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約束の地は、遥か遠く 2-2 





 身支度を整え終えリビングへ顔を出したエリアの表情は、覇気の無い虚ろなものと戻っていた。
 どうして顔を洗って眠くなるのか。
 いつものことながら、セツナはのろのろとイスに座るエリアを横目に内心首を傾げた。
 先に出来上がったサラダとご希望のロイヤルミルクティを差し出すと、エリアは緩慢な動作でカップへと手を伸ばした。一口飲み、ほっとしたように頬を緩ませる。

「おいしい」
「そりゃどうも」

 お互い笑みを浮かべ合った時だった。セツナの携帯がバイブ音と共に鳴る。
 朝の穏やかな空気を打ち壊すそのけたたましい音に、セツナは思わず顔を顰めた。同様に、エリアも眉を寄せる。
 この呼び出し音が鳴った時は、可及的速やかに応答せよ。そう身体に叩き込まれている。
 今日は少し手の込んだ朝食にしようと考えていたが、どうやら変更しなければならないようだ。
 セツナは頭の中でもともと描いていた予定を切り替えながら、テーブルの上で健気に振動を続ける携帯を取りに向かった。











 セツナは久しぶりのネクタイの感触に窮屈さを感じ、無意識に襟に指を掛けた。
 軍の戦闘服を着ることはあれど、公用の制服に袖を通すことはあまりない。
 だが今回の招集は普段の装備に加え制服で、との指定があった。
 謹慎中の、この何とも珍しい指示にあまりいい気はしない。式典用のもっと装飾の付いたものもあるが、そちらではない分まだマシかと割り切った。
 セツナが不審に感じている傍ら、同様に制服に身を包んで隣を歩くエリアは、いつもの感情の読み取れない表情だった。こっそりと盗み見れば、小さく欠伸を浮かべている。
 こんな場所で大した大物っぷりである。
 セツナたちの上司であるウェイルが普段居座る彼の執務室は、軍の本部にある。
 呼び出しを受けた際に向かうのは大体彼の執務室か、もしくは普段詰めている第三基地のミーティングルームだ。
 今回向かったのは、第零地区にある軍の本部。当然のことながら、ここには幹部たちお偉いさん方が多く在籍している。それ故か、いつも堅苦しい空気に包まれている。軍と言う性質上、アットホームな空気が漂っているのもどうかと思うが、息が詰まるのは仕方のないことだった。
 ただ、今日はいつもとどこか様子が違うように感じる。
 廊下ですれ違う者たちは皆、せわしない。独特の重い空気に加え、何故こうも忙しそうなのかとセツナは小首を傾げる。それもすれ違った者の会話が聞こえ、すぐに合点がいった。
 ロゾフ連邦との会談。
 国の主要人物が赴く場の警護は当然の事だが、今回は少々因縁のある相手だ。ニュースでも連日取り上げられていた様に思う。
 政治的な事など、巨大な組織のただの末端でしかないセツナにとってはあずかり知らぬところだ。そんな事よりも、今日は何を食べるかといった身近な事柄の方が市民にとっては重要だろう。
 緊張感が漂う周囲を人事の様に通り過ぎるセツナの前方から、ある男が歩いてくるのが見えた。
 背後には秘書らしい女性を従え、身に着けた上等な素材の服はいくつもの勲章で彩られている。明らかに、セツナよりも身分が上と分かる人物だ。
 男はセツナと目が合うと、もともと不機嫌そうにしていた表情の眉をさらに僅かに顰めた。器用だな、と内心関心したがそれを見せたのは一瞬で、男はすぐに無表情を繕う。
 ランベルト・レイ・フォーテル。
 国王に直々に使えることを許されている、十二騎士と言う血統がある。
 中でも最も有力な位置にいるのが、ウェイルもその血筋であるフォーテル家。彼はその婿養子だ。
 自然の摂理に反したミリティアに対し快い感情を持っていない人物で、昨日ウェイルが溢していた、『あらぬ言いがかりを付けてくる連中』の筆頭である。
 
「……ぁ」

 すれ違い様、ランベルトの後ろに付き従う様に歩く女性が、セツナに気付くと動揺に体を震わせた。その拍子に、持っていたバインダーを手から滑り落とす。
 書類やボールペンまで飛び散り、派手な音が響いた。
 周囲の視線から逃れようとする様に、女性は俯いたまま落とした物を必死で書類を掻き集める。

「大丈夫か、ラシェル」

 セツナは見兼ねて、拾い上げたボールペンを差し出した。
 動揺は残っている様子ながらも、ラシェルと呼んだ内気そうな女性はそのボールペンを受け取る。

「ぁ、ありが」
「ラシェル!」

 何かを言いかけたラシェルを遮る突然の怒鳴り声は、ランベルトのものだった。
 たったの一言。ただのそれだけでラシェルの表情が恐怖に凍ったを、セツナは見た。
 当のランベルトは、何事も無かったかの様にこちらに一瞥をくれただけで颯爽と歩き去ってゆく。ラシェルはその背を、必死に追いかけていった。
 廊下の向こうへ消える二人を見送り、セツナは小さく溜息を吐いた。余計なことをしたかもしれない。彼女に何もなければいいが。

「俺たちも行こうか」

 エリアは一連の出来事をただ傍観するに徹していたが、ミリティアの確執が興味無くともランベルトに不快感を露わにしていた。そんな彼女を宥めるように先を促す。
 少し歩けば、すぐに目的のドアの前へ辿り着いた。
 ノックをして扉を開け、形式ばかりの敬礼をして部屋へ足を踏み入れる。
 書類に目を通していたウェイルが顔を上げた。

「途中でランベルトとすれ違った。また何か嫌味でも言いに来てたのか」
「少々無礼であっても一応身内なので、あまり邪険にしてあげないでください」

 ウェイルは肯定するでもなくただ苦笑いを浮かべた。
 大方、当たりと言う事だろう。原因が自分にある分、セツナは案じずにはいられなかった。
 だが当のウェイルは、不要な心配だとそんなセツナを軽く受け流す。

「ひとまず、昨日預かった魔具を返しますね」

 どうぞ、とにこやかに促された先には、厳重そうな保管箱が無造作に置かれてあった。
 セツナはエリアと顔を見合わせる。二人は不審がりながらも一通り身に着け終えた。
 これでいつもの装備が出来上がったことになる。
 二人の準備が整ったを確認すると、ウェイルが軽い動作で立ち上がる。

「それでは、行きますか」
「は?」

 どこへ。

「どうせ暇なら、僕の護衛係でもしていただこうと思いまして」

 目を点にさせるセツナに、ウェイルは微笑みを浮かべた。







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