| ※２話。主人公が情緒不安定すぎてボツったやつ 「四六時中一緒にいるわけじゃないって言わなかったっけ」 「言ったね」 「じゃあどうして私の家の前まで付いてきたんだろう…」 「泊まるからじゃね？」 ベルには常識とか相手の気持ちを汲むとかいうことを期待してはいけない、ということがこの数日だけでよくわかった。有無を言わせぬ声で鍵ちょうだい、と言われておずおずとオートロックのキーがついた家の鍵を手渡すと、当たり前のような顔をしてエントランスのタッチパネルにキーをかざした。すらりとした腕が伸びる。 「別にジャポネーゼは趣味じゃねえし要らないこと考えてんだったら殺すぜ」 「殺すのは契約違反なんでしょう」 「そうだっけ」 襲わないから安心してくれって言えばいいのに、ベルはそういうタイプではないみたいで、いちいち自分優位の言い回しで相手を煽ってくる。ただ仕草が柔らかすぎるせいでいつも相殺されているのだ。態度は悪いけれど、彼は人をリラックスさせる方法を体の芯で知っているようだった。 「なんか今日はほっとくとやばいなって予感がしたんだよね」 「死相でてたから？」 「しし、確かにやばかったよさっき。だけどそれはまた別の話」 低階層用を避けて真ん中のエレベーターに乗り込んだ。何階？と尋ねられて、20階と答えれば、ボタンが押されてエレベーターの扉が閉まる。 12歳のときから住んでいるこのマンションは、ボンゴレの持ち物だから家賃はいらないよ、と沢田さんが言っていて、11年目に入った今もずっと払ったことはない。住民票と戸籍にはここではない住所が載っているのだけれど、それは学校やその他周りの人たちに、私が特殊な事情の人間だとわからないようにするためのカモフラージュらしい。だから私は何度か引っ越したことになっているらしいのだけれど、実際はずっとここに住んでいる。広くもなければ狭くもない、ひとりには丁度いい1Kの部屋。昔、与えられていた「東の施設」の個室に比べたら、ずっと普通でいい部屋だ。 いつか大人になったらここを出なきゃと思ってもう10年以上過ぎた。23歳だったらもう大人って呼んでもおかしくない年齢で、友達は皆就職して会社で働いて、自立しているのに、私はここを出る目処をいつまでもつけられずにいた。 「ん、何の用」 エレベーターはゆるゆると上る。数階上ったところで、ベルはなんの前触れもなく突然携帯を取り出し耳に当てた。そして何の用、なんて不機嫌な声でつぶやく。私は前を向いたまま、扉についている窓をぼんやりと見つめていた。5階、6階、7階…と通り過ぎるたび、誰もいないエレベーターホールが繰り返し現れては消えていく。 「ああ、そう。そうだよ。だから今一緒にいるけど。…かわる？」 ベルの温度のない声が響く。そのあと、特に何を言ってくるわけでもなく、すっと耳元から離れた携帯は私の右耳に押し当てられた。 「え？」 もうすぐ20階に到着する。携帯を私に渡してしまうと、ベルは何の迷いもなく20階のボタンを長押ししてキャンセルし、その代わりに25階を押しなおした。どういうことか全く読めないでいると、押し当てた携帯のスピーカーからいつか聞いた声がした。 「#name1#さん？#name1#さんだよね」 「えっと、」 「沢田です。沢田綱吉」 「沢田さん！」 私の声色の変わりようが面白かったのか、隣でベルが吹き出した。20階を通り過ぎ、エレベーターは最上階へ向かっている。沢田さんが、はあ、よかった…、とか、さすがヴァリアーは早いなあ、とか、独り言をいくつか言って、それから、#name1#さん、と改めて私の名を呼んだ。 「ごめんね、先週は。もとからベルに行ってもらうつもりだったんだけど」 「ああ、…そうだったんですか」 「うん。俺も今の君と同じで狙われる側の人間だから。会うなんて他のファミリーが知ったら、レストランが俺たちを狙うヒットマンで溢れかえる」 「そんなに？」 「そんなに」 エレベーターがゆるりと開く。さっさと出て行ってしまうベルの背中を追いかけるようにして、エレベーターの扉を抜けた。沢田さんが続けて話し始める。 「それでね、たぶんベルは話していないだろうから、今回の経緯を簡単に話すよ。