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紅蓮の魔女 4-3 





 地下へと伸びた階段を下り、石造りの廊下を警戒を忘れず慎重に進む。
 隠し扉が表れた時のジェイクの反応と言えば、予想の範疇内とでも言いたげな態度だった。
 彼は殺人事件の犯人確保とはまた別の任務を任されているのではと、ここにきてセツナは感じていた。本人の口から語られる事はないが、彼が調査しなければならない目的の物がここにあるとすれば、自然と警戒心が生まれると言うものだ。
 幸い一定間隔で並ぶ電灯が灯っており、地下とは言え夜目が利くセツナでなくとも視界は問題無く確保できた。

「思ったよか綺麗っつーかなんつーか。黴臭かったりしても嫌だしなー」
「お前はこんな時でも黙ってられないのか……」

 緊張感も何もあったものではない。彼は隠密行動と言うものが出来ないのではないだろうか。

「あんたも今喋ったじゃん。それでチャラってことで」

 ジェイクはにやりと嫌な笑みを浮かべる。
 相手の反応を見て楽しんでいるだけだろう。そんな相手にリアクションを返すのも面倒になり、セツナは溜息を吐いて任務に意識を戻した。
 先ほどジェイクが言った通り。ここまで綺麗な状態ということは、最近までこの地下室は使われていたと言う事だ。益々もって、怪しいことこの上なかった。
 地下は入り組んだ迷宮になっていると言う訳でもなく、単純な一本道になっている。階段が終わり長い廊下を少し歩いたところで、マンションの様にいくつか並んだ扉が見えてきた。それはどれも鉄製で、まるで監獄を思わせた。
 そのうちの一室の前で立ち止まる。
 扉の向こうからは、セツナでも分かる程の魔法の痕跡を感じることが出来た。当然ジェイクも気付いただろう。後ろにいたシェイクに視線で合図を送ると、彼は心得た様に扉を挟んだ反対側へ素早く動く。嫌な予感に心臓が早鐘を打つが、セツナは無視して扉を開け放つ。
 真っ先に鼻に付いた臭いに、セツナは目を細めた。
 室内は、地獄のような光景だった。
 部屋一面に広がる鮮血の赤。元はヒトだったものの四肢や胴体、内臓と言った肉の塊が好き勝手に散らばり血溜まりに浮かぶ。その肉片の他に、鳥の羽らしきものが混ざっているのが特徴的だった。この教会で保護されていた亜人たちのものであることが伺えた。
 血臭の生臭さと、魔法によって焼かれた肉の臭いが混ざり合い、咽そうなほど室内に充満している。
 二人は堪らず腕で口元を覆い、室内へ足を踏み入れる。ぴちゃり、と水音を立てて赤い雫が跳ねたが、一々気にしていては調査はできない。それほどの血溜りだった。
 意識を集中する様に周囲に目を配る。建物ごと破壊してしまわないためか、獲物を逃がさないためか、もしくは両方か。ご丁寧にも、壁には結界を張った術式の形跡が残っていた。
 適当に、もはや肉片としか言えないような死体の近くまで歩み寄り、片膝を折る。改めて観察してみれば、遺体には火傷のような傷があちこちにあった。あの女の、炎の魔法が原因だろう。

「これまた派手に食い散らかしたなぁ。ここまでの衝撃映像は久しぶりかも」

 軽口を叩くジェイクの口の端も、流石に引き攣っている。
 死体はどれが誰なのかも判別が付かない有様だ。何人いたのか。男なのか、女なのか。大人か子供か。果たしてこの中に、シアがいるのかどうかすらも。
 セツナは沈みかけた気持ちを振り払うように立ち上がった。
 今はまだ、何も終わっていないのだから。

