目がさめると、もう外は真っ暗で、自分の呼吸音しか聞こえないような深い時間帯になっていた。
 私はさっきまで見ていた夢の内容をぽつりぽつりと反芻しながら、もう一度目を閉じる。ごそ、ごそ、と重たい布の擦れる音だけがワンルームに響いた。

 夢の内容は、しかし夢ではなかった。過去のほんとうにあった出来事がふと意識にのぼってきて、ちょうどそれが眠っている時間に顔を出した、という具合で、それは寝ていても起きていても何かを考えている私にはあまり特別なことではなかった。それでも今日の夢は、特別に気分の沈むものだった。
 あの日、私は結局ひとりで家まで帰ったのだ。あの日というのは、中学生の頃、緊急下校で急に帰らされた日のことで、特に脈絡もなくその当時を思い返しては、「親が来たら一緒に帰れよー」と言っていた先生の声ばかり思い出されて、結局元「天使」であった私がどうやって帰ったのかは何も思い出せず終いだったのだ。それがどうしてだか、あれから十数年が経った今、急に息を吹き返したように私の頭の中に蘇った。私はただただ、ひとりで、帰ったのだった。
 今思えば、きっと学校にも私の事情はある程度知らされてい他のかもしれないと思う。例えば、ヤクザのような組織がバックにいるらしい、とか、事情があってその組織に育てられている、面倒を見てもらっている、とか、複雑な家庭だから親はいないけど親代りがいてどうのこうの、とか、そういう要領を得ない得体の知れない情報が、私を覆っていたのだろうなと思う。その証拠に、先生たちは私にだけ三者面談をパスしようと言ってきたり、授業参観の出欠用紙を出さなくても何も言ってこなかったり、とにかく変だった。それは、当時「天使」から人間になりたてだった私にとって、そこまで違和感をもつ状況ではなかったけれど、今振り返ってみれば明らかにおかしかった。ただ、踏み込んで欲しいわけでもなかったから、きっとそれがお互いいちばん良い関係だったのかもしれない。
 そこまで考えてしまうと、それ以上頭の中で議論することもなくなって、不思議と眠気も去ってしまった。もう再生する必要のない思い出がもう一度、脳の戸棚の奥深くに片付けられて、私は、夜中のベッドから体をゆっくりと起こす。

 ただの風邪がどうしてだか1週間も続いていたせいで、私は勤めている会社をもう3日も連続で欠勤している。7日前、朝起きるとなんとなく熱っぽく、体温計を探して脇に挟むと37.2度だった。解熱剤を飲んだだけで熱はすっかり引いたので、特に休む必要もないと思っていた翌日、昼過ぎから急に寒気が襲ってきて、なんとかその日は定時まで凌いだものの、帰宅してからどうやって眠ったのかも記憶がないくらい朦朧として、熱は39度を超えていた。そして土日を挟み、月、火、水と、熱は上がったり下がったりを繰り返している。
 小さい頃から、風邪をひくと食欲が地の底まで落ちる。だから日を追うごとに自分の体から、蓄積されていた僅かなエネルギーというエネルギーがぎりぎりと搾り取られていき、ますます治癒から遠ざかってしまうのだった。けれど、大人になってから、というか、「施設」から出てきて以降、こんなにひどい風邪をこじらせたのは初めてだった。こんなに見た目は立派に育ったのに、免疫機能は何も変わってないんだな、なんて、それが少し嬉しいことのように思えて、自分でも奇妙だった。
 食事をろくにとらずに数日間眠っていると、あっという間に体が老いていく。すかすかになったはずの体は筋力が落ちたせいでどろどろと重く、皮膚はどんどん硬くなっていって、視界さえも薄ぼんやりと膜を張ったように霞んでいる。実際、老いとはこういうことなんだろうなと、天使だった頃から思っていた。もっとも、天使だった頃の自分にはやってこないはず、のものだったのだけれど。
 起きて、コップに入ったままの水を一口飲むと、からからだった口の中に綺麗な液体がするすると渡っていき、いいようのない安堵と快感を覚える。熱は下がっていたし、もう上がらないような気がした。
 雑然としたワンルームの向こう側にある、3点ユニットのバスルームを開けて、しばらく入っていなかった風呂に入ろうと思った。さすがにもう会社に行かないと自分の居場所がなくなるような気がする。




