ウェイルが公式な場へ出向くような時は、大抵護衛を連れて歩く。
しかし、いくら普段は執務用のデスクでふんぞり返っている彼も、本来そんなもの無くとも自身の身くらい自分で守ることが出来る。それは一個師団を束ねるトップと言う高階級の立場上連れている、形ばかりの護衛役と言えた。
セツナはいつもの冗談だろう思っていたが、本当に自分たち以外に着いて来ている者が誰もいなかったので、あながち冗談でもなかったのかもしれない。制服で、と指定された理由も納得がいった。
こういう形でも取らなければ、没収されていた武器は返って来なかっただろう。
ただ、気遣いはありがたいが、どうしても彼が持つ特権を乱用している様に感じてしまう。
自身が負う辛苦について、本人から語られる事は無い。しかし、ウェイルは無茶をしている。
任務に関しては冷徹で容赦ないが、その反面、かなり部下想いな面もある。いや、部下と言うよりは、ミリティアと言う同じ境遇の同胞に対してか――。
人にはお人好しだのと揶揄しておきながら、自分はどうだ。セツナは呆れ半分、革張りの上等な感触のする座席に身を沈めた。
「お疲れですか?」
助手席側に座るウェイルが、ため息混じりのセツナをからかうように笑う。セツナの内心を分かった上で言うのだ。
せめて視線だけでも反撃しておこうと、アクセルを踏みつつ根性の悪い上司を横目で睨む。
「運転中に余所見とは、随分余裕ですね」
セツナの視線を涼しい顔で受け流すウェイルに指摘され、慌てて前へ向き直る。
形ばかりとは言え護衛役と言う名目がある以上、運転はセツナが担当することになった。
運転するのはそうそう乗る機会の無い高級車だ。
もしどこか擦りでもしたら、修理費はどれぐらいかるだろう。給料から天引きされては今後の生活に差し支える。
完全敗北した気分に、セツナは内心で悪態をついた。
「ところでお前、今回は何しに行くんだ?」
セツナはわざとらしさを自覚しつつも、苦し紛れに話題を逸らした。勝てない戦はするべきではない。
セツナが今ハンドルを切って向かうのは、セントラルタワーと呼ばれるこの都市で最も高い超高層ビルだ。
何かの会議であることは分かるが、内容までは聞かされていない。
ただ、軍の施設外まで出向き会議に参加する事は滅多に無いことだ。
「そういえばまだ言ってなかったですね。それに、メインとなるのは僕ではなくあなたたちですし」
「は?」
しっかり前を見ようと決意した矢先、セツナは首ごとウェイルへ顔を向けていた。
ウェイルは前を見なさい、と呆れた様に呟いた。
「昨日の事件、民間人の警護に民間の警備会社も参加することになったそうです。今日はその対策会議が開かれる。そこで、実際に対峙したあなたたちの話を聞きたい、と。僕はそんなあなたたちに付き添う保護者みたいなものです」
「そう言うことはもっと早く言ってくれないかな!?」
やれやれ、と、さもお前たちには苦労させられていると言わんばかりに肩を竦めるウェイルに、セツナは叫ぶ。
資料や原稿など渡された覚えは一切ない。事件の概要をチラッと聞いただけのこの状態で、何を話せと言うのか。
「あり得ねえ……。何があり得ないって、そういう大事な事を直前になっていきなり言うお前の無神経さがあり得ねぇ」
「大丈夫ですって。聞かれた事だけ素直に答えたらいいんですから。何なら、エリアに任せます?」
ルームミラー越しに、後部座席で静かに座っていたエリアを見る。黙っていれば他者を虜にする愛くるしい美貌が、きょとんと小首を傾げた。
「却下だ。いいよもう。適当に喋ればいいんだろ喋れば」
「僕もその方がいいと思います」
ウェイルが静かに呟いた。
何か、嫌な流れだった。
セツナが何の心の準備も無しに突然連れて来られた事に対する文句は、この際置いておく。
この国で英雄的扱いをされているウェイルは別だが、ミリティアが民間の前へ姿を見せる事は今まで無かった。
戦争が生んだ負の遺産である生きた兵器を、ひた隠しにしたい国の意向でもある。世間の間では都市伝説ではと囁かれるくらいになって来たと言うのに。それが、今回になって表へ引っ張り出されるとは。
ウェイルは何も言わないが、そうせざるを得ないほど、事態が拗れていることが窺えた。
民衆の目に晒し者になり、周囲を宥めて来いとのことだろうか。
