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約束の地は、遥か遠く 2-1 




 まともな舗装がなされていない道を走る輸送車にすし詰め状態の子供たちは、身体を揺さぶる無遠慮な振動に耐えていた。
 不快な環境ではあったが、いつもと違うのは取り巻く陰鬱な空気ではなく、皆が皆、どこか浮き足立っているところだろうか。
 ランスロットもその一人だった。
 忙しなく視線を巡らせ、目が合ったカナンも微笑み返す。
 戦争は終わった、そう大人たちから聞かされたのは数日前の事だ。
 難しい事情までは分からなかったが、戦う必要の無くなった子供たちは解放される事になったらしい。命の危険に脅かされ、恐怖に慄きながら日々を送る必要は無くなったのだ。
 この先、自分たちの力で生きていかなくてはならないという不安は確かにあったが、それ以上に皆、期待の方が大きかった。
 この時はまだ。
 ここから先の世界が希望に満ちたものなのだと、子供らしい純粋な心で信じて疑わなかった。
 輸送車から降りてはじめに見た光景に、絶望するまでは。











 翌朝。
 目覚ましのアラームが鳴るよりも早く、セツナの意識は自然と浮上していた。
 カーテンの隙間から差し込む光は明るい。まだ早朝と言える時刻だが、日は完全に昇っているようだった。
 自身の体の左側にかかる重みに違和感を感じ、ゆっくりと首を動かしてみる。すると、セツナの肩辺りを枕に健やかに眠るエリアの頭が目に入った。
 押し切られて同じベッドで寝る事が増えたが、セツナから良しと言う事はまずない。自分たちは異性同士、セツナとしては一応気を使っているのだ。
 しかし、昨日は彼女に随分と心配をかけた。その負い目があった。眉尻を下げ、上目遣いにじっと見詰められれば、厳しく駄目だ、と言う事も出来なくなる。
 今回くらい小言は無しで、真っ直ぐベッドへ向かう事にしたのが昨夜のセツナの、微笑ましくも小さな葛藤だった。
 ただ。

(そこは昨日、怪我したところですよエリアさん……)

 心中で呟くも通じるはずもなく。
 エリアはそんなこと知ったこっちゃねぇと言わんばかりに、セツナが風穴を開けた左の肩付近へ頭を乗せ、抱き枕よろしくぴったりと引っ付いている。
 子供の様な寝顔を見ていれば、思わず笑みが零れた。彼女は放って置くと本当によく眠る。 
 しかしずっとこのままでいる訳にもいかない為、セツナは意を決するように小さく溜息を吐く。
 起こしてしまわないよう慎重にベッドから抜け出し、物音を出来る限り殺してのそりと向かうのは洗面台のある脱衣所へ。
 歯と顔を洗い、ぼさぼさだった髪を適当に整えた後で一息。起き抜けでぼんやりとしていた意識はその間に完全に覚醒した。
 鏡に映る自分は特に顔色が悪い訳でもなければクマもない、健康そのもの。
 生まれて二十数年連れ添ってきた、自分で称するのも複雑な平凡な顔立ちがそこにはあった。
 気持ちの揺らぎによって変化する体質の瞳の色は、今は暗い琥珀色だ。
 自身のコンディションに特に異常がない事を改めて確認し、セツナはおもむろに、着ていたティーシャツに手を掛けると一気に脱ぎ捨てる。
 露わになった体は、一部が包帯で隠れている状態だった。
 一般的に見れば決して華奢ではないが、特別大柄という訳でもない。
 ミリティアの仲間たちの中で比べれば、セツナは細い方に分類された。
 前衛を務めるには少し華奢だとよく言われている事だ。しかし、努力はしてもここから先、なかなか筋肉が付かなかった。
 セツナよりも遥かに華奢なエリアの瞬間的に発揮する膂力は、男の自分よりも遥かに上回る。
 見た目は可憐な女性でも、蓋を開けてみればゴリラ並、というのが事実。そこからも分かる通り、ミリティアにとって体格云々、男女の性差はあまり問題にならない。
 そもそも、大気の魔法を駆使した戦法において、これ以上ウエイトを増やしてしまえばセツナの最大の武器であるスピードが殺されてしまう。
 華奢過ぎず、重過ぎず。
 セツナの体型は、現在がベストの状態である事は確実だ。
 これは単純に、セツナにとって気に入らない問題なだけで。
 マイナスな思考を振り払うように、次は体に巻かれた包帯へ手を伸ばす。昨日手当てしてもらった時のものだ。
 一々丁寧に外すのも面倒なので、ハサミを使って一気に切り裂いた。患部に張り付けてあった治癒促進パッチも外し、一緒にゴミ箱へ。