 私はあれから、心機一転、アルバイトを辞めて会社員になろうとした。
 元々アルバイトだってそこまで身を粉にして働きまくる必要はないと沢田さんに言われていたのだけれど、働いていないと全身から生気が失われて、それこそ人間でいられなくなるような気がしていた私は、高校入学と同時に様々なアルバイトで毎日の時間を埋めていた。そして大学4年生、就活生と呼ばれる季節になって、急に自覚された自分の将来の不透明さに愕然としたままとうとう一度もスーツを着ることなく卒業してしまったのだった。元々ストレートで就職できる人間ばかりではない大学だったせいもあって、そこまで浮くこともなかったけれど。
 その、将来の不透明さは今だって変わっていないけれど、当時の私は、まだ全身から天使である自分が匂いたっていて、まるで普通の人間みたいな人生を送る自分がイメージできなかったし、イメージしたくもなかった。だから愕然として、恐怖して、足が竦んだ。それは半分演技であり、半分本気だった。
 ルッスーリアの車に乗りながら祈ったあの日、私は小さく決意した。普通の人間にならなくちゃいけない。自分から天使でいることを望むようなやり方はもうやめたい。

 けれど、自分の決意だけではどうにもならない。勢いで11年住んだマンションを離れ、土地を離れ、丘の連なる地方都市へ移り住んだ。そこで何もかも自分で用意して就職活動を始めた。もちろん働いていたアルバイトは辞めていて、まるまる一日がすべて就職活動に充てられた。けれど、もちろん、うまくいくはずがなかった。初めて買ったネイビーのスーツは、就職できた暁にはもう二度と着たくないと思うほど失意の思い出ばかりが染み込んでいる。
 秋と冬が日ごとに入れ替わるような11月下旬、いよいよ私は抵抗するのを諦めて沢田さんの携帯に電話をかける。薄い石畳が敷き詰められた広場のベンチに座り込んで背を丸めながら、呼び出し音が終わるのを待っていた。それから1時間後には、私はある建設会社の事務員になることが決まったのだった。


 勢いよく噴き出してくるシャワーのお湯を、ぐんぐんと全身が吸い上げていくようだ。髪が水気を吸って重たくなるように、皮膚もまたお湯にふやけて重たくなり、健康的な白になっていく。しばらく何をするでもなく後頭部にお湯を受けながら、目を閉じる。
 ふつうでいたい、と、強烈に思っている。
 昔、高校だったか大学の頃、「ふつう」とは何だ、という授業があった。誰のどの科目の授業だったのかすら覚えていないけれど、私の中の強烈な嫌悪感と違和感をはっきりと覚えている。一枚っぺらのワークシートにそれぞれの思う「ふつう」を書かせられ、先生は、その内容が人によって多少ばらつきのあることや、本当に「ふつう」なのだろうか?という疑問をしきりに、私たちに投げかけていた。当時、私はその嫌悪の理由をはっきりと言語化することはできなかったにせよ、なにがが違う、と思っていた。「ふつう」の幻影にとりつかれている人が多いと語る先生こそ、別の何かに凝り固まっているように見えたのだ。
 今になって思えば、「ふつう」論議なんて単なる逃げでしかないのだと思う。「ふつう」が明確な定義づけとともに存在するかどうかなんて誰にも分かるわけがなくて、それでもなんとなく「ある」のが、ふつうという言葉なのだ。今この世にあるものをそうやって正論で否定しても、この世からそのものがなくなるわけじゃない。彼はこの世から目を背けていたのに、そのことを露ほども自覚していなかったから、とてつもなく気持ち悪く見えたのだ。
 私は、この世で生きなければいけなくて、それなら、この世にあるものをきっちりあると認めて、その輪郭も実態もないお化けのような存在ともうまくやっていきたい。最近そう思えるようになってきて初めて、当時の違和感の正体がつかめたのだった。
 私はようやくこの世のことを考えられるようになった。
 ベルさんが現れるまで、いや、去ってからもしばらくのあいだは、私は自分の存在がなんとなく宙に浮いたまま、どうしても接地することができないでいた。理由がわからなかった。正直今でもはっきりと分かったわけではない。けれど、毎日同じ時間に起き、同じ電車に揺られ、同じ場所へ行き、同じ席に座って、同じPCで作業をし、同じ時間に同じ人と食事をし、そして同じ時間に帰って寝る、この決まりきりすぎている日々をスムーズに回せるようになってきてから、確実に私は安心して生きることができるようになっていた。
 あの「ふつう」に異議を唱える先生は、きっと今の私のような人間が大嫌いなんだろうな、と思う。社会の歯車になる、ような、自律的でない人間のこと。きっと少し前までの私も、そう思っただろう。実際はじめのほうは自分の毎日に目の前がチカチカとした。ドラマや映画に出てくる名もない雑踏の一部になったような気がして、ターコイズという名前を、そして番号時計という監視装置をつけられていた頃のほうが、よっぽど「特別」だったのに、と悲観的にさえなった。天使だった頃が一番幸せだったのにと思った。
 雑踏は、まるで布のパターンみたいだと思った。あるいは水族館の魚のようだ。ある一定の範囲内で、ぐるぐると規則的に描かれる模様として存在しているだけ。そこに意志はなくて、自分が「範囲内」でしか生きていないことすら知らないのだろう。名前を奪われ、ありものの個性を適当に割り振られている。そんな印象だった。

