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 次の日、時計を見ると既に12時を過ぎており、ナマエは慌てて飛び起きた。それからリビングに向かえば、既に起きていたらしいシリウスが「おはよう。」と笑顔で出迎えた。その時、ナマエはシリウスの手に握られた何やら棒の様な物に気が付き、訝しげに見た。

「ああ、これか?これは私の商売道具だ。」

 そう笑顔で言いながらシリウスがその棒を振る。するとどうだろう、泥まみれだった部屋がみるみる綺麗になっていく。なんだったら、泥まみれになる前の部屋よりも更に綺麗に片付いてしまった。ナマエは思わず感嘆の声を漏らした。

「魔法が使えるって便利でいいね。」
「ああ、生憎料理系の呪文は苦手なんだがね。」

 「なーんだ、残念。」と笑いながらナマエはキッチンへ向かった。手を洗って、冷蔵庫から食材を取り出す。作っている間も、シリウスは興味津々にその過程を見ていた。ものの数十分で料理を作り終えると、テーブルに並べる。それから2人で向かい合って座り、またナマエが「どうぞ」と促すのを合図にシリウスは嬉しそうに食べ始めた。
 こうして人と向かい合って食事をするのは何年ぶりだろう。休みの日以外は仕事と家を行き来するだけの生活をずっと繰り返していたナマエにとって、こうして向かい合って食事出来ることが新鮮だった。 ふと、夢中になって食事をしていたシリウスが視線を上げ、そのグレーの瞳と視線がかち合った。昨日は気が動転してそれどころでは無かったが、ナマエはシリウスがとてもハンサムだという事にその時初めて気が付いた。なんだか恥ずかしくなったナマエは、直ぐに目を逸らした。

「今日、出て行くんでしょ?」
「ああ、世話になったな。」

 シリウスは子供の様な顔でにかっと笑った。ナマエはそれに笑い返したが、なんだか少し寂しく感じた。
 それから食事を終え、後片付けを始めたナマエは、棚の奥の方に埃を被ったウイスキーがあるのを見つけた。これはそう言えば、店主のスチュアートから誕生日に貰った12年物のウイスキーだ。スチュアートには悪いが、飲む機会が無かった為大切に保管していたのだ。

「シリウス、出ていく前に最後に、ウイスキーでも飲んでいかない?」

 ウイスキーを取り出して、シリウスに見えるように掲げる。ナマエは最早少しでもシリウスと長く一緒に居られる口実を探していた。シリウスは掲げられたウイスキーを見て、目を輝かせた。

「最後の夕食、少しだけ豪華にしようよ。それでウイスキーで乾杯してさ。」
「それは良い。楽しみだ。」

 それならば、とナマエはシリウスと共に早速買い出しに出掛けることにした。無論、シリウスは犬に変身して、だが。犬になったシリウスは、しっぽをバタバタと振りながらナマエの隣を歩いた。街から少し歩いた所にあるスーパーに着いた時、丁度酒屋の常連客と出会した。彼女が「ナマエ、犬を飼っていたのね!」と驚いたように声を掛けてきた為、ナマエは「いえ、少しの間預かっているだけです!」と手を振りながら否定しなければならなかった。
 ナマエが買い物している間も、シリウスは大人しくスーパーの入口で待っていた。ノーリードにも関わらず、あまりにも大人しくお座りして待つので、通りかかった人は感心したようにシリウスを撫でた。その度にシリウスは嬉しそうにしっぽを振っていた。
 ナマエの姿が見えると、シリウスはより一層激しくしっぽを振りながら駆け寄った。その表情はどこか得意気だ。
 それから家に着くと夕食の時間までの間、ナマエとシリウスはまるで今日でお別れとは思えぬ様な、楽しい時間を過ごした。ナマエは心底、この時間が続けば良いのにと思った。


 出来上がった夕食をテーブルに並べれば、シリウスが魔法で辺りに光の玉のような物を浮かべる。部屋の電気を消すと、そこはまるで夜空の中にいる様な幻想的な空間だった。ステーキパイの美味しそうな匂いが漂う中、ナマエは用意したグラスにウイスキーをとぽとぽと注ぐ。それからお互いにグラスをかかげると、「乾杯」と見つめ合いながらグラスを打ち鳴らした。その音が、部屋にやけに大きく響いた。

