指先が冷たいと気づいて左手で握れば、もはやそれは凍らせてしまったかのようにひんやりと冷たい冷気すら帯びているようだった。時計を仰げば午前4時。作業を始めてから84時間、つまり3日半もの時間が経っていた。そりゃ血の巡りだって頭の回転だって悪くなる頃だろう。冷たいままの右手で前髪をかき上げれば、思い出したようにため息も出てしまった。よるはつめたい。

「なんだっけ、日本の通信?だっけ」
「…何ベル起きてたの」
「今さっき」
「ふうん」

ベルにはきっと睡眠ってものが要らないんだろう。おやすみ、と私を抱きしめてきたのはつい2時間前だ。私だったとしたらシャワーを浴びて髪を乾かしてスキンケアを施して紅茶を一杯飲んだら、2時間なんてすぐにすぎてしまうものだ。ひとりひとりの時間とはこんなにも差異のある、実に不公平な存在だ。例えば84時間もの時間があったなら、ベルはこのサーバーをどれだけ強化できるんだろう。つめたい右手を挙げれば当たり前のようにベルが握った。ベルだって冷たいじゃない。
日本で起きた地震はどうやら1回きりでなかったらしい、日本の「震度○」という表現には馴染めないが、とにかく大きめの地震が今でも常に多発しているらしい。元職場からの悲鳴の一部だ。
今となっては私はヴァリアーの幹部だが、昔はEUで通信系の仕事をしていた。日本にもよく出張で連れて行かれたことがあって、そこで長期的に携わったのが地震速報の通信部だった。他の用事でも度々日本には赴いたが、その度お礼の連絡が入っていた。日本と地震は切っても切れない存在らしい。今住んでいるイタリアでは全くといっていいほど地面は揺れなくて、揺れるといったらボスの攻撃の衝撃とかだ。ある意味でスケールと恐怖の種類が違う。

「もう4時じゃん」「しってる」「おわんねーの?」「日本の地震が終わるまでね、とりあえずこの一連のでっかいのが収束するまで」「俺かわろっか」「あんたプログラミングも分かんないのによくそんな事言えるね」「言うだけ愛情かなと。しし」「ねえ」「ん?」「手、冷たい」「あっためてやってんじゃん」「ベルの手だって冷たい」「ヤればあったかくなるっしょ」「馬鹿なこと言わないで。寝ちゃう」

イタリアの街は朝日と街灯で明るく染まり、早起きの目覚めはにわとりの一声から。ここからは見えない遠くはなれたヴェネツィアでは、みなもが揺れて光と踊る。私はベルにキスをしながら自分の右手と、それからこの画面の先で助かる誰かの命のことを思った。

朝日が昇るのはもうすぐだ。




20110324
裸族地震緊急企画に捧げる