 全身を洗うと、ゆっくりと足を差し入れて、湯船に身を沈めた。自然と上がる目線の先には無表情なクリーム色の壁だけがある。
 ふつうに生きていくことは果たして悲劇なのだろうか? 雑踏の一部として生きていくことはそんなに絶望的なことなのだろうか。私は、まだ分からないけれど、ただ、ふつうに生きていくということがひどく穏やかであることを知った。天使は、おだやかではない。いつもこれから死ぬ誰かを迎えに行く生活が、穏やかであるはずがなかった。確かに、左腕の手首のひどく重たい生活は、寂しくなかった。私を寂しくさせてはくれなかった。ターコイズは、いつも期待されていて、守られていて、閉じ込められて、見張られていた。寂しくないことが一番大切だと思っていた。そのためなら、他のものはなんだって差し出したって仕方ないのかもしれない、と思っていた。
 今、私は、少し寂しい。
 けれど、寂しくても大丈夫な自分を、生まれて初めて、じんわりと自覚しはじめている。







 やたらと心からしんみりとした夜だった。吸う息吸う息が全部心臓に落ちてさっと沁みていくような夜だった。風呂に入ったあと、髪を乾かし終えてもホットミルクを飲んでもベッドに入ってだらだらとしていても全く寝付けなかったあの日、私は我慢ならず、といったような気分で夜中の住宅街へ出て行った。重たい玄関扉を開けるのは実に4日ぶりで、扉が風をきるわずかな音ですら耳のそばで膨らんだ。少し坂を登ったところに建つこのアパートは、同じように坂の上に並ぶ家々をなぞるように走る細い一本道のいちばん端に位置していて、もう一方の端は数キロ先でなだらかに坂の下へ続いている。その丁度真ん中あたりにぽつんと駐車場があり、昼も夜も駐車車両はまばらだった。私はそこからの中途半端な景色をながめるのがなんとなく好きで、わざわざバスで遠回りしては駐車場にこっそり入ってしばらく佇んでいたりした。朝も昼も夕方も夜も深夜も、早朝も、雑多に並ぶごちゃごちゃとした住宅街やその先にあるスーパーの看板、そしてそのもっと先にある電車のホームなんかをひとつひとつ点検するように眺めて、それから空を見上げる。実際に触れたこともないくらいただただ途方もなく遠くにあるものなのに、空を眺めるとその大きな「隙間」にほっとする。落書き帳がいっぱいに埋まったあと、次の真っ白なページをめくるときの爽快感に似ているかもしれない。まだ大丈夫だと思える。私には猶予がある。では猶予をすべて食い尽くした先には何があるんだろう? 私はいつもそのことだけは考えないようにする。今だってそうだ。いろんな種類の「猶予」にゆらゆらと乗り換えながら、私は階段を登らず、海を渡らず、夜を越えずに生きている。その場しのぎを繰り返しているうちに、それ以外の生き方を教わる機会を逃してしまった。そんな感じだ。日々をサバイブしていると、サバイブそのものが人生のような気がしてくるけれど、きっとそれは嘘だ。毎日を繰り返すこと、繰り返すことに必要以上に意味を求めないこと、そして、その中で穏やかになっていくこと、自分の命を忘れないこと。そういうことを自然と受け入れられる人から自由になっていくのだろう。サバイブはすべてが裏返る。毎日は繰り返されない、だから自分が今日生きていることに確実な意味を求めたがるし、日々殺伐と飢えて、危険な場所でこそ自分の命を振り回す。