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約束の地は、遥か遠く 1-9 




「何だよ」
「随分ですね。不慮の事故に巻き込まれて負傷した部下を心配して来たんじゃないですか」

 ぼすり、と。顔面に投げつけられた紙袋の思わぬ衝撃に、セツナは仰け反った。
 恐る恐る中身を確認してみると、中には新品のシャツとスラックスが入っていた。これは? と視線で問えば、ウェイルは呆れた笑みを浮かべる。

「血塗れの服で外をほっつき歩いていれば完全に不審者ですからね。帰る時はそれに着替えなさい」
「……悪い」

 思わぬ気遣いに殊勝な顔で素直に礼を述べたセツナだったが、どこか違和感を感じて内心首を傾げる。
 その違和感の正体は、すぐにマリーが解決してくれた。

「おいおい、体に風穴開けてる重傷者に自力で帰宅しろってか。鬼畜だねー」

 それだ。
 胸のつかえがとれた様な気分に思わず指を鳴らしたくなる。しかし、同時につい先ほどその重傷者の傷口を容赦なく痛めつけたあんたが言うな、とも思う。

「……で、お前ほんと何しに来たんだよ」

 もう誰も信じられないような面持ちで二人を睨みながら、セツナは憮然と呟いた。
 部下に着替えを届ける為に、わざわざ自らの足を運ぶほどの暇がウェイルの立場に無いことは分かっていた。
 だとすれば、彼がここへ来たのにはもっと別の理由がある。
 本題を急かされたウェイルは小さく肩を竦めた。
 どっちつかずなその態度。セツナは眉尻を下げ、恐る恐る尋ねた。

「もしかして、結構マズいことになった?」
「今のところは、何とも。あらぬ言い掛かりをつけてくる連中がいましたが僕が黙らせてきました」

 例えば、とウェイルは言葉を付け足す。

「今回の事件は、ミリティアたちが仕組んだことではないのか、とかね」
「まだそういう揉め事があるの?」
「それがあるんですよね。困ったことに」
「面倒なこと」

 ふぅん、とマリーは気の無い相槌を打った。
 二人とも口調こそにこやかなやり取りだが、聞いていたセツナは顔を顰めていた。
 エリアを戦闘に参加させたくなかったのも、魔法は使うなと釘を刺したのも。全てはこの為だった。
 こちらとて命を張っているにも関わらず、あんまりな言いがかりである。
 だが、ミリティアの存在を良く思っていない者たちも確かに存在する。
 セツナは自分一人が何と言われようが構わない。しかし、そう言ったいざこざにエリアを巻き込むことだけはしたくは無かった。
 ミリティアと呼ばれる強化兵士が持つ力は、ヒトの範疇から逸脱している。
 到達者であれば、たった一人で一国の軍事力を覆す程の力を持っていると言っても過言ではない。
 そんな、常軌を逸した力を持った者たちが集まるこの部隊が異常な存在であるのと同時に、他勢力から危険視されていてもおかしくはなかった。
 そんな彼らが自由に街中を歩けるのは、様々な制約があり、それを守ってこそなのだ。その一つが、魔法である。
 ミリティアが魔法を必要とする場合、必ずを承認を得る事。セツナはその重大な規則違反を犯した。
 内容の程度によっては、セツナ達だけの問題ではなくなる。

「怪我人は出ましたが死者はいなかった。これはあなた達のおかげです。それに、市民たちからはあなた達を擁護する様な証言ばかりですから。まあそこまで大事にはいたらないと思いますよ」

 ただ、と。ウェイルは僅かに言い淀む。

「ネフィリムですが、今回発現したのは一体だけでは無かった」
「何?」
「あなた達が遭遇した場所からはまた別の場所で、同時に二体。いずれも人が集まるような施設ばかり。その惨状は、酷い物でした」

 一般人が多く集まる場所であのような怪物が暴れ回ったら。それは想像に難くない。

「他二カ所で暴れていたネフィリムは、ある程度殺戮を行うとその場から逃げたそうです」
「待てよ。じゃあ二体の怪物が今もどっかでほっつき歩いてるって事かよ」

 腰を浮かしかけたセツナを、ウェイルは片手で制した。

「セツナ。言うまでも無いとは思いますが、これは明らかに何者かの手によるテロ行為です。ただ偶然に巻き込まれただけにしては、事は大きくなるかもしれませんよ」

 鋭い視線で、ウェイルはセツナを見た。
 それは、出撃命令を下す時の彼に似ていた。しかしすぐに穏やかなものへと戻る。

「ま、話がややこしくなるのはこれからだと思います。今後の指示が出るまでセツナ達は待機していてください。あ、ちなみに武器は全て没収させていただきますので」
「ああ、忠告ご苦労。好きに持ってけ」

