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モブのクラスメイトがたくさん出てきます。注意




 気休めみたいなほんのちょっぴりの春休みが終わって、久しぶりに校門を抜けると昇降口の前には人だかりができていた。みな、まるで入試の合格発表みたいにでかでかと貼り出されたあたらしいクラスの名簿を見上げている。うちの高校はひと学年15クラスもあるマンモス校だから自分の名前を探すのにも一苦労だけど、これが毎年の楽しみなんだから首が疲れるのもたいして嫌じゃない。

 掲示板の少し手前にある自販機で飲み物を買おうと小銭を入れたけど、見れば午後の紅茶はすでに売り切れていて、少し泳いだわたしの指先は綾鷹かキリンレモンかでしばらく迷っていた。どっちも微妙に気分じゃないけど喉乾いたしなあ、と思っていたら後ろから声をかけられた。

「おはよ」
「わあジルおはよー。今きたとこ?」
「そ。お前は?」
「私もさっききたとこ」

 綺麗なブロンドの髪が目を覆ってしまうほど伸びているこの人は、学校の人気者である前にわたしの大親友だ。家が近所でいわゆる幼馴染ってやつ。物心ついたときからすでにこの妙な髪型と周囲からの人気はがっちり押さえられていた。ちなみに似たような髪型をした高校生がもう一人いるけど、そいつはジルの双子の弟で、私たちとは違う高校にいる。もっと頭のいいとこ。

「相変わらずすげー人だな、こりゃ」
「ほんとー。学校のホームページにでも載せてくれりゃいいのにね」
「何を?」
「クラス発表の紙」

 あーたしかに。そう言ってジルは自販機の取り出し口に手を突っ込んで、わたしが選んだキリンレモンを取り出した。それをわたしに渡すとジルも小銭を入れて右手を持ち上げたけどすんなりいくはずもなく、午後ティー売り切れじゃん、と呟いて、わたしと同じように綾鷹とキリンレモンで悩み始めた。

「いやーもう3年生かあ」
「だな、早え」
「受験だよー。やばいよジルくん」
「余裕」
「うそつけ」

 いや、わかっているのだ。ジルは毎度毎度テストで学年1位だし、この前はじめて学校でやらされた模試では難関大学にB判定が出てた。あと4点とれてたらA判だったじゃんくそー、とうなだれる金髪を横目にわたしはE判定ばっかり並んでいる帳票を小さく折りたたんで隠した。すぐにクラスメイトたちがジルを囲んですげえすげえと騒ぎ始めたから、ちいさく折られた紙くずをそっとポケットに突っ込んだ。
 実は、あれからまったくポケットをいじらなかったせいで今もポケットには例の紙くずが入ったままだった。いつ捨てようかと右手の先で折り目をいじりながら、ジルの背中を見つめている。

 すると、ジルーひさびさ!と後ろから大声が聞こえてきて、男子の集団がやってきた。おのおの、手には藁半紙のコピー用紙が握られていて、なあんだ、掲示板じゃなくったってこの紙見ればよかったのか。

「おーなまえ。お前も終業式ぶりだな」
「うんおはよ」
「お前何組」
「わかんない。まだ見てないし」
「どーせまだジルと一緒じゃん?」
「ほんとにそうだったらもう呪いみたいなもんだね」

 ジルは他の男子たちにまぎれて何か話をしているらしい。おどけたように笑う元クラスメイトの肩を叩いてわたしは掲示板の方へと歩いていった。小学校中学校そして高校2年までの計11年間、わたしはなぜかジルとずっと同じクラスだった。たしかにここまできたら、12年目もジルと同じクラスだったら嬉しいなとは思っているけれど。

 まだしばらく人の引きそうにない掲示板前は、クラスとその名簿、そして担任教師の名前が15組ぶん横に並んでいた。自分の名前を探すかたわら、ジルの名前も無意識で探していた。人混みをかき分けて流れ着いた先には5組の名簿。まあそんなすぐに見つかるわけもないし、と目を滑らせるとラッキーなことに自分の名前がすぐに見つかって、当たり前のように次はジルの名前を探す。わたしの名前からはそんなに離れていないはず。ゴシック体で書かれた姓名をひとつひとつ吟味するように読んでいく。けれど何度確認しても、

「ジルがいない…」

 ジルは5組じゃなかった。別にジルがいないと不安だとかそんなことはなかったし、クラスが一緒でもそんなに寄り添ってたわけじゃないからこの一年も変わりなく過ぎていくだろうということはわかっていたけれど、やっぱり期待していたからその分がっくりきた。奇跡はそう簡単に起きてはくれない、というか、11回起きてくれただけかなり神様も奮発してくれた方だと思う。

