過剰に落とされた角砂糖とそれに反比例した私の薄い感情。同じような安い言葉を繰り返す私の薄い生命力。角砂糖の溶けていくさまを見つめながら私は考えていた。大好きだ大好きだ大好きだ。死んでほしい本当に死んでほしいそうじゃないと私が殺される。愛と憎悪が紙一重とはまさに私が今体現しているそれであって、加えて私は自分自身のちゃっちい脳味噌に負けて今にもこめかみに銃口を当てそうなのである。ああこのままでは変わらない未来が変わらない。変わらないことで困るのは私だけなのだから、その私が音を上げて一体どうするんだ!
そうだ、お互いにお互いを生かす道はないのだろうか。考える前に思考を奪われた。私が殺したくて愛したくて堪らない、彼に。

結局、私は溺れる私に酔っているのだ。色々考えて堂々巡りしてどうしようもなくなってベルに殺されるであろう私に酔っているのだ。私はただの酔っ払いだった。自己陶酔もいい加減にしろ、さもないと明日殺されるかもしれない。だけど私の飴玉ほどの脳味噌はもう言葉を理解する機能すら失っているらしかった。『不安だ』。その3文字だけがこの部屋にゆるゆると充満していき、私をどうでもいい気持ちにさせる。

そのとき私は思い出す。彼女が死んでしまった悲しみの渦中でさえ、自分の感情に押し流された私のことを、思い出す。ベルに期間限定の愛を受けながら、思い出すのだ。








それでもいつか死んじゃうんだよ私はあのときの言葉を忘れない。机を挟んで向かいに座る男に微笑みながらも私は絶対に忘れない。彼女が言った「いつか」が翌日だったという現実を私は忘れないし、それは私の胸にリアルな痛みを伴って重い鉛のように深く沈む。心臓が黒いオブラートに包まれたような感覚。そのオブラートは少しずつ溶けていき血管を介して全身へ巡る。そして黒いオブラートは涙腺を執拗に殴りつけるのだ。だけどまだ不可抗力じゃない。手元の真っ黒なコーヒーが一瞬揺らいだ気がした。もう冷めきっている。


「ベル、明日って何時から任務?」
「25時からミラノの裏通りだけど、何」
「いや、私明日非番だからなんとなく」


もし私が死んだら、お願いだから、かたきを討ってね私は嘘をついている。ベルは25時、ミラノの裏通りで死ぬ。私が殺すからだ。俯いた視線に何を期待したのか、ベルがうししと笑った。随分と機嫌の良さそうな声だったけれど、いったい何を考えているのだろう、いつも私には分からない。比べて私の心臓は早音を打っている。切り裂き王子を殺すという非現実感からだろうか。それとも私の中で感情の齟齬か何かが起こっているのだろうか。自分のことすら私には理解しがたい。


「なあ、拗ねてんの」
「拗ねてないよ、なんで」
「お前が非番なのに俺が任務だからさ、どこにも行けねーじゃん?」


どこまで自意識過剰なの、とため息をついて立ち上がる。お前は30時間後にミラノの裏通りで死ぬんだよ馬鹿野郎。途端にそれを言ってしまいたい衝動に苛まれて硬直する。何してんだ、私。

ベルが殺した女は私の良き理解者だった。それと同時にベルの婚約者だった。私がまだ平隊員だった頃、ベルがよく部屋に連れ込んでいた女性が彼女だったのだ。私はたまに彼女の暇つぶしの会話相手になっていて、同じ年齢だと分かってからは一気にその仲は深まっていった。なんて昔の話。ベルの婚約者に決まってから彼女はずっと怯えていた。いつ殺されてもおかしく無い状況に立たされたと後になって気づいたのだ。私は何も言わなかった。私が何を言っても1ミリすら変わることのない未来。変えることが出来るのは彼女が死んだ後の未来だということだけが、くっきりと浮き彫りになってしまったのだ。しかしそれは仕方ないとしか言いようがない。彼女は毎日のように泣いた。

どんなに愛されていても、いや、愛し愛されるが故に憎しみまでが後ろを追って着いてくる。立ち止まればその先は闇。逃げることしか出来ない選択肢。泣けば立ち止まってしまう。私は何も言えなかった。だけど必死で彼女の言葉を聞いた。全てを聞いた。彼女の、最後の最後まで。だから殺すことに決めた、そうだ選択肢は以前の彼女のようにひとつしかない。

だから心臓よ止まれと思った。





「なんで俺のモンにならねーの?」


手首を掴まれて後ろに引かれる。心臓が壊れてしまいそうなほど速く脈を打つ。見たくない。私の感情なんて見たくない。だってそんな感情要らない。ちらちらと視界の端で点滅する感情、嘘と本当。嫌いだ好きだ。死んでほしい死なないで。両極端のそれは互いに反発し合って全てを真っ黒に染め上げた。ベルに愛されたら殺される。怖いと震えるほどに弱る判断力。自分の気持ちに正直になったところで生じるメリットはゼロであるはずなのに、私は次第に口を開いてしまいそうになる。


「愛してる」


振り向いてはいけない。


「…なあ、」


答えてはいけない。


「あの女、覚えてる?」


振り向いてから自分に絶望した。あの女と曖昧に指された人間が彼女である確信なんてないのに。きっと私は今酷い顔をしてる。ベルは私を見つめて薄く笑った。会心の、笑みだった。それでいて愛を囁く唇は本当に、本当に、大嫌い。心の真ん中で大切に守っていた柱が、ひとつ折れて軋んだ音をたてる。ごめんね。


「お前の大切なお友達だった奴」
「……」
「昔は愛してたよ、ほんと」
「嘘」
「今の感情に正直なだけじゃん」
「…嘘」
「嘘じゃねえよ、なあ、愛してる」


抱きしめてキスをしたのは一体どちらからだったのか。いったん決壊した感情のダムはとどまるところを知らない。本当はずっとベルが欲しかった、欲しくて欲しくて欲しくて欲しくて、どうしようもなく欲しくてたまらなかった。その金髪が愛しかった。なぜひとりのただの人間に私はこんなに固執してしまうんだろう。分からない、それは誰にも分からない。死んだ彼女にだって絶対に分からないんだ。ただ今まで恐怖していた未来は現実となって、例外のない死刑宣告をつげる。世界は反転した。

彼女の好きな花は確かフリージアだった。私は目を閉じて彼女を想う。視界いっぱいのフリージア。ああ、彼女によく似合う。目を開けば金髪。何か言いたかったのに、全て上から被さる感情に押しつぶされてしまった。ため息すらつけずに涙を流す。
間違いだったのだ。ベルフェゴールという美しい悪魔に出会ってしまったのが私たちの人生最大の、失敗だったのだ。金髪の間から覗く色素の薄い瞳は、全てを諦めて死んでしまったように温度のない飴玉だった。きっとお互いどうしようもない。30時間後に銃口を向けるはずだった彼が泣きそうな顔をして私を抱きしめたことなど、私は知らないし知りたくもない。


それでもいつか、…


いつか死んでしまうならば、あなたに殺されるのが本望なのかもしれない。でも、それでも、短いと分かっているこの幸せをいつまでも感じたい。せめて、今だけはこの愛が本物だって信じさせて。どうしても信じきれない自分が混ざり合って心の底に沈んでいく。残ったのは空っぽの心とフリージア畑の景色だけだった。