誰かは誰かに似ているものであってそれは血のせいじゃないと思う。


黒っぽい綿の帽子を無理矢理目深にかぶせた髪の長いこの女はさて帽子を取ると怖いくらいに美しい。東南アジア特有のぬめっとした活気で沸き立ってんのか騒ぎ立ててるのか苛ついてんのかわかんないけど、とにかく雑音に雑音が重なって逆に静かとも思えるこの変な市場の屋台の奥、プラスチックの白い机は油や香辛料でちょっとずつちょっとずつまだらに色づいていて、てっぺんにある太陽からそそぐ殺人的な熱量とも思える光が軒の隙間からちらちらとゆらぐ、もちろん綿の帽子にもその光は手を伸ばしていて、ちょっと広すぎるつばの端を白く叩いては消えたりした。
「はじめまして」
俺は王子らしく大きくも小さくもない声で語りかけた。声をかける、というほど緊張もしていなかったし、挨拶する、というほどかしこまっていたわけでもなかった。俺は彼女に語りかけた。きっと俺は彼女にずっと語りかけたかったのだと思う。
彼女の目の前にあるミルクティー色をした飲み物はあまりにも雑然としていたから、彼女がとうとうそれを手に取ったときこの非日常感も相まって目の前をいくつものノイズ線が交差した。俺の声はずいぶんと長い時間をかけて彼女の耳に届いたようで、彼女はわざとらしくくすりと小さく笑った。
しろくきれいでながい指。
「はじめまして」
さらにうつむいた彼女の唇を見ることは叶わない。俺より若い女を想像させるような透き通って高いその声は、こんなわけのわからない場所にいたって最強にしっかり地を踏んで、はっきりと俺のところまでやってきた。
「私に似て美人になったかしら」
俺は頷いた。彼女には見えていないだろうけれど。

小さい頃からお母さんに似て美形だとよく言われた。しかしそれを聞くたび母は微笑みながら後ろ手でちいさくちいさく握りこぶしをつくっていた。ぎりぎり、と音まで聞こえてきそうなほどに、強く。ヴァリアーに入ってしばらくしてから知ったこと、王女は俺の母ではなかった。正確には、遺伝子的な母ではなかった。
代理母出産というのは今でも相当リスキーで好まれはしない行為だけど、俺はその行為の果てに生まれた子供だった。王女の子供という体で、目の前の彼女の遺伝子と王の遺伝子をあわせて王女の腹の中に入れたのだ。確かに俺は王女の腹から出てきたのかもしれないが

「血は争えないのね」
左の大通りを見遣るように振り向いた彼女はそう言った。「しばらくそのお仕事は続けていけそうなのかしら」
何故俺がヴァリアーに入ったことでこの事実を知ったのかといえば、彼女もこの世界では有名な殺し屋だったから。マーモンじゃなくったってDNA検査さえできたらすぐに分かった。親子である可能性99パーセント以上。
「ボスがいないから」俺はこの話をするときにいつも振る舞いを見失って、手汗をかきながら所在なげにこう呟くことしかできない。「ボスが閉じ込められたんだ。だから満足に人も殺せない」…。

知ってるわ、とあっさり冷たく言いあしらった彼女は帽子のつばを気にするように触ってからもう一度くすりと笑った。
「心配しすぎよ。まだまだね」「心配してんじゃねーよ。ただ」「ただ、ボスの権力のおかげで毎日楽しく人殺しができていたのに、って?」「殺してないと勘が鈍るしイライラすんの」「私に何の用?」「わかってんだろ」

左を振り向いていた彼女の横顔、その美しい唇が少しだけぽかんと開いた。面白そうに手で口元を押さえながら、
「はっはっはっは…!」
どこがおかしいのかさっぱり分からない俺をおいてきぼりにして彼女はしばらく満足いくまで笑い尽くしたあと、どこから出したのか札束を投げ置いて帽子を脱いだ。俺の顔がそこにあった。
「残念ね。嘘をついて悪かったと思ってるわ。あんたは私の子じゃないの」
俺の顔をした女に言われても何の説得力もなかった。
「DNAでどんだけ99やら100やら言われたって違うものは違うの。せいぜいマフィアに成り下がった元王子が国の恥だからそういうことにでもしたんでしょう。あなたは可哀想な子ね」
可哀想なのはどっちだ。俺は手汗なんかからっからに乾いて足を組みながら札束を指先で遊んでいる。それにしても屋台の周りは煩い。目を閉じるとその情報量につぶされてしまいそうなくらい。

「囲ってやろうって話だよ」
女の唇が動きを止めた。俺は続ける。目を見て話ができない。
「お前が俺の母親じゃないなんてもう大昔から知ってるさ馬鹿女。姉さんとでも呼んでやろうか?」
振り切るように一瞬で首を回った鋭利なワイヤーを同時にナイフで切り捨てるとついでに帽子まで切れてしまった。走ってもいないのに息が詰まる。目を閉じて目の前にいない誰かを想った。
「どうせ俺らの馬鹿な母親はお前と戸籍の取り替えっこでもしてこの辺りで遊んで暮らしてんだろ。じゃあ殺してから帰ろうぜ。ヴァリアーはクソみてえな集団かもしんねーけどボスはもちろんずっと前に帰ってきたし今アホみてえに部隊の人数が足りねーんだ。個人であれだけ成果のあがる暗殺屋の付き人とくればすぐには殺されねえだろうよ。どうせここにいたってもうすぐ母親の盾にされて死ぬ予定だったんだろ?」
どうしてだ。自分が圧倒的有利な立場に立っているはずなのに女と目を合わせることがどうしてもできなかった。ごまかすように床にばらまいた札束の切れ端が靴の上に積もる。「お母さん」の振りをした俺の姉らしいこの女は俺がDNA検査をした相手じゃない。検査をしたのも有名な暗殺者なのもこいつじゃなくて母親なのは間違いなかった。母のいるこの地に仕事をしにいくという伝言を人づてにしたときこうなることは正直分かっていたけれど、もしかしたら来てくれるんじゃないかって一瞬でも思ったのが間違いだったんだよ。現実は操り人形。

だけど確かに、確かに、あのときまで俺は母親を確信してたんだ。薄汚れたコップを手に取る、その、しろくきれいでながい指。あったこともないその人の、面影。

女が涙ながらに頷いたところで立ち上がる。どうしようもなく会いたくて、語ることを夢見ていた母を俺は今から殺しにいく。言葉が先に出ていた。「じゃあ殺してから帰ろうぜ」って。そんなこと思ってなかった。いや、思ってたのかもしんない。殺し屋の俺が思ってたのかもしんない。血は争えないのね。姉が言ったはずのその言葉があれから今もずっと想像上の母の声で聞こえてくる。誰かは誰かに似ているものであってそれは血のせいじゃないと思うけど、そう思ってないと気が狂いそうになることが世の中にはありすぎるんだよ。



臍帯





あいちゃん臍帯で復活ありがとう!おめでとう!
20140303 h.niwasaki