 顔を見せた怪我は、昨日の今日だと言うのにほとんど塞がりかけていた。

 動かせば痛むし、無理をすれば再び出血するかもしれない。これでも、昨日は貫通していた訳だから。
 だがその面影は一切ない。これなばら縫合糸ももう必要ないだろうと思えた。
 驚異的としか言いようが無い回復速度。自分が普通の人間ではないと言う事実を、嫌でも思い知らされる瞬間だった。
 手術によって作られた、自然の摂理から外れた歪んだ肉体だ。
 ヒトを凌駕する能力を持った人間兵器ミリティアの、最も特異な部分はこの生命力かもしれない。
 戦場で血を吐きながらも尚、戦い続ける姿は壮絶だ。
 手足がもげ、折れた肋骨が肺を突き破り、破れた腹から内臓が零れていようとも、簡単には死なない。
 言い換えれば、その程度の負傷では死ねないのだ。
 この、人間と言うよりもどちらかと言えば化け物染みた自分の肉体が気持ち悪いと思う事もあった。しかし適応力とは恐ろしいもので、それすらもとうの昔に慣れてしまった。
 ミリティアの肉体を持った自分は、こうして一つ一つ鈍感になっていく。
 “普通”の人間としての感覚。血を流す痛み、この手で奪ってきた、誰かの命すらも――。
 鮮やかさを増した自分の瞳を見て、溜息を落とした。
 こんな事を気に病む時期は、とうに過ぎた。
 どれだけ厭忌したとしても過去は変えられない。
 それに、ミリティアになった自分を後悔している訳でもなければ、嫌悪しているわけでもない。力がなければ守れないものもある。
 ただなんとなく。思い出してしまっただけで。
 昨日少しだけエリアに話した過去の自分の事。セツナ本人が思っている以上に、気にしていたのかもしれない。
 こんな自分はらしくない。
 これから課せられる事は大体察しが付く。
 自分で蒔いた種は自分で処理しなければ。
 もとより覚悟の上だ。
 だが、エリアの事だけは、何が何でも自分が守り抜く。いつまでも腑抜けた面ではいられない。
 ――そうだろう?
 セツナは軽く自分の頬を叩いた。いい加減に身支度をしなければ。
 脱いだティーシャツとスウェットを洗濯機へ突っ込み、パンツ一枚というあられもない姿になった時。脱衣所の扉が唐突に開いた。
 びくりと振り向けば、開いた扉の先にはエリアが立っていた。
 いつもの彼女なら確実に寝ている時間なので、完全に油断していたのだった。
 見詰め合うことしばし。

「お、おはよう」

 どうするべきか、沈黙に耐えかねたセツナが先に声を発した。

「おはよ」

 呂律の回っていない、小さなあいさつが帰ってきた。まだ半分ほどは夢の中、といったところだろうか。
 ずいぶんと早いな、などと何気なく話しかけてみても、唸り声に似た
 ふいに胸元へ、白い手が伸びてきて、心臓が跳ねた。
 素肌へ直接触れる細い指先の、少しひんやりとした感触に内心動揺するセツナだったが、つい今の今まで焦点の合っていなかった彼女の瞳に生気が宿っていることに気がついた。
 エリアの視線は、晒されたままだったセツナの傷口へ向けられていた。

「痛む?」
「いや、もう大丈夫だ」
「そう……」

 正直に答えたセツナだが、エリアの表情は晴れない。
 エリアの自己嫌悪を促す要因となっているであろうこの怪我を彼女の視界に入れないよう、セツナは早々に服を着た。
 いつまでも立ち尽くしたまま落ち込んでいる様子の相棒に、小さく苦笑する。
 むに、と。唐突に白い頬を摘まんでやると、エリアが瞳を見開いて、セツナを見上げてきた。
 深紅の綺麗な瞳に別の感情を宿らせる事に成功したセツナは、得意気に笑う。

「ほら、いつまでも突っ立ってないで顔でも洗えよ。俺は朝ごはん準備してくるから。エリアは何飲みたい? 紅茶? コーヒー?」
「……紅茶。ミルクも入れて」
「了解。いつものやつな」

 いつもの調子を取り戻したエリアが、小さく頷いた。







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