「…」
 運悪く友達も見当たらず、掲示板からすこし離れて昇降口の階段にひとりで腰掛けた。友達でも見つかればこういう僅かな憂鬱はすぐに拭い去られるのだけれど、今日はいろんなことがうまくいかないな。午後ティーも売り切れだったし。と自分を憂いながらさっき買ったキリンレモンのキャップをねじった。プシッ、と小気味のいい音がして、パンパンだったうすいプラスチックボトルの緊張がすこし解けた。足元には落ちてきたばかりの綺麗な桜の花びらがまだその微妙な丸みを保ったままふわりと佇んでいる。
 やっぱりキリンレモンの気分じゃない。

「新学期早々ぼっちしてんじゃねーよ」
「あ、ジル」

 例のコピー用紙を2枚持ってジルが意地悪そうに笑った。1枚受け取って、改めてジルがいないことを確かめてまたがっかりする。

「俺14組だった」
「わたし5組」
「5組って2階じゃん。よかったな」

 毎日4階まで上がれる気がしねーよ、とジルは当たり前のように隣に腰掛ける。ジルがあえて話の進行方向をそらすのはいつものことだからあんまり気にしないけど、手に持った午後ティーをそわそわと持ち替えているのはちょっと変だ。っていうかなんで午後ティーもってんのジル?

「トレードした」
「佐伯くんと?」
「そー。あいつやっぱ炭酸飲みたいっつってたから」

 じゃなくて。
 ジルは右手に持ち替えたり左手に持ち替えたり軽く上に放り投げたりして遊んでいたそのペットボトルをわたしの方に差し出す。やる。そう言ってわたしの顔をまっすぐ見てくる。キャップは開いていないみたいだけれど、ジルが遊んだせいですこし泡立っている。有無を言わせぬその右手からおずおずとそれを受け取ると、脇に置いていたキリンレモンを差し出した。あけちゃったけど飲んでないから。そう言い訳のように添えて。

「いーよ俺喉乾いてないし」
「わたしだって2本もいらないもん」

 なぜか決まりわるそうにキリンレモンを受け取ったジルは、去年の身体測定のときから更に伸びたであろう長い足を投げ出して長い溜息をついた。はあー。

「残念」
「なにが?」

 わざと意地悪に気づかないふりをしてみる。

「お前は残念じゃねーのかよ」
「午後ティー売り切れてたのが?」
「はあ?本気で言ってんの?そんなことどうでもいいっつーの」

 春の風は時折はっとするくらい湿っていて、ファンデーションを塗ったほっぺたがすこしだけごわごわとした。陽の光が暖かい。ジルの座っているところは木が揺れるたびに陽が現れたり影に覆われたりして、ジルのくたっとしたブレザーとそこから露わになった首筋や糊のきいた白いシャツに何度もスポットを当てた。スポットが外れ陰れば、水中に沈んだみたいに時間が止まって、音が消え、囁くみたいにブロンドの髪がきらきらと瞬く。どちらにしてもジルは胸が締め付けられるくらいかっこよかった。そんなことずっと前から知ってる。

「まあどうせ宿題とか教科書とかせびりにくるだろ、なまえ」
「クラス違うのにそんなことしたらジルのファンにシメられそう」
「ファンなんか別にいねーだろ」
「いるし。この前のバレンタインも抱えきれないくらいもらってたじゃん」
「チョコあげんのとファンなのは別だろ」
「チョコもらうのは当たり前だってことですか」
「とーぜん」

 ぷっつりと会話の糸口が途切れて不自然な沈黙が流れる。すこし後ろではまだ大勢の高校生が掲示板の前でたわいなくお喋りをしているのに、わたしたちは掲示板に背を向けてだだっぴろい校庭とそれをふちどる桜を眺めていた。

「あのさ」
「うん」
「俺、お前が行くっていうからこの高校選んだんだわ」
「うん?」

 突然の発言にジルの方を向けば「こっちみんな」ってそっぽを向かれた。話には続きがあるようで、ちょっと落ち着かない気分になりながら午後ティーを開けるか迷う。わたしたちの後ろで生徒は続々と校舎へ入っていく。

「まあ制服もベルんとこより悪くなかったし?」
「はあ」
「家からもぼちぼち近いし。定期圏内に遊び場たくさんあるし…」
「ほう」
「いや、ごめ、そうじゃなくて……」

 さっきまで大仰に広がっていた足は小さくたたまれて、体育座りのように縮こまった格好のジルはこれまた長い腕で頭を抱えていた。それでも画になってしまうのは本当に凄いとしか言いようがない。

「フツーに、お前と一緒にいたかったっていうか……」
「まあ幼馴染だしね?」

 ちげーよバカ!とジルは叫ぶけどいつものジルより弱々しい。泡立った午後ティーを開けて喉に流し込めば香料のいい匂いが鼻腔をすり抜けていった。

「いやだからさあ、わかるじゃんここまで言ったら」
「最後までちゃんと言わなきゃわかんないもん」
「無理。勘弁して」
「言わなきゃ教室行っちゃうからね」

 さっきまでの憂鬱は何処へやら。ゆるゆるとにやけ顏になりながらわたしはすっくと立ち上がり空っぽのスクールバッグを肩にかけた。顔を上げたジルの顔はほんの少し赤くて、目があうとつい口の端が上がってしまう。