…ベルにもこれから君に伝えるよう話はしてあるんだけど、なにぶん直属の部下じゃないし、気分屋だから一応、俺からも話しておくね」 そう前置きして、私がはい、と答えると、じゃあ本当に簡単に。ともう一度前置いて、話し出した。 一ヶ月くらい前から、君のもといた組織の親であるファミリーが「天使」を殺し回り始めたんだ。なんの前触れもなく急だったから俺たちの対応も後手後手にまわって、ついに君しか生き残りはいなくなってしまった。だからベルに護衛を依頼したんだよ。急に手紙を送ったのはそういう理由があったんだ。 これからそのファミリーが「天使」の抹殺以外にも何か不穏な動きをする可能性があるから、俺たちは今ずっとそのファミリーを監視してる。ただ、…君は知らないと思うけど…、あのファミリーは日本で何十代にも渡って生き残ってる大きなファミリーで、政治にも関わってる。俺たちもそんなにか弱いファミリーじゃないことは確かなんだけど、歴史と規模でいったら完全に白旗を上げざるを得ない。いろいろ理由はあるんだけど、これまではそれでもなんとか渡り合ってた。それが今崩れ始めてる。 「でも、こんなこと言ったらまるで無責任だと思われそうだけど、君にとってはチャンスなんだ」 立ち止まって沢田さんの話に耳をすませていた。私は、チャンス？、と聞きかえす。 「チャンス？」 「そう。この混乱を抜ければ、君は、もう完全に「天使」じゃなくなるんだ」 「ふつうの人になれる？」 「そう」 沢田さんはなんでもないことのように言う。 「嘘」 私は怒っているのか驚いているのか嬉しがっているのかわからない声を出した。 「嘘じゃないよ」 「嘘に決まってる」 自分の声があまりにも温度を失っていて、言ったそばからぞっとした。沢田さんはそのトーンに慣れているとでも言うように平静なまま返事をした。 「とにかく、君は隠れなくてもよくなる。嘘をつかなくてもよくなる。守りたくないものを守らなくてよくなるんだよ」 「そう、なんですか」 「そうなんだ。だから俺たちも全力で戦うよ。君は今まで通り、しっかり生きてくれればいいから」 どうしてか、はい、とは答えられなくて無言で突っ立っていた。それじゃあ。と沢田さんの柔和な声が一度して、数秒後にツーツーツーという音が聞こえてきた。 嘘をつかなくてよくなることが、どうしても、諸手を挙げて喜べることではないような気がした。 その切断音をしばらく右耳で聴き続けていた。いつのまにか床を見ながら話をしていたようで、そのことに気がついた瞬間、急にカーペットのシルバーグレーが眼前に迫ってくるような感じがした。自分の体の中を血がゆっくりと巡っていくのがわかるほど、私は息をひそめるようにして、静かにじっと立っていた。そのままぼとりと目を閉じ、そして開いた瞬間、シルバーグレーに黒い影が現れて、茶色い革靴が視界をかすめた。私ははっとして顔を上げる。 「終わった？」 何を聞かれているのかさっぱりわからなかった。 「なにが」 「あー終わったんだ」 言い終わらないうちにベルは私の右手をすっと下ろして携帯を奪っていった。そのとき、ようやく私は、自分がさっきまで電話で話をしていたことを思い出した。 携帯を取り返したベルはくるりと背を向けて歩き出す。その背中をみつめて、私はこのフロアの異常さに初めて気がついた。部屋が一つしかないのだ。正確に言えば、私は、もうすでに部屋の中に入っていたのだった。少し照度の低いライトがだだっ広い部屋一面をムラなく照らしている。 「だっさ。こんな仕様、古臭いマフィアしか思いつかねーよ」 オフィスのように簡易に区切られた空間の一角にソファセットが並べてある。そのひとつにもたれかかるようにして座ったベルは携帯をいじりながらそう言い捨てた。 「ちょっとした高層マンションの最上階がセキュリティつきのプライベートエリア。映画の見過ぎじゃね？」 そんな映画あったっけ、と思いながらベルのそばまで歩いていく。見回せば、この階、というかこの部屋には、窓がほとんどついていなかった。数少ない窓たちもすべて分厚いカーテンで隠されている。やっぱり窓の方へ行くと狙われるから近寄らない方がいいのだろうか、と考えた私も映画の見過ぎか。窓にかかる重たげな布をみつめたまま私は口を開いた。 「ベル」 「ん？」 「なんで、25階まで上がってきたの」 「沢田が言ってなかった？」 「言ってなかった」 「…理由は簡単。