ重視の服装の人物が控えていた。各社の代表者と、その戦闘員だろう。会議の場にしては異色な光景だ。
 突然現れたウェイルに、会場が騒然とした雰囲気になるのをセツナは感じた。

「初めまして、と言うべきでしょうか。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが私は特務師団師師団長を務めておりますウェイル・フォーテルと申します。そしてこの二名は今回の事件に居合わせた者たちです」

 人前で喋る事に慣れた様子で言い切ると、ウェイルはセツナの背を軽く押し出す。

「彼らは私直属の部下でもありますので、上司である私も参加させて頂いた所存です」

 どうぞよろしく、とにっこり微笑んだ。
 その言葉に案の定と言うべきか、一同の視線が二人に集中する。
 ウェイルがミリティアであると言うのは、周知の事実である。その彼が率いる部隊が、ミリティアたちを集めた部隊である事も。
 皆の視線は総じて好奇の色。珍獣じゃねえよ、とセツナは内心悪態をつく。

「じゃーあんたら噂の人間兵器ってこと?」

 一人の男の発言が、場の空気を打ち消した。
 ある程度の装備を身に着けている風貌や体格からして戦闘員だろう。明るいオレンジ色の髪は染めているのか、根元の方は黒くなっている。
 同僚らしき女性が小声で制止しているが、お構いなしの様子だった。
 どうしようかと逡巡し、セツナは控え目に首を縦に振った。

「一応、そういう事になるけど」
「へえ……、強いの?」

 不躾な質問だが、セツナはあまり不快には思わなかった。こちらを見る彼の瞳が、悪意は無くただ純粋な好奇心で輝いていたのが分かったからだ。
 しかし、強いの? と聞かれ、否定するのも肯定するのもおかしい気がする。
 セツナが困っていると、青年が所属する企業の代表者らしき人物が鋭い動きで頭を叩いた。あまりにも大きな音で、かなり痛いだろうと予想できた。

「痛えよ社長!」
「お前は少し黙っていろ馬鹿者。……うちの者の失礼な発言、申し訳ない。どうぞ無視してください」

 セツナは思わず苦笑いを浮かべ、気にしてないと意を込めて首を小さく左右に振る。
 同時に、遅れて入ってきた人物が目に入った。
 セツナがいた位置からちょうど反対側の扉だったため気がついたが、周囲の者は気にも留めない。彼があまりにも気配を殺し周囲に溶け込むことに長けているのだ。
 青年は出入り口から近い、テーブルの一番端へ着席した。
 何故か怪しげにフードを目深に被り顔を隠しているが、隙間から覗く赤い髪や背格好には覚えがある。先ほど、来る途中でぶつかりかけた青年ではないだろうかと思った。

「時間だな」

 ランベルトが呟いた。
 心得たように、ウェイルも背後で直立したままだったセツナたち二人に目配せする。二人は、彼の指示で静かに着席する。

「本日諸君等に集まってもらった理由はすでに通達しているだろう」

 言いながら、ランベルトは何かを含ませるように辺周囲を睨め付けた。

「これは政府からの依頼と考えてもらって構わない。それでも辞退を希望する者は、速やかにこの場から退席していただこう」

 当然と言うべきか、この場から動いた者は一人もいなかった。
 政府からの依頼と念押しされて、席を立てる者がどこにいるだろう。いるとするなら、それはよっぽど度胸のある者か、建て前を理解できない能天気な人物くらいだ。
 拒否すれば何かしらのペナルティがあるだろうことは予想できる。それも、政府からのものとなると軽んじていいものとは思えない。
 これではほぼ拒否権は無いではないか。
 セツナは民間の彼らとは立場が違えど、この傲慢さに感じている嫌悪感は同じだろうと思えた。

「ランベルト殿がおっしゃられた通り、あなた方にはすでに通達があったと思います。昨日白昼堂々と魔法を放った輩の手から、力なき市民たちの警護を依頼したい。もちろん、犯人逮捕に貢献すれば懸賞金も上乗せしましょう。
 まず、ネフィリムとはどのような術式かについてですが」

 一旦言葉を区切り、ウェイルは小さな端末を操作する。
 部屋の正面位置に設置されてあった映像パネルが点る。文字と幾何学文様、魔法を構築するための術式だったが見ただけで理解するのは複雑すぎて困難だろう。それほど大規模な術式と言う事だ。

「この術式は人間に限らず、生物を他のものへ書き換える。筋力、魔力の急激な増加に伴い形象の変化が起こる。しかし超人的な力を得ると同時に、自我は完全に崩壊する。術の依り代となった人間はただ暴れるだけのバーサーカーとなります」

 バーサーカー。狂戦士とは、よくオブラートに包んだものである。あれは最早モンスターだろう。元人間の。

「崩壊した自我を取り戻すことは不可能です。依り代となった時点で個人としては死んだも同然。躊躇わず戦ってください」

 何でもない体を装いながら、セツナは内心ではなんだ、と拍子抜けした思いでいた。
 散々他人を脅かしておいて、結局はウェイルが詳しい説明を行ってくれるようだ。術式に関する専門的な説明なら、魔法に秀でおまけに頭も良いウェイルが行った方がいいのは当然と言えるが。
 ウェイルは基本的に人が良いが、悪くもある。特にセツナに対してはそれが顕著に出ている様にも感じられる。
 要するに、またからかわれたという訳か。
 コノヤロウ、と憎しみを込めて心の中で呟くくらいは許されてもいいだろうとセツナは思う。
 しかしウェイルの長い話を聞き流していれば、流石に睡魔が襲ってきた。
 隣の席の相方はと言うと、背筋を伸ばして座り顎を引き瞳を閉じた姿は非常に凛とした佇まいで軍人然としており、見る者を魅了する。途中であんなことを言っていたが、真面目に話を聞いているようだ。
 だったら彼女を見習わなければ上官として恥ずかしいかな……と、関心したところで微かに、本当に微かに聞こえてくるのはどう考えても規則正しい呼吸の音。

(って、寝てんのかよ!!)

 居眠り常習犯上級者のテクニックをまざまざと見せ付けられ、セツナは激しく動揺した。もちろん、内心で。
 会議の内容は右から左と言う自身の不真面目な態度には気づかず完全に気が逸れていたセツナは、一人の男性が挙手したことで正気に戻った。

「ネフィリムとやらで変質した人間は自我を失うそうだが、どこかへ逃走し現在も行方不明だと聞いている。それは術者の命令によるものということか?」

 思いがけない質問にウェイルは目を丸くしていた。発言者は先ほどのオレンジ頭を叱った社長だった。
 机に立てられたネームプレートには、ウィングフィールド民間警備会社とある。

「そうですね。術者は現状二体のネフィリムを使役していると考えていい」

 要するに、と質問の本質に気が付いたウェイルは続ける。

「ネフィリムが制御下におけるかどうかは、術者の腕次第です。ならば、今回の首謀者はかなりの腕を持った魔術士であることは間違いないでしょう。心して、事に当たっていただきたい」

 ウェイルの気迫に押されてか、誰もが息を飲んだ。
 緊張感に支配されかけていた空気を、嘲る様な鼻を鳴らす声が打ち消した。静寂の中で、その声は余計に際立つ。先ほど最後に入室してきた男だった。




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