※供養2とほぼ一緒。設定に迷っているときのやつ





 ここから世界の全てが見渡せるようだ。きらきらと光る街の明かりを見下ろして、わたしはそう思った。光の一粒一粒は息を吹きかければあっけなく飛んでいきそうな位ちいさく軽く、けなげに瞬いている。
 その光の細かな騒がしさを眺めるわたしの周りには、一転して何もなく、ただつめたいコンクリートの道と、鈍く光る鉄の手すりがあるばかりで、幸せな音など何もなく、遠く遠くから聞こえてくる車のエンジン音が、さざ波のように押し寄せるだけだった。足元は暗い。
 胸の中で、この温かく幸せな小さな光たちと、ひんやりとした暗い空気が混ざり合っていく。高揚感のすぐ後ろでむなしさが息をしているのがわかる。それでもわたしはこの景色を眺めるのが好きだった。
 自分の心が満足するまでここに留まろうとすればきりがないから、しぶしぶ踵を返して来た道を戻る。一歩一歩と歩くたび、夜中のしんとした空気が頬をかすめてゆらゆらと流れていく。まぶたの裏には、まだ街の明かりがちらちらと浮かんでいた。





「ありがとうございます、気をつけて行ってらっしゃいませ」

 月曜日の朝、駅前のコーヒーショップは嘘みたいに人でごった返している。もちろんコーヒーを片手にビジネスマンが向かう先、あの大きなターミナル駅の構内よりはずいぶんとましだと思うけれど。それでもカウンターにずらりと並んだ店員たちが声を張り上げながら嵐のように動き回るさまは、動き回っている私でさえも辟易するくらいせわしない。
 金額に見合わない大きな金額の札をぺらりと出してきた客に少しだけ苛立ちながら、わたしはおつりの札をいち、に、さん…と数える。頭の中ではもう既にいくら返せばいいのか分からなくなっているけれど、口と手が機械のようにきっちりと9000円を数え終わった。小銭まで渡したところで肩を叩かれる。

「おつかれ。レジ代わるよ」
「ああ、おはようございます」

 とんちんかんなわたしの返事を特に気にすることもなく、スムーズにレジを変わった先輩はもう次の客のオーダーを聞いている。張り詰めた気分が抜けると同時に、上げ続けてくたくたになった口角がだらんと落ちた。バックルームに入ろうと狭い通路を抜けていくと、奥のカウンターに貼り付けられた注文票が、店の扉が開くたびに風を受けてぴらぴらと揺れているのが見えた。

 そんな怒涛のモーニングタイムが終わって一息つく頃、その人はふらりとやって来る。
 注文が済んだ客を、回復した口角を上げて笑顔で右手へ送ると、次に左手から現れたのが彼だった。きた、と心の中で少しガッツポーズをする。
 その金髪の男は薄く笑みながらカードを差し出した。ラテひとつ。そのあと一呼吸おいて、親しみのこもったような不思議なトーンで「甘くして」とひとこと。
「かしこまりました」
 ほとんど毎日顔をあわせるお得意様だから、彼がカードを差し出す角度や、私の受け取るタイミングも、自然な形でぴたりとかみあって、気持ちがいい。
 この客が注文するものは毎回ころころと変わったけれど、たいてい「甘くして」とか「ミルク多めにして」などと一言付け足された。その調節も手馴れたものだった。
 受け取ったときと同じようにスムーズな手際でカードを返すと、その人はいつものようににこりとしてそのまま右手へと姿を消した。わたしは振り返って彼の注文を繰り返し、奥のスタッフへ伝える。「甘くして」も忘れずに。



 太陽もちょうど真上に差し掛かる頃、わたしはやっと朝のシフトを終えてエプロンとワイシャツを脱ぎ、私服の黒っぽいワンピースに着替えて店を出た。外の空気は、早朝の刺すような冷たさから一変して、ほころぶような暖かさと澄んだ冷たさが静かに混ざり合っている。
 わたしは平日のこの時間が好きだった。閑散としているけれど寂しくなくて、道を歩けばどこからかにぎやかな音楽が聞こえてくる。特に晴れの日はやわらかな白い光が街中に満ちていて、永遠とこの時間が続けばいいのにと思う。
 いつもならこのまま真っ直ぐ家に帰るのだけれど、今日は家の方向とは反対に、駅のほうへと足を進める。ふと足元を見て、今日に限ってどうしてだかキャメルのブーツを履いてきてしまったことに今更気づいたけれど、どうせ身内だけの小さな集まりなのだから大丈夫だろう、と特に心配することもなく改札のゲートを通り抜けた。

 今日はおばあちゃんの四回忌だった。
 わたしの住まいから乗り換えを一度して40分。住宅街と繁華街の合いの子みたいな中途半端な地域におばあちゃんの家は経っている。30年前に一度リフォームしてはいたが、ずいぶんと鈍重な印象のある古い家だった。そのブロックだけが時代に取り残されたように、似たような古い家ばかり集まっている。それらの主は全員もれなく他界しており、今となってはこうして「◯回忌」で招集のかかる親戚どもの集合場所でしかなくなっていた。

 目的の駅の改札を抜けると、待ち合わせをしていた母が迷惑そうな顔をして小走りにやってきた。

「遅かったじゃない」
「さっきまでバイトだったから」

 5分と遅れていないわたしを母はチクチクと責めながら並んで家へと向かう。ちらりと見やれば、母もへんな色のナイロンのトートバックを肩にかけて、地味な色ではあるが明らかに黒ではないローファーを履いていた。わたしはそれについて特に言及せず黙ったまま歩く。母もキャメルのブーツには触れなかった。駅前でタクシーを拾ってそそくさと乗り込むと、母がおばあちゃんの家の向かいにあるさびれた不動産屋の名前を言った。その響きの懐かしさに、わたしは毎年同じように胸を打たれる。

