おやすみ
ドラコの部屋の扉の前に立つと、戻って来て居たらしい三人の話し声が中から聞こえた。私はお菓子の上に添えたメッセージカードが急に恥ずかしく思えて、思わずぐしゃぐしゃにしてポケットにしまい込んだ。
ノックして部屋に入ると、ドラコとノットが向かい合って何やらチェスをしているようだった。隣で退屈そうにしていたクラッブは、入って来た私のお菓子に目ざとく気が付き、釘付けになっていた。今にも此方に走って来て、お菓子に食らいつきそうな勢いだ。
「何だナマエ、勉強してなかったのか」
「あなたのお母様とお菓子を作ってたの。これどうぞ」
「……勉強って、何の勉強してるの?」
ノットが不思議そうに尋ねた。テーブルにお菓子を置くと、思った通りクラッブがすぐさま両手いっぱいにお菓子を取った。
「簡単な魔法とか、純血の教えとか、魔法界についてとか……あ、」
ドラコのクイーンが端に追いやられたノットのキングの前に移動してポーンを取った。チェックメイトだ。ノットの駒達が"私をどこどこに移動しないから!"とか"あの時あそこに動かせば勝てたのに"とか口々にノットへ抗議をしている。ノットが煩そうな顔をした。
「目を離してるからだノット……ナマエはロンドンに来るまでマグルに混じって生活してたんだ。だから何も知らないのさ」
"マグル"のワードに、クラッブとノットが目を合わせて「うぇー」という顔をしている。私は二人を睨みつけた。
「君のご両親は純血主義なんだろう?何故?」
「ナマエの両親は"穏健派"だから」
「"オンゲンハ"って何だ?」
クラッブがマフィンを口いっぱいに含みながら言い間違えにも気が付かずにボケっとした表情でそう言った。ドラコもノットも、その間違いを訂正する気も、質問に答える様子もなかった。
「まぁ、今後はマグルと付き合わない事だね。でないとホグワーツでいじめられてしまうよ」
「……私が誰と付き合おうとドラコには関係ないでしょ!」
「関係あるさ、だって君は僕の……」
そこまで言いかけて、ドラコは口を噤んだ。どうやら未来のお嫁さん候補だとこの二人に言うのが急に恥ずかしくなったらしい。クラッブとノットは顔を見合わせた。
「じゃあ私は勉強するから!じゃあね!」
私はフンフンと鼻息荒くドラコの部屋から飛び出した。ドラコやそのお友達と会って、より一層私はスリザリンには入りたくなくなっていた。スリザリンってのはあんな意地悪な奴らばっかりなんだ、きっと。パパみたいな優しい人が一人でもいたらいいのに――
何だか隣の部屋に戻るのも嫌で、私は屋敷を宛も無く歩き続けた。歩いているうちにすっかり頭は冷えて冷静になり、そしてその時初めて自分が屋敷の中の来た事も無いような場所にいつの間にか迷い込んでしまっていることに気が付いた。屋敷はとても広いから、マルフォイさんにもあまり歩き回らないように言いつけられていたと言うのに。
何だか薄暗い廊下をそろそろと歩き、そして突き当たりまで来ていた。重苦しい鉄の扉が立ち構えるその場所の異様な空気感に途端に怖くなった私はその場から引き返そうとした。
カタン――
扉の奥で小さな物音がする。私は思わず立ち止まって鉄の扉を見つめた。吸い込まれるように、私は鉄の扉に手を伸ばしていた。
「……誰かいるの?ドビー?」
私が中に入ると、扉が勢い良くガチャンと激しい音を立てて閉まった。それと同時に部屋の壁の松明の火が一斉に灯る。明かりに灯された事によって見えるようになった階段下の部屋を見て、私は思わず「ひっ」と息を飲んだ。
そこには、おどろおどろしい品物がコレクションの様に沢山陳列されていた。きっとマルフォイさんの趣味なのだろう。怪しい甲冑が、松明の火の下で鈍く光っている。壁には不気味な絵画が飾られているし、良く分からない木製の椅子や、高級そうなネックレス等も飾られていた。