私はこの二極のちょうど真ん中あたりまできた。まだサバイバルの所作は消えなくて、いちばん強烈なのは、オレンジ色の光の下で祈ること。私は自分の身の回りが混乱でいっぱいになると(たとえば緊急下校のあの日とか)、途端に体も心も停止してすべてを感じないように閉じこもるのだけれど、それはそこが一番安全だからなのだ。自分の中が最も安全だとわかっているから。でも、そんな自分の中に隠れることは同時に、その外が迂闊に立ち入れない危険な場所であることを意味している。私は祈ることを止めない限り、普通の人間にはきっとなれないんだと思っている。つめたい手すりに寄りかかりながら、まだ、地上と空のあいだを見ている。私は、ふわふわと立ち上がってくる、車のエンジン音を聞いている。もうここからは見えない遠くのどこかからやってくる音なのかもしれないと思う。私には感情がなくて、というより、痛みしかなくて、心が痛むか、そうでないかでしかものを感じることができない。ここにいるといつも痛い。ズキズキではなくて、しんみりと、細い糸のような筆で半紙をすうっとなぞるような痛みだ。それは光に似ている。すうっとなぞった痕はすぐに消える。私にとって光はとても痛い。小さければ小さいほど、細ければ細いほど痛い。助け出すことができたら。私は思うけれど、それは、きっと自分を含めた、無数の天使たちのことを想っているからなんだと、私は、分かっているつもりでいる。私にとって世界を想うことは、あの施設のことと、天使のことを想うことと同義だ。あんなにちっぽけで、誰にも知られず、みるみる焼き払われて失われた、あの場所のことだけが浮かぶ。他の国どころか、私は、あの場所が世界のすべてだと信じて疑わない。地球のどこに何があるのかというより、私は、人間がもちうるすべての感情や仕草や姿勢、対人のやり方や、真実を隠したりむしろ嘘を信じたりしながらそれでも、それでもいびつな形で回っていた異常な「平凡」の中に、世界の構造すべてが収まって、あとはそれらのパーツをどう組み合わせるかでこの世は再現できてしまうのではないかという、そういう「あり方」という意味で、あの施設は世界のすべてだと思う。そう思うと、ここから見えるものすべてをかき集めたら、やっぱり世界のすべてが集約されていて、ぱたんと閉じられる。こういうことを考えているとき、私はいつも少し救われているように思う。わけがわからないことは嫌だった。すべて説明して分解して構造を知りたいと思った。きっとこの欲望も、ただの好奇心なんかじゃなくて、サバイブしている私の、いちばん初めに手にした武器なのだろうと分かっている。胸がチリチリと痛い。ここには誰もいない。私がいるけれど、私のほかには誰もいない。私はこんなところで世界を考えて、ひとりで勝手に納得して、こんなにありふれた静かな田舎のいち風景を意味ありげに眺めている。いつか私はこんなことをせずとも難なく生きていくことができるんだろうか。沢田さんの声で、君は普通の人間にならなくちゃいけない、という言葉が聞こえた後、しばらくして、そんなん絶対無理、俺と同じで。と、ベルの声が聞こえる。





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