その際同じ条件下において、平凡な外見のセツナと、見目麗しい外見のエリアが並んだ場合、どちらが好奇の目を引くかは考えるまでも無い。
「……なあ、エリアは連れて来なくても良かったんじゃないか?」
「それを聞いて、納得する様な子ですか?」
もう一度背後を確認すれば、エリアは案の定むすっとした様子でセツナに無言の抗議を送っている。セツナは渇いた笑いを溢した。
「理解できました?」
「……うるさいよ」
素直に同意するのも癪だったので小さく唸る。
目的地が近づいた事を示す道路標識を見逃さなかったセツナは、方向指示器を左へ入れて車線を変更する。
大きな駅が近くにあるだけあり周囲の建物はビルばかりだが、中でも群を抜いて高い建物が見える。さすがこの都市で最も高いビルとされているだけあって、良く目立っていた。
「実は初めて来るんですよね」
やや見上げる様な仕種でウェイルは車の外を見ていた。プライベートで外出する事が滅多に無い、彼らしい発言とも言えた。
「……俺だって見たことくらいしかねえよ」
言いながらハンドルを切る。曲がった先ですぐに駐車場の案内板が見えた。
地下の立体駐車場へ入り、空いたところへ車を停める。地上へ出なくとも、直接建物の中へ出る事が出来る作りになっていた。
ここセントラルタワーは複数の大企業が共同で建設された建物で、一番街のシンボルにもなっている。
地下一階から地上八階までは商業フロアになっており、買い物を楽しむ一般の人々も多く行き交っていた。そこから上のフロアは数多くの企業が入居しており、今回は空いた会議室の一室を借りているそうだ。
「昨日ほどじゃないけど、すげえ人」
セツナはエスカレーターから下の景色を眺める。
黒い軍服は人混みの中でも目立っている気がして、居た堪れない気分だった。ただ、目立つ要因が服装だけではないのもセツナは分かっていた。
「休日最終日ですからね。はぐれないようしっかり着いてきて下さいね」
「……俺は子供か」
ふわふわと柔らかそうな白い髪を弾ませて、ウェイルがセツナに振り向く。
背後では、あくびを浮かべたエリアが大きな赤い瞳に涙を溜めて、それが宝石の様に煌いて見えた。
特務師団きっての美人どころ二人に挟まれれば、例え普通の私服だったとしても目立つのは当たり前だった。
エスカレーターを昇り切り、上層階へ行く為の昇降機を目指す。
初めて来ると言っておきながら、ウェイルの足取りには迷いが無い。しっかり着いて来いといわれた言葉に素直に従い、その背に着いて行く事にする。
しかしセツナの後ろに続くエリアの足取りがどこか覚束ない。
「大丈夫か?」
「ん……、ちょっとねむい」
瞳に溜まった涙を拭いながら、エリアが小さく答えた。
昨夜もぐっすりと健やかに眠っていた様に見えたが、彼女の体のメカニズムは一体どうなっているのかと心配になる。
「会議中に居眠りはするなよ」
「多分むり」
言いながら、再びあくびを浮かべている。
そこは努力しようよ。
セツナが内心溜息を吐いた時、目測を誤り通行人と肩が触れそうになった。
「あ、すみません」
「いえ、こちらこそ」
どこか気怠そうな声音だと思った。
俯き加減だった赤毛の男の顔はよく見えない。しかし、青白い顎のラインに大粒の汗が流れるのは見えた。
体調が悪いのだろうかと心配する間もなく、男はすぐに歩き去ってしまう。
何より。
セツナが気になったのは、彼がセツナたち同様に武器を所持していたことだ。
一般人の目に安易に入らない様に配慮し、目立たない様に工夫して携帯するのが一般的なやり方だ。彼もその例に漏れず外套の下に上手く隠していたが、見る者が見ればすぐに分かる。
恐らくショートソードを腰に二本。そして、銃などの近代的な火器の類ではなく刀剣類の得物という事は、十中八九魔術士だ。
しかし、軍服を身に纏い堂々と武器を持ち歩いている自分たちの現状の方が、よっぽど物騒かと思い直る。
武器を所持している事が別段珍しい訳ではない。魔具が普及しているこのご時勢、戦う事を生業とする魔術士も多い。
「セツナ?」
「悪い、なんでもない」
エリアに呼ばれ、セツナは二人と少し距離が開いていた事に気付き慌てて追いかける。
セツナが一度振り向いた時、男の姿は完全に分からなくなっていた。