 セツナはドアノブへ手を掛けるウェイルを追い払う様に手を振る。
 ちょうどドアが開いたタイミングで、フィズが顔を出した。

「あれ、ウェイルもう帰っちゃうの? せっかくコーヒー淹れたのに」
「すみません、とても魅力的なんですがもう少し事後処理が残っているものですから。またの機会に、ゆっくりと」

 それでは、と言い残しウェイルは颯爽と部屋を後にする。
 ドアの閉じる音が、小さく響いた。

「あの……、ごめんなさい」

 生まれた沈黙を破る小さな謝罪に、セツナは疑問符を浮かべた。

「なんでお前が誤るんだ?」
「私が、勧めたから……」

 なるほど、とセツナは胸中で呟いた。
 確かにあそこへ行けと言ったのは彼女だ。それに負い目を感じているのは分かる。
 しかし、それもいらぬ心配というものだ。

「気にするな。俺たちがあそこにいたから被害も少なくて済んだんだ。お前のお蔭で、みんな助かったんだよ」

 セツナも思わず笑みを零した。
 細やかな気配りに、誠実な言葉。ここにきて初めてまともな扱いを受けた気がする。
 特殊な環境だからなのか。どうも変人と言うか、個性的というか。あくが強い人間が多くて困る。
 フィズの心遣いにセツナが傷ついた心を癒されている気分になっていると、マリーが見事に打ち消した。

「そうだよフィズ。これに心配なんてするだけ無駄だから。こちらがどれだけ気遣おうと、どこかで勝手に正義感振りかざして、勝手に怪我して死ぬのよ。そしてそれを良しとしている。この手のタイプはね」
「酷ぇ」

 セツナは憮然と呟きながら、フィズが淹れてくれたコーヒーを啜る。しかしマリーは容赦が無い。

「事実だろう。それにこの場合、酷いのはどちらかな」
「何がだよ」
「あまり他者を泣かすような真似をするなと言っているんだ馬鹿者」
「お、俺は別に……」

 反論しかけて、口篭もる。
 確かに、今回はエリアの気持ちを蔑ろにしてばかりかもしれない。おまけに決して軽くはない怪我を負ってしまった。エリアどころか、フィズにまで心配をかけただろう事は言うまでもない。
 真摯に反省していると、そんなセツナをどう捉えたのか。マリーは何かを思い出したように、セツナの手の平にぽんと何か物を乗せた。

「はいこれ。そんな悩める万年思春期の君にあげよう。遠慮しなくてもいいよ、私には必要ないものだから。わーマリーせんせーやっさしい」

 マリーは語調の全てを同じ調子で言い切った。それは見事な棒読みだった。
 ぎぎぎ、と首の骨から音がしそうな動きで、セツナは手の平に乗るものを確認する。
 正方形の形をした薄っぺらい袋。密閉されていることで浮き上がった中身が、丸い形をしていることが分かる。
 突拍子もないマリーの行動には慣れているが、そう言う時はだいたい碌な事をしない。
 セツナは一気に陰鬱な気持ちになった。

「ドクター、つかぬ事をお伺いしますが」
「なんでも聞いて」

 何でも、ってあんたな……。
 セツナは意を決するように、一度息を吐き出した。

「これは、何でござりましょうや」
「避妊具と言うやつだね」
「……いや、見りゃわかるんですけどね」

 開けっぴろげな物言いに、フィズが赤面している。

「今朝エリアと話してる時にふと気になってね。
 まさかそのままでしているんじゃないだろうね? パートナーの身体を気遣うのならこう言う事はきちんとしないと。こいつなら性病予防にもなる。子どもが欲しいというなら話は別だが、君たちは今そんなつもりなんてないんだろう?」
「…………」
「あの子は君の言う事なら何でも聞くからね。童貞卒業したての少年よろしく、調子に乗ってるんじゃないかと心配だよ」