私はその異様な空気に今にも泣き出しそうになり、振り返って扉を開けようとした。
――が、開かない。押しても引いても、鉄の扉はうんともすんとも言わない。私は泣きながら、助けを求めて扉をバンバンと何度も叩いた。
どれくらい経っただろうか、手が痛くなったので扉の前でしゃがみ込んで膝を抱えながらぐすぐすと泣いていると、突然パチッと何かが弾けるような音がした。驚いて顔を上げると、階段下からドビーが困った顔をしながら私を見上げていた。
「……ドビー!」
「ナマエ様はこの部屋に入ってはいけません!ここは立ち入り禁止のご主人様の大切な場所――」
「迷ったら出れなくなったの」
涙を拭いながらそう言うと、ドビーはオロオロとしながら「ここは怪しい者が侵入したら出られなくなる仕掛けがしてあるのです――」と言った。
「じゃあ私、もう出られないんだ……」
再び目にじわりと涙が滲んだ。こんな恐ろしいところに、私は死ぬまで閉じ込められてしまうんだ……。そう絶望した時、ドビーが「ドビーならナマエ様をここからお出しする事が出来ます!」と胸を張って言った。
「――本当?!」
「ドビーめにお任せ下さい!」
ドビーは階段下から私に手を伸ばした。私がその小さな手を握ると、先程と同じ破裂音と共に私は吸い込まれる感覚に陥って、ぎゅうっと目を閉じた。
突然開放された感覚があり、ぱっと目を開ける。するとそこはもう既に鉄の扉の外側だった。
「ドビー、ありがとう。何故ここに居るのが分かったの?」
「ナマエ様がドビーの名前をお呼びしているのが聞こえました――ドビーめは仕事を急いで終わらせて駆け付けたのです」
ドビーは誇らしげにそう言うと、「ドビーは戻らないといけません――ナマエ様もお部屋にお戻りくださいまし」と言い残して、またパチンとその場から居なくなった。
***
その日の夜、私は悪夢を見た。あの鉄の扉の向こう側で見た古びた甲冑や、ゾンビのように干からびた手が、私を追い回す夢――無我夢中で屋敷を走り回り、鉄の扉の前まで追い詰められた時、私はバッと飛び起きた。
全身汗でビシャビシャだ。私は手汗をパジャマで拭いながら、真っ暗な部屋を見渡した。何だか、誰かに見られているような気がしてならない。今にもベッドの下から何かが這い寄って来るのでは無いかと言う幻想に取り憑かれ、目を瞑るのが急に怖くなった。私はゆっくりと起き上がると、ベッドを抜け出した。
――今、何時だろう。ドラコ起きてるかな……
私はのろのろと隣のドラコの部屋の扉の前に行き、小さくノックした。
「……ドラコ」
聞こえるか聞こえないかのような声で小さく呟いた。……返事はなかった。寝ているのだろう。諦めて部屋に戻ろうと後ろを振り向いた時、後方でガチャっと小さく扉が開く音がした。
「……ナマエ?なんだこんな時間に」
ドラコは眉根を寄せて眠そうな顔でそう言いながら扉の隙間から此方を覗いた。月明かりに照らされて、ドラコのブロンドの髪の毛がふわふわと輝いている。
「……眠れなくて」
「はぁ、赤ん坊じゃあるまいし」
ドラコが呆れた顔をした。私はムッとした顔で彼を睨みつける。貴方はいいよ、だってここは自分の家で、パパもママも側にいるんだから。私は内心悪態をついた。
「だって、ベッドの下に何かいる気がするんだもん」
ドラコの顔が途端に青ざめた。どうやらドラコもその類の話は苦手らしい。彼はそれでも必死に冷静を保つように「いるわけない、そんなもの」と言った。
「……でもいるもん」
「……じゃあ良い、特別に今夜は一緒に寝てやる」
ドラコは偉そうにそう言うと、私を中に入るように促した。でも私は内心、ドラコもさっきの話で怖くなったに違いないと思った。