20階にいたら死ぬ可能性が高いから」 25階の内装に負けず劣らず私の状況だってやっぱり嘘くさい。映画みたいだ。 「いや、…いや、でも私、明日も昼からバイトで」 「んーその頃にはもう大丈夫」 「大丈夫？」 「そー。大丈夫。この土地で息してるヒットマンは明朝までに全員死んでる予定だから」 だからさ。今夜はここ泊まってこ。なんて十数年来の友達みたいな口調でベルは言った。携帯を向かいのソファに放って足を組み替える。私は立ったまま、首だけ振り向いて、彼のにやついた口元を見つめた。 「私以外の天使は全員死んだって」 「うん。前言わなかったっけ？」 「言ったけど」 「んー」 「やっぱり沢田さんの口から聞くと、ほんとなんだなって、改めて思ったよ」 「沢田が正直者だから？」 「そうじゃなくて」 「俺が嘘つきだから？」 そう言ったあとに、しし、と不思議な笑い声がもれる。 「そうじゃない」 「じゃあなんで」 「わかんないよそんなの」 最後の言葉が自分の外側に発されると同時に内側にも響いていって、私は肩にかけていたトートを床に落とすとそのままトートと同じようにぺしゃんと床に座り込んだ。名状しがたく不快な自分の感情に内臓を食われているような気分だった。 「わかんないよ」 いつか中身が空洞になった樹木のように、内臓がぽっかりと失われてしまうのではないかとさえ思うほどにその不快感だけははっきりとしていた。「西の施設」から逃げてきた日を境に、度々このやるせない脱力感が襲ってくるのだ。「わからない」という単語がそのトリガーになっているのかもしれないと、1年くらい前からうっすらと気がついてはいるけれど、だからといって治るわけではなかった。 ソファに座っているベルの方を見上げながら私は次の言葉を発する元気も失われたままへたりこんでいる。よっこらせ、と言わんばかりにベルは重い腰をあげソファから立ち上がる。そして、だるそうな足取りで窓の方へと歩いていく。ああ私の方には来ないんだ、とがっかりする前に、そりゃそうか、と自分を諌める自分がいる。 そのまま窓の前まで歩いていったベルはその重厚なカーテンを左手でめくり上げ、中を覗き込むようにして体を滑り込ませた。胸の下あたりから頭の少し上あたりまでの高さしかない小さな窓。まるで子供がふざけてるみたいに、カーテンの向こう側に上半身が隠れたまま、ベルはなにか思案するみたいに静かに突っ立っていた。 私はそんな意味不明な行動をとる男の後ろ姿を見ている気にもなれなくて、上半身も床の上へ落として寝転んだ。どこからか聞こえてくるエアコンや換気扇の音が物憂げに響いている。相変わらず胸や胃のあたりは気持ち悪さでどうにかなってしまいそうだけれど、そのまま目を閉じて黙っていた。 「あー、予定よりかなり早く片付いてっかも」 遠くでベルがつぶやいている。背中越しにくぐもった声が聞こえる。 「なあ」 返事をする気はない。 沈黙がふたりの間を通り過ぎたあと、すこしして、ベルの足音が聞こえてきた。ゆっくりと、でも確実にこちらへ向かってくる足音。その足音がふと止まり、目を開けると、手を伸ばせば触れられる位置にベルの靴が見えていた。そして、彼はそのままかがんで右手をつき膝をつき上半身を倒して、私と向かい合うように寝転んだ。目があって、だけど、ベルは笑わなかった。わずかに唇が動く。 「全部話ししてやるけど、聞く？」 その声を聞いた瞬間、胸のつかえが取れたように、内側の不快感がどこかへと消え失せた。ここで泣けたらどんなに良かっただろうと思った。 あの日以来涙は枯れ果ててしまって、きっと感情ごと燃え尽きてしまったのだ。 「ボンゴレとあのファミリーってもとからそんなに仲良くなかったんだよね」 「うん」 「けど沢田はジャポネーゼだし、ジャッポーネでもうまくやってかなきゃじゃん。だからなんか交渉の道具が必要だったわけ」 「うん」 「で、いろいろ探ってたら、「夢」を売ってる怪しい商売を見つけた」 「私が働いてたところ」 「そ。金の出所ははっきりわかってねーけどおそらく政府から。鉄道まで引いてたんだから国が感知してないわけがないしね」 「うん」 「んでまあゴソゴソ証拠集めて交渉の用意してたら、突然組織が火災にあって全焼。俺たちはなんも手出ししてないのに。