「ウイスキーなんて何年振りだろうか。」

 シリウスはウイスキーを味わうように飲み干すと、そう感慨深げに呟いた。薄暗い部屋に漂う光の玉が、シリウスの痩せた顔を照らしだす。憂いを帯びたその表情は、想像もし得ない人生を背負っている故なのか。それはきっと一生分かち合うことが出来ない事なのだろう。その事実にナマエは酷く悲しくなり、俯いてテーブルについた小さな傷を努めてその傷に興味が有るのだという様子でじっと見つめた。シリウスはそれを知ってか知らずか、グレーの瞳を一瞬ナマエに向けて、後は黙々と食事を続けていた。



 時計が20時を示す頃、シリウスが唐突に「お願いがあるんだ。」と告げた。

「何?命が欲しいとかなら、叶えられないよ。」
「ははは、ナマエはまだ私を疑ってるのか?なに、そんな大それた願いじゃないよ。」

「何?」と話の続きを促せば、シリウスの口から出た願いはナマエの予想のしていなかった物だった。

「一緒に寝てくれないか?勿論、私は犬の姿になるから。」

 シリウスは、愛情に飢えた子供の様な目でそう懇願した。ナマエは昨晩のうなされるシリウスを思い返す。酷く怯えたシリウスを、ナマエは忘れる事が出来なかった。
 ナマエが犬の姿なら、と承諾すると、シリウスは大喜びで犬に変身した。犬に変身したシリウスは自分を落ち着かせるようにブルブルと身を振るう。そしてシリウスは寝室に着くまで何度もナマエを振り返り、しっぽを振った。

 布団に入り、「おいで」とベッドをポンポンと叩くと、シリウスは嬉しそうにベッドに飛び乗った。犬の姿なら、と言ったものの、例え犬の姿でもそのグレーの瞳で見つめられるとなんだか照れてしまう。ナマエは布団に潜り込み、シリウスをぎゅっと抱きしめた。シリウスの豊かな毛から、同じシャンプーの匂いが香った。







◇◇◇






 シリウスはパチリと目を醒ました。枕元にある時計を確認すると、成程、夜中の3時だ。犬の姿でと彼女に誓って一緒にベッドに潜り込んだが、久々に深い眠りに落ちていたシリウスはすっかり人間の姿に戻ってしまっていた。隣を振り返れば、睫毛がぶつかりそうなくらいの位置にナマエの顔があり、シリウスの心臓は大きく跳ねた。

 ナマエを起こさないようにゆっくり、静かに上半身を起こす。こんなに落ち着いて寝たのはシリウスにとって久しぶりの事だった。ナマエは、シリウスを離さんとする様にぎゅっと手を握っていた。その様子に思わず微笑む。名残惜しい気持ちもあるが、ハリーに会いに行かねばならない。もう時間がなかった。

 シリウスはそっとナマエに顔を近付けると、瞼と唇に優しく、口付けを落とす。ナマエの瞼がくすぐったそうに僅かに震えた。それからシリウスはポケットから杖を取り出すと、ナマエに向かって「オブリビエイト」と唱えた。明日起きた時には、私と出会った事などすっかり忘れているだろう。シリウスは自嘲すると、ナマエの家に残る痕跡を全て消し、静かに家を後にした。




◇◇◇




「遅刻なんて珍しいじゃないか。」
「はい、すみませんでした……。」

 ナマエはこの仕事を始めて以来一度も遅刻した事が無かったが、この日初めての遅刻をした。
 なんでも昨晩、店主のスチュアートに以前プレゼントしてもらったウイスキーを1人で丸々1本空けてしまったらしいのだ。酒など暫く飲んでいなかった私が、だ。それすら記憶が曖昧だった。昨晩は相当酔っていたらしい。
 急いで出勤すると、常連客で噂好きなデービソン夫人が既に来店していて、ナマエの遅刻をさも大事件の様に騒ぎ立てた。ははは、と苦笑いを浮かべ、ナマエはラジオから流れるボーイズバンドに集中して、彼女の話を聞かないようにする事に注力した。スチュアートとデービソン夫人は話し始めるとそれはそれは長いのだ。

「それにしても去年脱獄した凶悪犯、まだ捕まらないんですってねぇ、ここダフタウンでも目撃情報があったって言うのに。」
「物騒な世の中だよねぇ。」
「私、いつでも通報出来るように新聞の切れ端持ち歩いているのよ。ナマエ、貴方もこの顔よーく覚えておいて、気を付けなさいよ。」

 そんな物まで持ち歩いて、本当にデービソン夫人は噂好きだ。呆れたように写真を見れば、シリウス・ブラックと書かれたその男が、仄暗い瞳で此方を見ているかのように感じた。






爪痕のように残る面影はどこかあなたに似ている

title by … 失青

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