「俺は生存者を探してくる」
「りょーかい。俺ももうちょい調べてからそっち行くわ」

 ジェイクと別れ、廊下に出たところで小さく溜め息を吐いた。
 あの部屋は酷い臭いが充満してはいたが、まだ腐敗臭まではしなかった。惨劇からそれほど時間が経っていないことが覗える。
 セツナは奥歯を噛み締める。
 あの時イザベラを取り逃がさなければ、助かった命だった。
 予想していた事ではあるが、目の当たりにするとかなり堪える。
 だが、その時の自分の行動が後々の明暗を分けた事象など何度も体験してきている。一々陰鬱な気持ちに沈み、その場にとどまるような愚は犯せない事も理解していた。
 何故なら、きっとこの事件には、イザベラを操る真似をしていた諸悪の根源がいる。彼女にブースターを渡し殺人を促したであろう人物を捕え、裁きの場へ突き出さなければならない。
 セツナは更に廊下の奥を目指し歩き出す。
 町の人間から忌避されていたであろうイザベラと関わりの合った人間は、教会内という狭いコミュニティに絞って考えられる。容疑者を、そこから更にふるいに掛けるのは容易なことだ。ここの住人はほとんどが殺害されていたのだから。
 しかし果たしてあの状況で、探す前から生存者がいると何故言い切れるだろうか。それは、セツナの異常特化した感覚能力があってこそだ。
 セツナの黒髪が、心なしか逆立つ。
 魔法は使っていない。スペルレスに似た能力だが、それほど高度な技はセツナには扱えない。
 彼を取り巻くのは、純粋な魔力そのもの。
 少し魔力を込めれば、風の属性はすぐにセツナに応えてくれる。地上で生きている以上、大気の恩恵からは逃れられない。どこに身を潜めていようとも、人の僅かな息遣いがある限り大気の流れはそこに発生する。
 次は逃がさない。
 硬い靴底が、床を蹴る毎に硬質な音を奏でる。その気になれば足音を消すことも出来たが、あえて分かりやすいようにしていた。
 一歩進むたび、セツナの瞳の色が鮮やかさを増してゆく。
 冴えた黄金の眼光で、セツナは突き当たり正面に構えている扉を開け放った。
 部屋の中は暗闇。廊下から差し込んだ明かりが唯一の光源だった。中央奥に簡易的な十字架が奉られている。ここは隠れて礼拝を行う為の部屋だったのかもしれない。
 人影はここには見当たらない。だが、確かにいる。

「出てこい」

 セツナの声は、静寂に飲み込まれた。呆れを含んだ溜息が漏れる。
 部屋へと数歩足を踏み入れ、セツナは徐に腕を翳した。短く詠唱し放たれた真空の刃は、祭壇の後ろの石の壁へ当たると弾けた。

「今のはわざと外した。次は当てるぞ」

 既に位置関係を把握している上での警告。だが反応はない。
 もう一度術式を紡ごうとしたところで、セツナは変化に気付き手を止めた。
 祭壇の隅の、死角となる位置から。昨日の夕方に会った暗色の神父服に身を包んだ男が、暗闇から滲み出るように現れた。

「イザベラにブースターを渡したのはあんただな?」
「……まさかとは思っていたが、そこまで感づかれていたか」

 セツナの問いに、神父は表情を歪める。
 自重するような呟きの後、神父は動いた。動きの反応し、セツナも咄嗟に腰を落とす。

「動くなよ」

 剣の柄へと伸ばしていたセツナの手が、ぴくりと反応する。
 神父が引きずり出す様に無理矢理手を引いてきたのは、シアの華奢な腕だった。しかしあの地獄の様な光景から生存していたと、安堵出来る状況では決してなかった。
 まだ幼さの残る顔が、強引に掴まれた痛みに歪む。
 シアの首筋に当てられた注射器の針に、セツナは目を眇めた。見ただけで中身が何か分かる訳はないが、人体に良いものではない事だけは分かった。
 怯えきっているシアは、身を硬直させてぴくりとも動けない状態だった。恐怖に揺れる頼り無げな瞳が、セツナに助けを懇願してくる。
 非道な手段を取る神父の意図に、セツナは奥歯を噛み締めた。

「てめぇ……」
「念のためこのガキを残しておいて正解だった。おっと、動くなと言っただろう」

 神父の言葉を合図にする様に、室内の空気が変わる。
 セツナがいつでも動けるように予め術式を発動していた魔具から、突然反応が消えた。

(アンチスペルか……!)

 悪足掻きに呆れつつも、内心で舌打ちする。
 部屋の四隅に魔法陣が浮かび上がっていた。恐らくはこの室内にいる者の魔法を封じる魔法式だ。このようなトラップを仕掛けていたとは。

