淡い、淡い恋をしたことがあった。暗殺って言葉も知らないようなやつに俺は恋をしたことがあった。でもさあ、恋をしたってところで俺がそいつに対して何をしたいかなんてのはいっこも浮かんできやしなかったんだ。


ヴィジョン。


俺は今だって、今だって目を閉じればくっきりと思い出すことができる。大理石の彫刻のように内側からふわりと光るような白い肌や、その白に宣戦布告を仕掛けるような黒、真っ黒な長い髪。同じ世界にここまで対局の色どうしが近づくことがあり得るのだろうか、そんなことを思ってしまうくらいその二色は相反していたし、それでいたから心臓をわしづかみにされたような衝撃がいつでも俺を襲った。そしていつまでも俺の首根っこの当たりを這い回って、それが俺に恐怖のような、一種の快楽のようなものを与え続けた。思わず首に触れる。

俺はあいつの前で上手く笑えなかった。いや、いつだって俺は上手く笑えていない。口角の上げ方をなんとなく知っているだけだ。俺にとって差し迫っているモノの全ては暗殺というテーマに収斂していく。たのしいってなに

俺の体はなんだっていっつも人を殺してんだ
国ひとつを壊滅させてまでやりたかったことって何だ








あいつの近くにいるとそういう類の、いわゆる「考えなくていいこと」、「考えても無駄なこと」ばかりが俺の足元から首を持ち上げてにやにや笑いをしながら見つめてくる。黒。そうあいつの長い髪のような黒さの黒だった。あいつはいつも俺の一歩前を歩きたがった。だから俺はあいつのことを思い出す度に、その黒髪を思い出さずにはいられないのだった。









ああ









たぶん、あいつは全部知ってたんだ。俺の職業から身分から何から何から。だから昨日の夜中に左胸を打ち抜かれた時も、まるで朝起きた時と同じような顔をしてられた。ヴィジョン。俺の中であの1秒がどんどんどんどん細分化されたおびただしい量の写真の連続となって、…くっきりしてきたのか、はたまた曖昧になったのかも分からないくらいだ

くるり、くるり、くるり

くるり



淡い淡い淡い淡い恋をしていた。灰になってすら思い出して涙を流せるくらいに恋をしていた。「ベルフェゴールくんは綺麗な髪をしてる」そう言って撫でた感覚ですら何度も再生して


くるり



彼女の灰を海に撒いた。何を勘違いしたのか海鳥が一斉にこちらへ羽ばたいてきて俺の手のひらをつついた。そのとき俺は俺の中のリアルについてあるひとつの解答を導いたのだ。

「お前に触れたかった」そうだ俺は何度も何度も映像ばかり再生していたけどお前の髪が、肌が、着ていた洋服がどんな風にこの世の中に存在していたかなんてこれっぽっちも覚えていない。あいつは俺が触れようとする度くるりと回ってそれをかわした。ワンピースの裾がふわりと揺れていた。ああ映像ばっかりだ。

だから俺は箱の中に残っていた少しだけの灰を溶けてなくなってしまうくらいに触れて、触れて、愛していると呟いた。



こい〔こひ〕【恋】
1 特定の異性に強くひかれること。また、切ないまでに深く思いを寄せること。恋愛。「―に落ちる」「―に破れる」
2 土地・植物・季節などに思いを寄せること。
「明日香川川淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき―にあらなくに」〈万・三二五〉
ふ・れる【触れる】
[動ラ下一][文]ふ・る[ラ下二]

@ある物が他の物に、瞬間的に、または軽くくっつく。ちょっとさわる。「肩に―・れる」「機雷に―・れる」「外の空気に―・れる」
A脈が反応する。脈拍を指先に感じる。「脈が―・れなくなる」
B(「耳(目)にふれる」の形で)ちょっと耳にしたり見たりする。「人の目に―・れる」「耳に―・れるうわさの数々」
Cあることを話題にする。言及する。「食料問題に―・れる」「核心に―・れる」
Dある時期や物事に出あう。「折に―・れて訪れる」「事に―・れてからかわれる」
E規則・法律などに反する。抵触する。「学則に―・れる」「法に―・れる」
F怒りなどの感情を身に受ける。「勘気に―・れる」「怒りに―・れる」
G感動・感銘を受ける。「心の琴線に―・れる」「心に―・れる話」

@物に軽くくっつくようにする。「髪の毛に手を―・れる」「花に手を―・れる」
A広く人々に知らせる。「隣近所に―・れて回る」
3 食べ物にちょっと手を付ける。
「朝餉(あさがれひ)のけしきばかり―・れさせ給ひて」〈源・桐壺〉


ビジョン【vision】
1 将来の構想。展望。また、将来を見通す力。洞察力。「リーダーに―がない」「―を掲げる」
2 視覚。視力。また、視覚による映像。




俺の足下を這いずり回る、あの黒い思考に触れたとして、俺は答えなんて導きだすことが出来るんだろうか?





20120415 h.niwasaki

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