「…進んでんのか」
「見ての通りですよボス。身も削って進めてますから安心しててください」
「はっ、一部下が偉そうに」
「幹部にしてくれなかったのは誰です?ボスでしょう」



とりあえず体を休めるためベッドには横たわったけれど、私は自身の体の角度に則してキーボードも斜めに傾け糸で固定し、寝たままキーを叩き続けるという暴挙を繰り出した。勿論のこと、目は完全にアイマスクで隠れてる。要するにブランケットからにゅうと出る腕を除けば、明らかに寝ている格好なのだ。
ボスの睨みを肌で感じながら黙々と作業していると、またもやベルが顔を出した。



「うしし。ボスも居たんだ、丁度いいや。今日の報告書、全部スクアーロがやるってさ」
「可哀相。押し付けたんでしょう」
「んだよ、オレはボスに言ってんの。なに、代わりにやりたいとか?」
「ちがっ…」



言いながらも指は止まらない。使いすぎた指先はテーピングでがんじがらめになりつつあった。だからこそこれ以上、仕事を増やしたくないのに。…きっとこの流れでいくと、私は報告書を書くはめになる。覚悟を決め、右手をキーボードから離してアイマスクを上げる。久しぶりに見たベルが差し出すのは、報告書じゃなくカフェオレだった。
90度視界が傾いてるせいか、睡眠不足のせいか、頭がイったかもしれない。大きめの爆発音が廊下で響いてはっとすると、ボスはもう部屋に居なかった。



「…ベル?」
「幹部の成りそこないが王子呼び捨てにすんなっての。まあ、マーモンの為だし、これは王子からの応援ってとこ」



どうやら幻覚ではなかったようだ。私は少しキーボードから離れて上体を起こし、両手でカップを受けとった。疲れと動かない指先のせいで零したりしないように慎重に。どちらかといえばブラックが好きなのだけれど、そこは王子のプライドに免じて黙っておこう。
小さく音をたて、カップを傾ける。数日ぶりに飲んだ液体は、ゆるりと胃の中に落ちていった。



「レモネード」
「は?」
「作れるかなって、王子様が」
「んだよお前。ねだる気?」
「ううん…懐かしいなって思うの」



私と、マーモン様とベルと。昔はなんだかんだ一緒に居た仲だったんだ。お菓子を食べるときは必ず、私がブラックコーヒーでマーモン様がレモネードで、ベルがミルクティーだった。懐かしいね。でも、それを思い出、なんて美しい名前の箱にしまっちゃいけない。そんなことしたら本当に、マーモン様は帰ってこなくなる。なんとなくしんみりした空気をぶち破って、私は空のカップを彼に返した。



「ありがとう」
「ん」
「…あと少しなの」
「そか。したらあの馬鹿ガエルともおさらばだな、しし」



私達はとても酷なことを言っている。マーモンが帰ってきたらフランはここに居ないのだ。過去が変われば生死だって分からない。だけれど、それが私の生きる意味だから仕方ない。仕方ない。フランとマーモン様を天秤にかけてみた所で結果は見えてる。音もなく消えたベルを確認してから、私はまたアイマスクを掛けた。
暗闇は怖くない、マーモン様のいる方へ駆ければいいだけだから。





- ナノ -