「余計なことをされたら困るからな。本部から派遣されてきた凄腕だろうとそう簡単には崩せまい」

 そこをどいてもらおうか、と神父は顎をしゃくる。
 人質がいる以上、逆らうわけにはいかない。セツナはゆっくりと神父の正面から退いた。

「今頃は連れの女も化け物の餌だろうよ。俺が逃げるのをここで惨めに眺めることだな!」

 神父は引き攣った笑い声を上げる。がしかし、唯一の出口であるドア側に焦点を当てた瞳のまま硬直した。

「その化け物の餌っていうのは、もしかして私の事?」

 開いたままだったドアへ気だるげにもたれ掛かるエリアが、そこにはいた。遅れるように、エリアの背後からジェイクも顔を出す。

「ああ悪かったわね話を遮って。続けてかまわないわ」

 どうぞ? と、平然と促すエリアを見て神父は呆けたまま動かない。その代わりに、ジェイクが口を開いた。

「エリアはキッツいねぇ。俺もさぁ、ちょっと聞きたいことあんだけどよ。さっきの部屋で見つけたんだけど……これ、なーんだ」

 ジェイクが掲げて見せたものに、セツナは目を眇める。それは白い錠剤に見えた。

「あらら固まっちゃって。ま、いいけどね。これから存分に話してもらうからな」

 入り口に立っていた二人は室内へ足を踏み入れる。

「待て!」

 叫んだのはセツナだ。
 この室内限定で結界が仕掛けられていることを彼らは知らない。神父が気を取り直した様ににやりと笑みを浮かべた。

「揃いも揃って馬鹿だったようだな!」

 無理矢理締め上げられるシアの顔が苦痛に歪んだ。
 セツナとジェイクが足踏みする中で、それでもエリアは意に介さず歩を進めた。冷淡な瞳で神父を一瞥すると、途端、蔑んだ笑いへと変わる。

「こんなクソみたいな術式で、私がどうにかなるとでも?」

 言葉と同時に、エリアの髪がふわりと逆立つ。青白い閃光が乾いた音を立てて走ると、室内を囲うように展開されていた魔法陣が弾け飛ぶように掻き消えた。
 エリアの強力な魔力を抑え切れず、結界が壊れたのだ。
 あまりに圧倒的な力に驚愕する神父に痺れを切らしたエリアが、溜息混じりに魔法を放った。
 不可視の弾丸が注射器を握っていた右腕に当たり弾ける。
 神父にとっては驚愕の連続だった事だろう。
 何が起こったのか理解できず呆然と動かない神父を好機に、セツナが動いていた。
 大の大人がどさりと音を立てて崩れ落ち、代わりに少女の体を抱き上げていたのはセツナだった。

「お見事な連携だね」

 ジェイクが茶化すように呟いた。お前は何もしてないけどな、とエリアが睨むが、それも飄々と受け流す。
 魔法には詠唱が必要である、というのが一般的な常識だが、この広い世の中には例外も存在する。エリアがその例外だとは知りようもなかったわけだが、完全にその油断が招いた結果である。
 予備動作もなく不意に放たれた魔法をかわすのは難しく、その分切り札になり得るのだ。
 もっとも、彼の思考はすでに止まっていたようだが。

「くだらないことぺらぺら喋ってないで、さっさと逃げればよかったのよ」

 無様に捕らえられた神父を見下ろして、エリアが吐き捨てた。











 マナに侵食された肉体が滅ぶとき、魔力の粒子となって消滅する。
 戦闘によって荒れた礼拝堂には、破壊された家具の破片と大きな十字架以外、なにも残っていなかった。形見となりそうなものすらも。
 辛うじて辺りに魔力の残骸が漂っていたが、それもじきに消えてなくなるだろう。
 セツナの腕からゆっくりと降りたシアは、ふらふらと二、三歩よろめいた。
 途方に暮れた様に立ち尽くし、きらきらと舞う光の粒子を呆然と眺める。

「おかあさん……」

 小さな小さな呟きだった。
 何かが切れた様に、シアはその場にへたり込む。瞳から滴が零れ、次から次へと溢れ出し次第に勢いを増してゆく。
 静かに流れる少女の涙は、美しく舞う光の粒子が完全に消えて無くなるまで止まることは無かった。

 後から来た警察にシアを保護してもらい、事後処理等の面倒な手続きは全てジェイクへ引継いでセツナは一息ついた。

 ミリティアと他機関とのやり取りを円滑に行うのも彼の役目なので、不平を漏らしつつもジェイクは仕事をこなしてくれた。仕事の手際を見れば、彼が優秀な人物であるのは分かった。これで言動さえまともであればと願うばかりだ。
 セツナは壁際で一人、事の成り行きを静かに眺めていただけのエリアに歩み寄った。
 壁にもたれ掛かるエリアの顔色と言えば、血の気が引いて目に見えて蒼白だった。
 もともとが色白のせいで普段から顔色が悪く見える彼女だが、今は輪を掛けて酷かった。目線は一点を見つめたまま動かず、表情は虚ろだ。
 恐らくはイザベラを撃破した時点で彼女の体力は限界だったはずだ。更にその後で、神父を捕らえるために魔法を使っている。涼しい顔で無茶をしていた事は明白だ。
 シアの前だったので無理をしていたのもあるのだろう。彼女がいなくなった今、緊張感の糸がほぐれたようだ。瞳は開いているが、意識はほとんど夢の中なのではないだろうか。

