ベルが担当するのはアジアとオセアニア。アジアに住んでいる幹部が彼しかいないのですぐに決まった。特に土地柄、日本は仕事がしづらい。人口密度が高いうえ、ユートピアー懐疑派ほど外では擁護を口にしたりするからだ。その妙な機微を認知できる、私という日本人がいることもあって、特に日本の仕事を優先して行え、というのがボスの指示だった。日本人は抵抗しないからぜんぜん面白くない、そう言いながら練習みたいな軽さで仕留めていく。確かに、アンドロイド懐疑派だってアンドロイドみたいな国だ。そう冷静に思ってしまう私を私は振り返る。
「一ヶ月くらい食うに困らない肉量仕留めたんじゃね?しし」
 びっくりするくらいグロテスクなことを軽口のように呟きながら、ナイフを捨てて歩き出す。最近の私の仕事はもっぱらこの捨てられたナイフの回収だ。死体を回収して現場を元通りにする部隊が怪我をしては困るからと勝手にやっている。今のところ誰も文句は言わないし、ナイフは磨いて職人にリサイクルしてもらっている。流行りのエコである。
 ナイフは基本的にどこを触っても皮膚が切れて、なぜベルがこんなものを握れるのかが全く分からないけど、私は他の人よりも傷の治癒がとても早くて、あんまり怪我で苦労をしたことがない。今日も両手に血の滴るほどの傷をつくりながら、まあ帰宅する頃には奇麗に塞がっているだろう、なんて呑気に構えている。10年前は死体回収部隊の一員として同じ仕事をしていたな、と感慨に耽ったりした。

 懐疑派が次々と殺されていく中、ニュースでは別の事件が連日報道されるようになった。「ユートピアーが殺人依頼」と題された事件、ボンゴレではない他のマフィアが復活を企んで、ちいさな暗殺業を始めたらしい。ユートピアーがとうとう本気でおかしくなってしまった、という論調でニュースは進んでいく。
「ユートピアーも目が覚めてきたんじゃね。このまま生き続けても駄目だってアホのオツムでも気づいたんだな、もうおせーけど」
 殺人依頼をする人格はおそらく利他。「生き続けてもつらいから、愛する人にはつらい思いをしてほしくない」と、それこそ他人の幸せを願って依頼するのだろう。ニュースでこそそんな詳細は伝えないけれど、きっとそうだ。「本気でバカの集まりだな、ユートピアー共」協調も劣等もこんな馬鹿げた行動はとらない。心理学会は致命的なミスを冒したようだった。

 その日の夜にはもう追加の指示書が届いていた。予想通り、利他人格を殺せとの命だった。ただユートピアーの行動を見た上で利他を探り当てなければならないため暗殺は困難が予想されるけれど、ベルは別に何の感想もなしに指示書を置いて眠りにいってしまった。どうせ面倒なことには興味がないんだろう。

 朝目覚めると、ベルはもう仕事に出ていていなかった。今日はナイフ回収できないな、と思いながらテレビをぼんやり見つめる。テレビの制作者にももうすでにユートピアーが混ざり込んできているようで、ニュースの締めは必ず「人の気持ちを考えて生きたいですね」とか「世界平和とは何か本気で考えましょう」とか、やたら胡散臭い文言が入るようになってきた。世の中のユートピア化が急速に進んでいる。
 ユートピアランドの最大の特徴はこの胡散臭さで、現実が見えてない。人間の感情の矛盾してるところとか、機微とか、複雑な思いとかが全く理解できていないみたいだった。私はまだユートピアーと会話したことがないから実感を得ることはしていないけれど、こんなふうに単一化されていく世界を、ボンゴレはどうやって元の世界に戻すつもりだろう。もし心理学会のようにどこかで致命的なミスをしていたとしたら、きっと世界は単一化されたまま閉じて死ぬだろう。急に怖くなってきた。

 ユートピアーは食事すらユートピア的で、ジェル状のなんだかよく分からない飲み物みたいなものを摂取する。とある情報によれば無味無臭で、内蔵を疲れさせないことを目的に開発された栄養剤のようなものらしい。
 私は人間だから食事も普通だ。キッチンで豚肉を切りながら、ナイフの傷が治っていることを確認して安堵する。なぜだか、いつも治るはずだと分かっているのに、傷の治りを確認せずにはいられないのが私の癖だった。