「ばっ、お前わかっててやってんだろ」
「えー?なーにーがー」
「あああああもうまじ最悪」
「あのねジル」

 わたしの呼びかけに、またもやしゃがんだまま頭を抱えていたジルは子犬みたいにくるっとこっちを向いた。華奢な肩がちぢんで急なカーブを描いている。

「わたし専門学校行こうかなって」
「は?」
「高校までは一緒でもいつか離れちゃうんだよ」
「え」

 ぽいと右ポケットから紙くずを投げれば風にあおられて校庭前の側溝の中に落ちた。

「もう決めたから。ていうかさっき決めた」
「え、は、意味わかんないんだけど」

 返事はせずに歩き出す。ガラス扉に貼られた「5組」の文字とその下の矢印の示すがまま昇降口の左から3列目へと向かっていく。扉を抜けると昇降口は薄暗くて、その光量の落差に体が追いつかず目の前が一瞬まっくらになる。ざわざわとした人混みのなかで自分の名前が貼られた下駄箱を探し靴を脱ごうとした瞬間、スクールバッグが引かれてバランスを崩しかけた。崩した先にはジルが顔を真っ赤にしてこちらを見つめていた。

「あのさまじで本気で聞いて」

 ジルのことは学年全員が知ってる。かっこよくて頭がよくて少し意地悪だけど優しいこの男の人を皆が知ってる。ファンクラブだってある。恥ずかしくてすぐやめたけどわたしも一瞬入ってたんだよ。だから周りにいた女子生徒はおろか男子生徒までがジルの必死の形相に気がついてこっちを向いていた。

 うそ。さすがにここで呼び止められるとは思ってなかった。

「お前が専門行くとかは別に止めないけど」

 本題とは一番関係のない話題から入る、ジルの照れ隠しがいじらしい。周りはほんとうに、ほんとうにゆっくりと靴を脱いだりスリッパを鞄から出したりして精一杯時間を稼ぎながらわたしたちの行く末を見守っている。

「さすがに俺も同じとこ行くとは言わねーし」

 わたしの鞄の取っ手を掴んでかがむように下を向いていたジルはゆっくりと顔を上げて丸まっていた背を伸ばす。もう175センチは超えたのかな、綺麗に制服を着こなしているジルは幼馴染だということを抜きにしてもきっと世界一かっこいい。

「だけどさ、だからさよならなんて言うなよ」
「…さよならなんて言った覚えないけど」
「言ったじゃん」
「言ってないよ」
「言った!言ったって!」

 ああもう全然きまらない。ここまでしどろもどろなジルも珍しい。けどわたしまで顔が熱いから早くこの場を何とかしてよ。

「いやもうどっちでもいいけどさ」
「うん」
「…」
「…」
「…あー」
「早くしてよばか」
「焦んなよ大事なとこなんだから」
「焦ってんのはどっちだか」
「るせーよ、だからとにかく」

 俺はお前のことが好きだから。
 それだけ言うと口元を片手で覆って俯いた。
 辛抱強くジルのその一言を待っていたのはわたしだけじゃなく、その瞬間、どこからともなく浮かれた歓声が湧き上がった。その歓声に押しつぶされるようにジルはへなへなと床にへたり込むと、はーとかうーとか言いながら髪をぐしゃぐしゃと弄った。弾かれたように集まってきたジルの友人たちは、まるでこうなることが分かっていたかのように訳知り顔でジルの頭や肩を小突く。

「おつかれジル!頑張ったじゃーん」
「るせえよ死ね…」
「お前どんだけ告るのに時間かけてんだよ、もう授業はじまるぞ」
「…じゃあ教室行けよ俺はもう帰る…」

 憔悴しきったジルに皆が口々に声をかけていく。もちろんわたしにも絡んでいきながら昇降口は次第に静かになっていった。ジルの友人たちは飽くことなくジルをいじり倒している。

「もっかい確認しとくけどさあ、念のため」
「んだよ…」
「ジルはみょうじのことが?」
「…好きです…」
「んーきこえね」
「クソ野郎あとで殺す…」
「きこえねーって」
「勘弁してまじで…………」
「好きなの?嫌いなの?」
「…………いやもうめっちゃ好きです…」
「どのくらい?どのくらい好き?」
「もうほんとまじで好きです………」
「そーかそーか」
「…好きです…」

 恥を通り越してもう笑ってしまうくらいジルはくたくたになっていて、もう帰りたい、帰ると言い続けるジルを、また同じクラスになったらしい佐伯くんが引っ張って連れて行く。ちょっとだけ足を止めてわたしの方を見た佐伯くんは、口パクで『おしあわせにー』と言うとにっこり笑っていってしまった。時計を見ればあと1分で鐘がなる。がらがらになった下駄箱に急いでローファーを押し込んでジルたちとは反対方向に走り出す。ジルとはクラスが離れても学校が離れても、もう絶対に大丈夫だと思った。



そしたら一緒になればいい



20160216
h.niwasaki

3周年記念フリリク さきいかさんへ