 どこからそう言う話になったんだろうか。
 もはや他人事の様に思えてきた。
 今度はフィズが汚い物でも見るような目でこちらを見てくる。

「セツナ、あなた……」
「俺は無実だ!」

 セツナは渡された避妊具を握り締めたまま叫ぶと、がたんと音を立てて立ち上がる。

「大体なぁ、あんたこの前もエリアに変なこと吹き込んだだろ」
「この前? 心当たりが多すぎてどれの事やら」

 どちくしょう。

「いいよ、もう。俺も帰る」

 文句を言う気力すらも奪われたセツナは紙袋から白いシャツを取り出し、のろのろと羽織る。
 さすがに女性の目の前でズボンを穿き替える訳にはいかないので、部屋を移ろうと場所を移動する。

「あまり怪我に障るような事はするなよ」

 セツナの背中に、そんな言葉が投げられた。











 ……好き勝手遊ばれた気がする。

 日が沈みかけた時刻。セツナはげっそりとした面持ちで自宅のカードキーをスライドさせた。
 開錠を伝える小さな電子音が響く。
 中へと入り扉を閉めれば、オートロックの掛かる音が僅かに聞こえた。同居人の在宅を部屋が明るいことで確認して、チェーンを通す。
 短い廊下の先はすぐにリビングルームとなっている。更に奥に二部屋ある、2LDKの間取りだった。
 都市部の一角にあるマンションは便利ではあるが、広めな部屋面積のことも相まってやや家賃が高めだ。それも同居人と割り勘であるため、意外となんとかなっている。日当たりも良好で、セツナは気に入っていた。
 ぼろぼろになってしまった服を入れた紙袋を、後で捨てようと考えながら適当に放り投げる。
 零れたのは、小さな溜息。休暇中だというのに、心身ともに磨り減った一日だった。
 今日は早めに寝ようかな、と思案しながらリビングへ足を踏み入れたところで、同居人こと、エリアの無言のお出迎えを受けた。
 見慣れた光景だった。
 エリアは、二人がけソファをベット変わりに横たわり、気持ち良さ気に寝息を立てていた。
 こんなところで寝るくらいなら自分の部屋で寝た方がよっぽどいいはずなのだが。それでも、リビングにいた理由は自惚れでも無くセツナを待っていたからだろうというのが分かるため、咎める気にはならなかった。
 静かに歩み寄り、ソファの隙間に軽く腰掛ける。
 顔に掛かった髪を指先で払い除け、あどけない寝顔に吸い寄せられるように思わず頭を撫でてみる。
 癖のないストレートの髪は艶やかで、さらさらと指通りが良かった。
 頭に触れる手の感触が気になったのか。エリアの体がぴくりと跳ねた。薄っすらと瞳が開き、状況を理解しようと何度も瞬いた。
 セツナは慌てて手を引っ込める。

「……、セツナ?」
「えっと、た、ただいま」

 一人動揺するセツナを他所に、彼の存在に気付くとエリアは弾かれたように起き上がった。
 勢いに圧倒されて、セツナは思わず後ろに体を引く。

「怪我は? 無事なの?」
「この通り」

 セツナは両手を肩の高さまで上げ、元気であることをアピールする。
 しばらく胡乱な瞳で、セツナの全身を上から下までゆっくりと眺める。信用の無さに内心苦笑したが、彼女の好きにさようと思った。そして、二度目の往復にさしかかろうとした所で、エリアの瞳に別の感情が過ぎったことに気が付いた。
 その瞳のまま、エリアはセツナを見上げる。
 そうして見詰め合うこと少し。ことり、と。セツナの肩に、彼女の額が触れた。

「ばか」

 小さな、掠れる様な呟きが、セツナの鼓膜を心地よく振るわせた。
 愛おしさが爆発しそうだった。
 この小さな体を感情のままにかき抱こうと腕を伸ばし、今度はきゅう、と。胃の伸縮運動によって生じた音に挫かれた。
 どちらともなく鳴いたのは、腹の虫だった。
 お互いにきょとんと顔を見合わせて、先に笑ったのはセツナの方だった。

「腹、減ったな。急いで準備するからちょっと待ってて」

 エリアが頷いたのを見届けて、セツナは穏やかな気持ちのまま台所へと向かった。







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