 先にやってきていた人々の靴と同様に、玄関にブーツを放って居間の扉を開けると、むっとしたカビくさい臭いが鼻をつく。これでもだいぶマシになった方なのだろう、家の中の窓という窓がすべて開けられ、ぴゅうぴゅうと室内を風が吹いていた。陽の当たる外よりもずっと寒い。
 わたしは窓を開けた張本人であろう、大きな背中に文句を垂れる。

「おじさん、二月にこれはないよ」

 広い居間の一番端にある小窓を棒でつっつくように開けていた叔父は、その窓が全開になるまでしばらく格闘し、全開になってからやっとわたしの声が聞こえたとでも言うように「ん?」と振り返った。

「寒い」
「俺だって寒いさ」

 195センチ、うちの親戚どものなかで一番背の高い叔父が格闘せねばならないほどの高さにある小窓なんて、一体どういう経緯で付けられたのかはわからないけれども、とにかく家の中までも外のように寒い。俺だって寒いさ、と言いながら叔父は長袖のセーターを肘の下あたりまでまくりあげている。寒い国の血が入っていると寒さへの耐性が上がるのだろうか。何度聞いても忘れてしまうが、叔父はどこかの国と日本のハーフだ。
 今日のためにどこかしらの家から運ばれてきたのであろう、柄も大きさもまばらな座布団の山がちゃぶ台を囲むようにいくつも出来上がっていて、そのうちのひと山の上にリュックを置いた。あたためられていた背中が頼りなげに冷えていく。

「二階ならあったかいよ。あと30分もすればお昼ご飯も来るだろうし」
「ふーん」

 おじさんが勧めるまま、わたしは居間から続く階段を登って二階へ上がる。さっきからがやがやと大勢のひとの声がしていた。
 二階には、フローリング敷きなのに襖で仕切られている謎の作りをした部屋が三つ、隣り合うように並んでいて、それぞれが八畳くらいあるのだが、襖を取り払うと二十四畳の宴会場のようになる。もうすでに襖は廊下へ放り出されているらしく、二十四畳のフロアでは二十名は超えているだろう、大勢の大人が長机を囲みお茶を淹れて談笑していた。かなりの人口密度だ。

「久しぶり」
「久しぶり」

 手招きをされて一番奥のテーブルに腰を下ろす。目の前には白いマグカップがいくつか乱雑に置かれ、その隣には大きなポットと緑茶、紅茶のティーバック、それにインスタントコーヒーの粉が置かれていた。どれにする?と従姉妹に促され、紅茶のティーバックをマグに入れる。
 それを受け取り、目の前で嬉々としてポットからお湯を注ぐこの人も、その隣でお茶菓子の包み紙を剥がす高校生も、わたしの右隣でスマホをいじくっている三十路も、皆わたしの親戚だけれども、いつも違和感を抱かざるを得なかった。うちの血筋は大抵、「ハーフ」とか「クオーター」とか呼ばれる人ばかりで、そうでない、わたしみたいな純日本人(なにをもって純、なのかはわたしにもわからないが)は周りに全くいない。国籍の混じらない家庭はわたしの家くらいのもので、あとは大抵ヨーロッパとかアメリカとか、とにかくそういう国々の風が流れ込んできていた。

 ただ最近そういった家庭は珍しくなく、わたしが勤めているコーヒーショップにだって流暢な日本語を話す外国人らしき風貌の客が大勢やってくる。毎日のようにくるあの客だってそうだ。バイト仲間にもハーフやクオーター、ハーフとハーフの子供(何て呼べばいいのかわたしは知らない)、ハーフとクオーターの子供(同上)がたくさんいて、ざっくりと言ってしまえば日本もアメリカと似たような多国籍国家になりつつあるのだ。

 そのせいかどうかはわからないが、ふつう行うはずもない「四回忌」も我が家は平然と執り行う。といっても、一周忌のときから特にお坊さんを呼んだりなどもせず、ただただおばあちゃんの家でお昼ご飯を食べるだけで、特にこれといって特別なことはしない。わたしは下の階からおじさんが出前の寿司をはこんでくるのを見ながら、つめたいフローリングを手でなでる。指先もフローリングに負けないくらい冷たくて、そっけない。

「そういえば」
 すでに2杯目の緑茶を口につけている斜向かいのいとこが、サーモンの握りを箸でつまみながらつぶやいた。そういえば、今年もひとり受け入れるらしいよ。出所児。
 わたしは遠くにあった醤油を取ろうと、立ち上がらず横着して手を伸ばし、ちょいちょいと手繰り寄せる。自分の小皿に少しついでから、彼にもついでやる。

「出所児?去年も受け入れたじゃん」
「ね。どういうシステムになってるんだろ」

 まあ別にいいけど。
 言いながら、ちょっと迷惑だな、なんて思ったりもする。

 出所児、というのは文字通り出所した児童のことで、どこから出所したのかといえば、つまり刑務所のようなところだ。将来やばい事件を起こしそうな芽はあらかじめ摘んでおく…のではなく更生プログラムで「更生」させておく、という制度が数十年前からはじまったのである。
 ちいさな子どものどこにそんな「芽」が見えるのか、わたしにはよく分からないけれど、とにかく毎年数パーセントの子どもが更生プログラムの施設に収監され、4,5年後に出所する。