 ベルが帰ってきたのは夜中も過ぎた夜明けの時間だったけれど、しかし眠気が吹っ飛んでいるベルがにやにやしながら見つめていたものを覗き込んで、彼がヴァリアーであったことを再確認した。利他のリストであった。
「ちまっこい暗殺業しそうなトコなんてすぐに検討つくだろ。俺だって分かったらあいつら、なんもしなくてもリスト渡してくれたよ、やっさしー」
 こういうときのベルは疲れを一切見せないまま何日でも起きたまま仕事をする。ただ加齢によるものか、うっすらと疲れの見えるベルを私は愛しいと思ってしまった。

 暗殺を依頼してきた利他のリストを頭の中に叩き込んで東京へ。未だに人口密集が止まらないこの地域での仕事はまだ面白い、とベルは好んでこの場所にやってくる。駅構内でひとり、住宅街でひとり、ショッピングセンターでひとり、ホテルの一室でひとり。近くに人がいようといまいと、死体が見つからなければ問題ないわけで、ベルはいつも通り躊躇なく仕事をこなしていく。私はその後ろで血だらけになりながらナイフをかき集める。
 東京での仕事は移動距離がほとんどないので一日あたりの仕事量が普段の数倍上がる。一週間と指示されたはずの東京は二日で終わってしまい、体力の有り余ったベルを無理矢理車に乗せて帰る。と、玄関に溢れんばかりの手紙が積まれていた。ベルは全て無視して家の中へ入ったけれど、私はそのひとつを手に取ってみる。暗殺依頼だった。
 まさかと思いもうひとつ読んでみても暗殺依頼、暗殺依頼、暗殺依頼…。なぜここの居場所が分かったのか?そもそも暗殺依頼はあのマフィアが取り仕切っているのではないのか?派手に積まれた手紙は演出だと取った方が正しいのだろう、何者かが意図してここに置いていったのだろう。

「俺も今見てきたところだぜえ。まったく面倒なことする奴もいたもんだなあ!」
 こわくなってスクアーロに電話するとこれまたベルのように全く意に介していないような返事がかえってきた。「どうせ東京なんてでけえ都市で仕事すりゃどっかのカメラにでも映るだろお。管理者かなんかが金になると思って誰かに売ったんだろうな。俺も昨日まで大都市で仕事してたからなあ、同じ理由だと思うぜえ」
 メールなどの電子ツールは完全な検閲がかかっているから殺人依頼をするには手紙を書くか、直接本人に会いにいくしかない。大量の手紙がまき散らされていたのはそのせいだったのか。
 そうとなれば話は早い。嫌がるベルを説得して手紙をひとつひとつ読んでいった。たいてい文言は判を押したように同じで、「大切な人をこれ以上生かすのはかわいそうだ。殺してやってくれ」ということだった。ベルは文句を言うのにも飽きたようで、黙って依頼人の所在地や名前、殺す相手の容姿などをリスト化していった。ただ15分ほどですぐにその作業にも飽きてどこかへいってしまった。
 このリストで簡単に利他を特定してほぼ完全に殺せるんじゃない?後ろ姿に声をかけてみたけれど、「うっせ」と呟いてドアの向こうへ消えた。もう寝るのかもしれない。
 結局リストは思ったより少なくて、なぜかって、同じ人が何度も何度も手紙を送りつけているようだったから。ひとりで10通送ってくるような人もいた。奇妙でいて同時に切実なその思いを考えているとわけが分からなくなってくるけれど、その人自身が考えていることはとてもシンプルにできているんだとも思う。ユートピアーはシンプルに考えるんだ。だからおかしくなる。

 翌朝、任務までの車中でベルは奇妙なほど落ち着いていた。ユートピアーが依頼する暗殺方法はこれもまた判を押したように同じで、「私が対象者と一緒に過ごしているところを狙って欲しい」とのことだった。きっと対象者が死ぬ間際まで一緒にいたい、みたいな心理がそうさせているのだろうが、それが利他の怖いところでもあって、どうして今日に限ってベルは文句のひとつも言わず座っていられるのだろう。
「ねみ」
 そうひとこと、僅かに唇を動かして呟くと首をうなだれた。ただやる気がないだけかもしれない。