…たしか焼けたのって日本じゅうの施設全部だったよな？」 「…知らない」 「たぶんそうだったと思うよ。で、火災があったタイミングで丁度ボンゴレの守護者がジャッポーネにいたから、子供だけ助けた」 「天使、のこと？」 「んー多分そう。子供らはただ親のいない奴の寄せ集めだったみたいだし、これからも交渉の切り札は必要だったから。組織の人間より子供匿ったほうが安全じゃん」 「うん」 「酷いと思った？」 「ううん」 「なんも？交渉の切り札として生かされたんだって知っても？」 「どうせそんなもんだって思ってたから」 「期待してない」 「そう、期待してないの」 「これから沢田はあのファミリーをぶっ潰しに行くらしいぜ。お前を頼んできた日にそう言ってた」 「勝てないんじゃなかったの」 「んーまあ今まではね。でも俺らも加勢する予定だし」 「ヴァリアー？」 「そ、ヴァリアー。代替わりしてんだよね。俺らの代も見つかった奴は声がかかってるらしい。たぶんヴァリアー2代が加勢したら結構いい線いくと思うよ」 「そんなに強いんだ」 「きっとお前びびりすぎて死ぬよ」 「私は死んだらまずいんじゃなかったの」 「別に。あのファミリーが消えれば交渉の切り札だって必要なくなる」 「ひどいね」 「そりゃあね。マフィアだもん」 「あと俺が強い証拠、もういっこ」 「なに？」 「お前のボディーガードって言ったじゃん？」 「うん」 「でも今日まで1週間くらい会わなかったよな。おかしいって思わなかった？」 「ちょっとは」 「ね。なんでかってーと、お前狙ってそうなヒットマン片っ端から殺し回ってたからなんだよね。常連減っただろ」 「…ああ、…そういえばちょっと減ったかも」 「バイトの仲間も1人消えなかった？」 「え、っと」 「ほらよくシフトかぶってたじゃん、茶髪の細っこい男」 「え、あの人死ん…」 「そう死んだ。俺が殺しといた。明日のシフトからもうこないよ」 「おととい、メールで欠勤の連絡きたから、おかしいと思ってたんだ…」 「それ送ったの俺」 「…」 「怖くなった？」 「…うん」 「怖くないよ」 「怖いよ」 「だいじょぶだって。死ぬときは一瞬だから。嬲り殺すのも随分前に飽きたんだよね」 「何が大丈夫なのか全然わかんないんだけど」 「とにかくお前に近づかなかったのはザコ狩りが忙しかったから。で今日は他の奴が加勢して一気に叩いてる」 「一気に？」 「ん、そう。向こうも馬鹿じゃないから一気に俺が仕事始めたのに気がついて大量にヒットマン送って来てんの。それこそ俺だけじゃ捌ききれない数をさ」 「それが、今日？」 「そう今日。俺はもしペーペー共がしくじってヒットマンをこの辺に近づけちゃったときのために、お前と一緒に一晩過ごすわけ」 「…」 「で、そのために一緒にマンションまできたら沢田から電話きて『敵のヒットマンが大量にそっちに向かってるから#name1#の安否を確認しろ』ってさ。おせーっての。隣にいるし、みたいな」 「うん」 「まああのまま20階行ってたらちょっとやばかったらしいんだけどね。なんでか知らねーけど、沢田が20階は危ないからやめとけって言ってたし。25階のことも言われなかったらわかんねーっつーの」 「教えてもらってなかったんだ」 「あいつその辺の管理とか把握とかクソみてえにできねえんだよ」 「ベルは」 「ん？」 「ベルは沢田さんのこと嫌いなの？」 「昔ほどじゃねえけどな」 「昔はもっと嫌いだったの」 「どうにかして殺してやろうと思ってたよ」 「今は？」 「勝手にどっかで死んでくれねーかなって思ってる」 「変わってないじゃん」 「は？天と地の差だろ」 「お前はさ」 「うん」 「どこまで知ってんの、前いたところのこと」 「なんにも知らないよ」 「口止めされてるから？」 「ううん」 「知らされてなかったから？」 「それもあるけど」 「他にもなんかあんの」 「忘れた」 「忘れた？」 「もうなんにも覚えてないよ。だから知らない」 忘れてしまったのは本当だった。自分がターコイズと呼ばれていたことや、着ていた服の肌触り、乗っていた電車の景色はおぼろげに、ふと蘇るときはあったけれど、組織のこと、「第三の世界」の仕組み、人の名前さえも、私は何も覚えていない。 そう、まるで昨夜見た夢を、断片しか覚えていないのと同じように。 |