ひとり、共通の敵を決めると、集団の仲はいやらしくも深くなるらしい。そんな教室の中だけでしか適用されないような公式が、今では地球規模でさえ適用され始めている。
 ひとつ、イタリアンマフィアという共通の敵を決めると、国際事情はとても穏やかなものになるらしい。百年前までは先進国と発展途上国と開発国、みたいに、国も成長度合いが違っていたけれど、今となってはもう全部の国がぼろぼろだった。発展して発展して発展しきったその先のヴィジョンなんて誰も持ち合わせてなかった。だから、国際機関のお偉いさんが、半ばやけくそのように「地下組織解体事業」の企画書を全世界の机上に叩きつけた。「みんな」をひとつにするためだ。
「そんなんただの自殺行為じゃん。地方のバカ共をまとめ上げて黙らせてるのが誰なのか分んねえの?」ナイフをくるくると器用に回すベルは口調とは裏腹にいつもと変わらぬ態度のままだった。その後ろでうつむいている私だって同じ。国がそんな事を始めたってこいつらがほいほい降参してほいほい殺されるわけがないのだ。普段ほとんど使われることのない広間にヴァリアーの幹部が集まっている。これだけの招集でも滅多にすることじゃないから、もしかしたら少しは危機を感じているのかもしれないけれど。
 うつむいている私には黒光りする仕事靴しか見えない。足もとで椅子に座っているベルの影がうすく揺れた。
「んー、でもですねー。いくら政府のバカ共だからって、全世界の力結集大作戦なんか企てられたらー、ちょっとめんどくさいことになりそうですよねー。ミーなら逃げますー」
 左腕。の指先からナイフが飛ぶ。
「ゲロッ」
 いつものように笑う横顔。
 私は唇をかんだ。
「…」
 私はこいつのことが嫌いで嫌いで仕方がない。だって、ただの人攫いだ。12になったばかりの私を誕生日の晩、首元にナイフを突き付けそのまま車に押し込めた。それから6年、私はずっとこいつ専属の召使だ。事情はあるにせよ、人攫いであることは間違いない。殺されなかっただけまし、なんて、妥協点を見出すのも負けた気がするから嫌だ。
「寒くね?」ベルが言う。
 用意していたコートを肩にかけるのさえ身の毛がよだつ思いだ。このコートを今すぐずたずたにしてしまいたいくらい。





 フランの予想が当たった。さすが拠り所のない政府の動きの速さといったら、というのか、全世界の軍隊が地下組織に突入する速さといったら本当に予想以上だった。
 当たり前のことだが、どの部隊が捕まっていようがヴァリアーがこの「お遊び」に降参するはずがない。負けることなんてないから。神を否定する暗殺部隊がこう言うのもおかしいけれど、神に誓っても敗北はありえないだろう。
 だからドン・ボンゴレがその重い扉を開けて両手を軍隊の眼前に差し出した夜中の23時、ヴァリアーは優雅に次の任務の打ち合わせなんてしていた。どこへ行ったって完全武装の兵隊がうようよしているっていうのに、彼らは完璧に仕事をこなしていた。私はベルの後ろで彼の脱ぎ散らかしたアクセサリーやコートを拾い集める。
「ベル様」私はいやいやながらも顔を上げて言う。
「あ?」こちらを振り返りもしない。私は顔を動かすのもおっくうになってその角度のまま続けた。
「明日はベル様の誕生日かと存じます」「あー、そうだっけ」「そうです」「で?何?任務いっこ増やしてくれんの?」「いえ。それはザンザス様がお許しになりません」「けち」「けちではありません」「…」「スクアーロ様が、毎年のように誕生会をするから都合のいい時間を教えろ、と」「そんなのお前が答えとけばいいだろ」「去年それでベル様、私を殺しにかかったではありませんか」「覚えてねーし」
「で、いつがよろしいのですか」いつもより言葉数の多いベルに負けじと私も饒舌になってしまった。そんな自分に半ばいらつきながらも答えを催促する。
「さーな」
 と、ベルがさも当たり前のように逆方向へ歩きだす。こういうときがたまにあるので私は文句を言わず大人しくして着いていく。向こうの廊下の突き当たりにあるのは、ヴァリアー邸の裏口がよく見える、窓の大きな階段だ。
 階段を上っていく。1か月前まで綺麗に磨かれていたその階段は、いまでは埃を吸い込んでしまいそうになるくらいに暗く淀んでいた。道連れになって殺されてはたまらないと、使用人の半分以上が逃げ出してしまったためである。
 脈絡もなくふと思う。今なら逃げだせるかもしれない。
 3階の踊り場に差し掛かる。「さーな」と言ったベルの声がさっきよりもはっきりと鼓膜の裏側で鳴る。そういえば私の誕生日だってあと30分後、22日だ。ああ、いまからちょうど7年前、私はここに連れてこられた。ベルだって年は変わらないくせに、私を軽々と持ち上げて、車の中へ投げたのだ。
「ベル様、スクアーロ様に都合をご報告されないのでしたら、私の誕生会にしてしまいますよ」
 冗談だ。そんなことするわけがない。逃げられるかもと思った踊り場はとっくに過ぎている。取り落としそうになったコートを右手で掬う。顔を上げようとしたとき、頭に何か圧力を感じた。
「俺の誕生日なんて知るわけねーじゃん」
 え、と思うより先にそのまま押されて階段を転げ落ちる。ほぼ同時に頭上で連続する銃声。外からの襲撃だ。目的なんて分からない方がおかしかった。視界の端で一瞬だけ揺れたブロンド。その隙間から見えた緋色の目。今までずっと後ろを歩いてきたから見たことなんてなかったよ。ああ、そういえば父も母も同じだ。私は私の黒髪を見る。王妃は黒髪で、王はブロンド。
 私は養子なのだと両親は言っていたけれど。それは間違っていないのだろうけれど。
「ベル」
 今の今まで一度も呼び捨てになどしたことはないその名前。だけど今ならきっとこの呼び方のほうが正常だ。頭のどこかではそれが正しいっていつも分かっていたはずなのに。
 階段の踊り場からベルがこちらを見下ろしている。「お前が女じゃなかったら」未だ鳴りやまぬ無数の銃声。「俺の生まれた家が前科持ちの家じゃなかったら」それよりも大きな音で日付の変わる、青い青い音が鳴る。「俺らは王族になりすましたりしなくても良かった」日の出の青の音が鳴る。「お前が生まれたのが12月22日で」風もないのに頬が急速に冷えていく。「俺らはそれに帳尻合わせただけ」何か冷たいものをなでつけられるような感覚。「俺らの誕生日なんてどこにもない」それに反して心臓は世界のだれよりも早く鳴る。疾走して温度を上げていく。この瞳の捉えたすべての景色が遠い山並みを見るように青く澄んでいく。私は叫ぶ。
「私が何をしたっていうの!」
 そんな私の叫びすら片手で摘まんでくしゃくしゃと丸めるように、ベルはふと右側面の敵を刺し殺すと、鐘の残響がまだ粒子となって漂うこの場所で小さく息を吸う。


「お前を許すよ。だからもう逃げな」
 瞬間、尋常でない速さの光が、私の体の中を静かに駆け抜けた。
 その光は磁石のように、私の中の善と悪をすっぱりと分け、そして、悪だけを引き連れてどこか彼方へ行ってしまったように、思われた。


20121222 h.niwasaki
毎年ベルが報われないベル誕でごめんなさい

「逃げたいのはあなたの方じゃない」