「いたいた、あいつ」
 指差す方角に首を回すと、きれいなマンションの一室の窓際から夫婦の姿が見える。その姿だけ見ればまさに幸せそうな画で、これから旦那さんの依頼で暗殺されてしまうなんて微塵も感じていない女性の背中がやたらと幸福そうに見えてしまう。接近戦を好むベルだけど、一般人が対象の最近の暗殺に関しては、きちんと我慢して遠くから仕留めていた。だけど今日は無言でその部屋に近づいていく。
「ベル?」
 呼んでも返事をしない。まるでベルも別の人格でも持ってしまったようにただ静かにエントランスを抜けて階段を駆け上がっていく。47階。踊り場をくるりとまわりながらベルの背中をただ追いかけた。その老いていく背中を。
 その家につくと玄関扉は開いていて、ベルは躊躇なく中へ入っていく。いつも私は仕事がほぼ片付いてから現場に入るからと当たり前のように廊下で突っ立っていると、何故か手を引かれ室内まで一緒につれて行かれた。突然の気配にこちらを振り向いた女性を、軽やかにナイフ一発で仕留めると彼女は力を失ってぐったりと床へ引きずられていく。その速度と呼応するように彼女の元へ駆け寄る依頼人の目には確かに涙が溜まっていて、じゃあどうして殺してなんて依頼したの。しかも確実に仕留めてしまうこの男に。もうこの世は「そういう」気持ちで覆われ尽くしているのだろうか。
「なあお前も殺すよ」
 駆け寄りきる前にベルは男の腹部を刺し反応を伺うように首を傾げた。依頼人まで殺すとは任務外だ。ベルのスイッチが入ってしまったのだろうか、ひやりとする。男がゆっくりとこちらを振り返って口を開く、その口めがけてもう一本、ナイフを差し込む。いつもにやにやと笑む彼の口は今、一切笑っていない。その動きは狂ったときとは真逆で異常に静謐なものを感じて、部屋の空気が凍る。いつもに増して行動が読めないベルを見上げた瞬間、警報機が耳をつんざいた。どこかから監視されていたのか。
「…ベル、逃げよう」
 黙ったまま静かに立ち尽くすベルの腕を揺する。ゆるゆると歩み始めたベルはだんだんと早足になり、正気を取り戻してくれたとほっとしたのもつかの間、隣の部屋に入りそこで寝ていた夫婦を殺した。この人々に至っては全く関係のない一般人だ。マフィア界でも一般人への無意味な危害や殺害は大きな罪になるっていうのに、ベルはどうしてしまったんだろう。警報機がうるさい。5件目の家族を殺したところで、警察でなくどうしてだか政府の機動隊がやってきた。
 そのとき私は確信する、ベルは殺されるんだ。

