それは比較。
昔のほうが楽に笑えただとか、あの頃はもっと心と言葉が直結した存在だったとか、そういう回顧。振り返ってみれば懐かしい。帰りたい。羨ましい。
そうやって考えたら、今の私でさえ、何年後かには「羨ましがられる」私になるのだろうか。到底思えないのだから、今の私は絶賛お先真っ暗キャンペーン中なのである。

わたし、という存在に関して、他者との関わりを考えてみる。人間は、他者との関わりで幾らでも変化する生き物なのだ、アメーバみたいにぐにゃぐにゃと形を変えて進む。
私はベルに出会ってから幾度となくその「ぐにゃぐにゃ」を繰り返してきた。もしかしたら今でさえ「ぐにゃぐにゃ」の渦中にいるのかもしれない。そのくらいベルと一緒に過ごす私は「ぐにゃぐにゃ」であり続けていた。そして暫く経って、私は私がどこか遠くへ行ってしまったことに気がついた。
――「ぐにゃぐにゃ」の途中で、何を間違えたか、私は私の中身を置いてきてしまったらしい。







「私じゃない誰かがご飯食べてんの」
「ハァ?」
「あのね、今の私は私であって私じゃない、っつーか私の望むような私じゃないの。思いもよらない方向に進んでんの。こう、ナナメって軌道修正きかないとこまで来ちゃったの」
「あー」
「いや、来ちゃったってか置いていかれちゃったの、そう、置いていかれちゃったの。私はもう私じゃないの。拾える位置にもう私は居ないの」
「ふーん」
「ねえ、私たちさぁ、3年前、あのコンビニで出会ったでしょう。私がお財布忘れてきたの知らずにレジ行っちゃってベルが代わりに払ってくれてさぁ、だけどね、思い出して。あの頃の私は居ないんだよ…」
「居ないね」
「私のこと嫌い?」
「昔のお前ならそんなこと言わなかったけど」
「…別れる?」
「別れたいなら」
「………ベルは?」
「愛してるけど」
「えっ」
「理想化された昔の自分になんてなれる訳ないだろ、人は変わる。俺もお前にあってから何回も変わってきた。分かるか?お前によって俺が変わって、俺によってお前も変わんの」
「うん」
「愛してる奴を愛して変わるなら、俺は俺じゃなくなったって問題ないと思うけど?」



そうか。もう私はひとりじゃないのか。




「ベル」
「ん」
「お昼ご飯何がいい?」
「タラスパ」
「はいはい」
「…お前はお前のままだよ」
「…ありがとう」




20110728
h.niwasaki