「大丈夫か?」

 緩慢な動作でセツナを見たエリアは問いに答えようとして、一度それを飲み込んだ。とたんに、疲労感を滲ませて表情が歪む。

「ごめん、ちょっとつらい」
「謝らなくていいよ。お前はしばらく休んでろ。怪我の手当てもしないと」

 素直に本音を漏らしたエリアに、セツナは笑みを浮かべた。子ども扱いだろうかと悩んだが、労いにと言うことで頭を撫でる。
 あまり効かないと分かっていながらも、今は治癒術式を発動させた。

「お疲れ様」

 言葉にして伝えると、エリアが僅かに微笑んだ。
 エリアはセツナの魔法と手の平に甘えるように、しばらく瞳を閉じて優しい輝きに身を委ねていた。何故かは分からないが、どこか嬉しそうにしながら。











 帰りの電車の中で揺られながら、セツナは次々流れてゆく外の景色には目もくれず黙々と報告書の下書きを作成していた。
 行きで味わった苦痛を思い返せば、帰り道は電車でよかったと安堵する。
 本来なら報告書は相方と共同作成するのが暗黙のルールとなっていたのだが、前回に引き続き今のところセツナが一人で手を付けていた。
 なるべく早く提出しなければ、遅れた分だけそれをネタにウェイルにいつまでも嫌味を言われるはめになる。内面陰湿なやり口の上司に弱みはあまり見せないに限る、というのがセツナの信条の一つだった。
 目の疲れを感じ、軽く目頭を揉む。何度か瞬きをし前方へ目をやると、向かいの席ではエリアとシアが寄り添うように眠っていた。
 町から出るのが初めてだったらしいシアは、見るもの全てに好奇心を露にしていた。きっと疲れたのだろう。
 微笑ましい光景に、僅かに顔が綻ぶ。
 この穏やかな寝顔を見ていれば、これくらい別にいいかと思えた。
 あまり胸を張って言える事ではないが、この手の、特に亜人の孤児は意外と多い。それは経済水準が高いレヴァニテスでも同じことだった。生活を豊かにするために発展はしてきたが、内側の成長には更に努力が必要なようだ。
 そのためと言えば皮肉でしかないが、彼らを守るための制度がそこそこ整えられているのが救いだった。
 今回シアはその諸々の手続きのため、セツナたちに着いてアスタまで赴くこととなった。
 天涯孤独の身となったシアは、あの後から涙を見せるともなければ、セツナたちに怒りをぶつけることもせず、気丈に振舞っていた。
 ただ、少女なりに何か思うところがあるのか、初めて出会った頃とは見違えるほど、その瞳には生気が宿っていた。この先、少女はどう生きるのか。その目を見れば、何故か大丈夫だろうと思えた。
 セツナが作業に戻ろうとした時、先ほどまで閉じていた少女の目蓋がうっすらと開いた。

「……あ、ごめんなさい勝手に寝てしまって」
「いいよ。まだ先は長いし、疲れてるだろ? 着いたらちゃんと起こすから」
「えと、では、遠慮なく」

 そう言うと、シアははにかむ様に小さく笑みを浮かべた。セツナはその笑みに笑って返してやるとシアは瞳を閉じる。が、再びゆっくりと目を開けた。

「あの……」
「ん? どうした?」

 あんなことがあった後だ。何か不安で寝付けなかったりするのではないかと心配になったセツナだが、どうやら違う様子だった。
 シアは一度躊躇うように口を噤み、そして決心するようにセツナを見上げた。

「ありがとうございました」

 セツナが首を傾げていると、シアは小さく呟いた。

「反転した母を救う方法は、一つしかなかった」

 今回の事件に対するお礼の言葉だと気がついた。
 どんな表情をすればいいだろう。自分が何を言っても、少女を慰める為の言葉を紡ぐことは出来ない気がした。

「俺たちは何も出来なかった。シアは怒りこそすれ、お礼まで言われるのは違う気もするけど……」
「そんなことありません」

 セツナの言葉を遮るようにシアは首を振る。

「大抵、亜人族の間では、反転した者は一族の恥とされます。身内がけじめを付けるのが習わしだったんです。私が、やるべきだったのに……」

 シアは小さくなっていく言葉に合わせるように、段々と俯いていった。
 彼女が言う反転とは、おそらく人間社会で言う中毒者のことだろう。人間種よりも魔法が身近にあった種族だ。人間よりもずっと、中毒に陥った時の身の振り方は心得ていた。

「だから、ありがとうございます」

 そう言って浮かべた笑みは、非常に大人びて見えた。その言葉を素直に受け取ることしか、セツナにはできない。
 言いたいことは言ったとすっきりした面持ちで、シアは再び瞳を閉じる。

 セツナは頬杖をつき、しばらくの間二人の穏やかな寝顔を眺めていた。





――end.




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