「暗殺依頼を請け負っていたのはお前か!」
「人々が不死によって幸せに暮らしているこの世に大きなダメージを与えた罪は重い」
「それ相応の償いをしてもらう」
 まるで二流役者が台詞を読むように右から順に機動隊が口を開く、よく見ればその奥にカメラのレンズが光る。はめられたのか。何に?誰に?なんのために?
 ひととおり台詞が終わったのか、しんとした空気が肌をつつく。本気で殺そうとは思っていないことなど、きっと「まともな」人間ならば分かるだろう。
「なあ政府のお偉いさんよ」
 芝居がかったベルの低い声が響く。ベルまで何を演じているっていうのだ。
「もうこの世はおかしくなっちまったんだ」
「何を言う!世界から争いが消え、死の恐怖から解放されたんだぞ!」
 この脚本はきっとユートピアーが書いたのだろう。身の毛がよだつほど陳腐な言葉に耳を塞ぐ。ただ、その脚本にベルが組み入れられているのは何故なのだろう。ベルは少し笑みながら続ける。
「おかしいだろ」
「何がおかしい!」
 その瞬間、ベルは全ての演技をやめいつものようににやりと笑った。
「全部おかしいじゃん。生きて死ぬのが生き物の役割だろ。怖い怖いじゃねえんだよ。死ねよ。俺だっていつか死ぬよ。それでいいじゃねえかよ。なんでやたらと死ぬの嫌がんの。人が死ぬとこ見てないからじゃねーの。死ぬっていうのは別に大したことじゃねえんだよ、ピリオド打つのとおんなじ」
「おい!」
 焦るように口を挟んだ年齢のよく分からない機動隊の男の喉元へ差し込めば、すぐに倒れて動かなくなった。人が死ぬところをありありと見るのは何年ぶりだろうか。カメラのレンズはじっとその死体を映している。
「俺だってこんなつまんねー仕事したくねえよ、誰も抵抗しねーし依頼者金持ってねーし最悪だったよ。でもいちばん最悪なのはさあ」
 感情を全て詰め込むようにナイフを床に投げ打つ。ダンッと大きな音がして一番近くの機動隊がびくっと震えた。
「最悪最低なのはさ、愛してる奴のこと殺すのが善だとかへらへら言い放つことだクソ共」
 後ろから足音が聴こえる。本物の機動隊が来たのだ。
 すべてを無理矢理繋げるとすればこうだ。
 あのカメラはきっと生放送のカメラで、いま全世界でベルは大映しになっている。きっとテレビ局かどこかのユートピアーがもともと懐疑派を懐柔するために書いた脚本があって、それを演じてもらおうとしていたんだと思う。ベルは始めからその脚本を覆すつもりで偽の機動隊も偽のカメラマンも準備していて、きっとさっきのベルの台詞を聞くまで関係者は騙されていたんだろう。今頃テレビ局は他のヴァリアー幹部に乗っ取られていて中継をとりやめにすることすらままならず、ベルの言葉は世界に流れ続けている。ただこのままベルが話し続けて、どう終わるのだろう。心臓がばくばくして落ち着かない。いやな予感が体中を駆け巡る。
「俺は人を殺す。それが仕事だよ。悪いかよ。だけど誰でも殺せるわけじゃない。愛してる奴が死にそうになったら何が何でも死なせない。苦しんでるから可哀想なんて絶対に思わない。それは俺の勝手だ。俺が勝手に決めた愛し方だ。こいつの体がたとえもう元の体じゃなくたって、いくつ体のパーツを取り替えられたって俺は愛した奴が俺より先に死ぬなんて絶対にゆるさない」
 機動隊の頭が見えて私はもう五感全てが駄目になっていた。全てをうまく受容できない。倒れそうになる私をつかまえてベルは続ける。機動隊が大きな銃を構えた。
「こいつはもう俺のこと父親みたいに思ってる。もとは同い年だった。だけど死にかけて、手を打ったら他人の体になってたんだ。そりゃそうだよな、脳みそ以外ほとんど人工物だ。記憶だってほとんどのこっちゃいない。だけどこいつを生かすと俺が決めたんだ。俺の人生にかけて」
「殺すななんて思ってねえよ。俺だって人を殺して生きてきた。ただ生きることが分かってねえ奴に死を語る資格なんてねーんだ」
 機動隊の放った銃弾はちょうど奇麗に彼の心臓をやぶり、跳ねるように銃を受け止めたベルはそのまま奇麗に崩れ落ちた。ただただ彼の死に様は奇麗だと思った。この目に焼き付けておきたいと思った。
 だけど父親のように、恋人のように慕っていたベルのいない明日など考えられない私は、ベルの胸元からその切れやすいナイフを取り出して自分の胸に突き立てた。人々が駆け寄ってくる。ああ、悲しいと私は心の底から思う。私だって好きな人より長く生きたくはないのだ。これから世界はどうなっていくのだろう。ベルがそれこそ文字通り「命」をかけたこの陳腐なドラマに、目を覚ますユートピアーがいますように。そしてまた地下でヴァリアーが人殺しを生業とできますように。私の人工の皮膚は胸の真ん中で割けたまま治ることはもうない。




20141223
一日おくれたけどベル誕おめでとう!ほんとに!