の世界は漫画みたいにうまくはいかねー。やったりやられたりの繰り返し。馬鹿みてえに痛む頬とそれを押さえる左手の温度差に僅か、びくりとしたのも、もし俺が漫画の中の俺だったらもうちょい上手くかわせたかもしれない。誤魔化すようにその左を掴んで手首を思い切り握れば、向こう側の青白い顔が少しだけ歪められた。ざまあみろ。
 この左手だってどうせ女らしさなんて皆無で、きっと漫画の中のお前ならもっと儚く描かれてんじゃない。力なんて入れなくてもぽっきり折れてしまいそうな。

 勢いに任せて打った右頬を楽しそうに、またもしかしたら酷く悲しそうに見つめてくる女。見つめるという表現はもしかしたら不似合い。どうやら眺めるとか傍観するといった方が正しいのだろう。伏せられた睫は俺より短い。顔のどこにも化粧の跡はない。申し訳程度に眉が切りそろえられているだけだ。そんな女を左側面から殴り倒した。瞬間、ゴム人形みたく“びよん”と首だけを振ったそいつは、心底迷惑そうに苦しそうに何か言葉みたいなものを発した。「、」

「、っはは」俺の声かあいつの声か。しかし女は血を吐いただけであらぬ方向をむき耳障りな引き笑いをするだけだったので喋ったのは俺だということに気が付いた。王子だったときの妙な微笑み方なんてとっくに忘れてる。「お仕事オツカレさん」

「君の分までノルマ果たしてきた人間殴るなんていい度胸」
「殴ってきたのどっちだよ。お前だろ」

 「お前がペアで任された仕事3回もサボるからだよクソ王子」鳩尾にヒットした女の拳に胴体が妙な揺れ方をした。内蔵が内側からカタカタと脆い音を立てた。耳のすぐそばで血液が逆流するような不快感を覚えたが、その不快感を全力で悪態に変化させてみる。「俺は女の相手で忙しいんだっつの。ウジ虫みてえに湧いてきて殺しても殺してもずっと視界の隅で動いてる。俺の殺しはそいつらだけでじゅーぶん」「あーあーその虫共を呼んだ発端はどこの金髪クソ王子様でしょうね?」「テメェとはアタマのつくりが1から10まで違えの。分かったかレズ女」「バイって言いな」「死ねよカス」


あーあ。


 無数のパラレルワールドのどこかにいた俺はただの一国の王の弟で、平凡な生活を幸福と感じていた。たしか許婚もいたんじゃなかったか。たまに俺は別の世界の俺の夢を見る。ある俺は兄を暗殺して王になっていたり、暗殺がばれて絞首刑になってあっけなく死んだり、ヴァリアーに入ったけど平隊員の女と結婚してたり、最悪の場合3歳で交通事故にあって死んでいたりした。
 一番クソだったのがある漫画の中の俺だ。俺はヴァリアーで長いこと幹部として君臨していたが、突然現れた女に入れ込んで最終的にそいつの身代わりになって死ぬというストーリーだった。俺は夢の中でそれを読んでいた。馬鹿らしいとか俺じゃねえだろとか様々なことを思ったが意思をまったく無視してページは進んでいった。
 別段強い女でもなかった。ただ気遣いができてボスを上手くかわせるだけの女だった。真剣に読んでいなかったから女の戦法は覚えてない。それくらいどうでもいいような女だった。
 最後のページで俺は死んでいた。
 どんな俺より無様だと思った。まず死ぬということ自体が無様で間抜けで馬鹿でしょうがないとしか思えない俺が、しょうもない女のために死んでいった。別の世界とはいえ情けねえ。クソだ。
 女のために死ぬ人間なんてクソだ。

「女のために死ぬ人間なんてクソだ」
「男のために死ぬ人間だってクソでしょう」

 次の任務はなんだっけか。携帯を開いたら次の任務もこの女とペアで無性に腹が立った。なんで俺が女なんかと同行して人殺ししなきゃなんねーんだ。



(過去作品より)