「ねえ大好きだから死んでほしいって気持ち分かる?」
「さあな」
「自分でもよくわかんないんだよね」

右に傾き30度。彼女は筆を取るとき、ふわりと首をかしげる。いささか傾げすぎなその角度のままそいつは右腕をせっせと動かして。ふと目と閉じて。ぼそりと喋ってまた動かしての繰り返しを俺はずっと昔から眺め続けてきた。どのくらい昔かとかそういう細かいことはこの際どうでもいい。血の臭いでむせ返るアジトへこいつが足を踏み入れたのは確か夕暮れの燃え盛る赤が妙にノスタルジックに見えた日だ。その赤をあいつは「赤」と呼んだ。それから俺の中の「赤」はあの一色だけだ。永遠にどこかへ反射して去っていってしまいそうな赤だった。そしてその日俺は俺の太ももを抉ってこれは何色だと問うた。それはね…、と傾いた30度は悩ましげにゆらりゆらりと動いていた。

尋常じゃなく強い女が来る、噂には聞いていたけどまさかこいつだなんてその時は思ってなかった。ボスが見込んだだけあってこいつは初めての任務から単独、そしてするすると幹部へ昇格した。まるで林檎の皮を剥くような「するする感」だった。これもあいつが言ったことだ。「するする、ってね、林檎の皮を剥くおとが正解なんだよ」言いながら、皮を剥いてそのまま実までするすると円を描き、結局蜜を含んだ部位まで全て2センチ幅のリボンにしてしまった。あいつはそれを一週間かけてキャンバスにうつしとった。

リボンになってしまった林檎、丁寧に積まれた携帯灰皿の山、今千切ってきたのだと言われても信じてしまいそうなくらい生々しい白い羽、5メートルの糸で繋がったサドルの列、半分だけ燃えた段ボール、俺のナイフ、水の入ったワイングラス、三つ編みの毛髪、肌のコラージュ、脚、





ああそうだ、あいつが笑うときはきまって人を殺した直後だった。夏の日を浴びた少年のような笑い方をする。そして30度。「ねえベルくんはたのしい?」と言う。俺がどんな返事をしても彼女は何も答えない。まるでさっき自分が質問したことなど忘れてしまったかのように。


「…」


だから、だから血みどろの中でいつもと違う質問をふっかけてきたそいつに俺はへんな返事しかできなくて、できなかったけれどそいつは初めて答えたのだ。3歩後ろを振り返った俺にあいつは笑いかけなかった。

「ねえ大好きだから死んでほしいって気持ち分かる?」
「……わかんねえ」
「じゃあホルマリン漬けにして眺めたいって気持ちは?」

ルッスーリアが何か吹き込んだのか?

「いや、わかんね」
「じゃあ、じゃあ私がベルくんの脚を何時間眺めたら満足するのか分かる?」

俺の抉った太ももを、あいつは何色って言ったっけ。

「わたしね、わたしね」

「わたしね、大好きな人のこといっつも死んじゃえばいいのにっておもってたの。でもなんでか全然わからなかったの。でもね今、ベルくんが昔脚を抉って見せてくれたことを思い出して分かったの。遠慮なしにベルくんを見たいんだと思う。じろじろって。普通はそれが叶わないから絵を描くのかなって。だって画面ならいくら見たって怒られないでしょう?だけど満足できなかった。ベルくんは本物じゃなければ全部のベルくんを探せない。ベルくんの身体にひっついた私の気持ちとかも探せないから。それでベルくんの色を探し続けたい」

30度。
するすると生まれていくみずみずしい生命そのものとキャンバスの間には決定的な差があった。それが彼女の愛を小さな木箱の中に押し込めるがごとく限定させた。もしかしたらその「不具合」を30度の傾きによって調整しようとしていたのかもしれない。それは暗殺という仕事にも共通するのかもしれない。彼女は名射撃手だった。遠い遠いところからしか人を殺せない。でも、その言葉をひっくり返せば、遠い遠いところからなら必ず人を殺せるということだ。俺は目を閉じた。

「なあ、」

お前のその絵を見たいと思っても俺は叶わないわけ?



ああ見せたいなあ、君に見せたいなあと言いながら彼女はライフルを構えた。




20120313 h.niwasaki