連休の小さな幸せ



 風に誘われ空を見上げた。

 澄み渡る青に、僅かに目を細める。
 日差しが強い。
 ほんの少し影が濃くなり、春が過ぎていくのが感じられた。
 今日はまた天気がいい。
 だが、ちらほらと雲が目立ってきている。

 夕方には降り始めると、自由気ままな猫のような男は予報した。

 あれのことだ、確実だろう。

 見上げていた空から視線を落とし、ゆうるりと踵を返した。
 袴の裾を翻し、呼びかけられる前に道場の方へと戻っていった。

 夏の前の梅雨前線。
 今年は少し早くやってくるようだ。

 そんな人々を憂鬱にさせる梅雨入りを、ギリギリ今年の黄金の連休は免れていた。

 とはいえその恩恵は、万人に訪れてくれるわけじゃない──。


 ところ変わって、月宮学園の図書館の一角。
 蔵書の量と冷暖房設備が充実しているのが自慢のこの図書館で、一人負を背負い歩く少女がいた。

「うー‥…休み、なのに」
 今にも喚き散らしかねない雰囲気を醸し出し、月宮学園の生徒会長は本の山を運んでいた。
 と、背後で困った笑い声。
「暴れないでね、蓮」
 綯凜が釘を刺した。
「‥…。しない」
「あはは、何その間」
 明らかに不満だといいたげに、振り返れば蓮の視界に綯凜の姿が映った。
 その腕には蓮と同じ(よく見れば蓮よりも多い)本の山が抱えられていた。
 ほんの少し蓮は目を細めた。

 綯凜の身長は蓮とそう変わらない。
 しかも中性的な顔立ちと爽やかな雰囲気から優男に見える。今流行りの草食系男子というやつか。

 とはいえ、蓮は女性にしては背が高く、綯凜自身は肉食だと公言して憚らないが。

「‥…。綯凜、持とうか?」
「‥俺、そんなに貧弱に見える?」
「瓊毅よりは見た感じ頑丈そう、かな」
「比べる相手を間違えてるよねー‥」
 肩を落とし綯凜は嘆息した。
 必然的に本の重さから前屈みになる。

 不意に綯凜の腕が軽くなった。

「何やってんだよ、綯凜」
 重くなるくらい持つなよ、と呟きが落ちた。
 別に疲れた訳ではないのだが、前に立つ人物は構わず本の山の半分を取り上げて自分の隣へとそれを回した。
「あれ、社‥…と満月。何でここに?」
 蓮が首を傾げる。
 気が付けば蓮が抱えていた本の山が社へと移っている。

 しかも全部。

 よいしょ、と奪った本の山を持ち直す社。
 そして眉間にシワを思いっきり寄せたのが見えた。
「あの狸センコーに図られたって聞いたんだよ」
 妙に憤慨している社。
 狸センコーはきっと化学の安倍先生のことをいっているのだろう。

 化学の安倍晴明先生はちょっとどころか癖の強すぎる人だ。
 狐だと言う人もいるが、一部ではもっと別の呼び名が通っているらしい。‥蓮は詳しく知らないが。

 軽く蓮がげんなりしていると満月が肩をすくめた。
「寄贈された蔵書の整理という面倒を押しつけられてたって、蓮のクラスメイトから教えてもらったんだ」

 連休だ、わーい。
 と、喜んでいたところにふっと湧いた災難(安倍先生)にしれっと押しつけられて意気消沈。

 その実に明瞭な落差にクラスメイトから二人に連絡がいったのだろう。

 ちなみに綯凜は暇だからと手伝いを申し出ていた。
 連休なのに善良過ぎる、と蓮は綯凜の申し出に諸手をあげて喜んだのだった。

「つまり、手伝いに来たってこと? ほうほう」
 本が減り軽くなった綯凜が体勢を戻した。
 そして、人の良い綯凜は社の本の山を少し自分の分へと載せた。
「そーいうこと。‥…って、おい綯凜」
「あはは。重いよね、コレ」「まあ‥それなりに。俺は余裕だけどな」

 その時、一瞬綯凜の目が光った。

「ホント? まだあっちに山なんだよね、助かるよ二人とも」
「お‥おう(あれ、なんか乗せられ‥)」
「じゃあ、人数いるし分担しようか。蓮は机で書類作成してて。終わったら好きにしていいから」
 思わぬ提案に蓮は瞬いた。
「ね?」
「へ? あ、うん」
 綯凜の言葉に思わず蓮は頷いてしまった。
 それを聞くや否や綯凜は二人を急かして歩き始めた。
 なにやらただならぬ気配を感じたのか、満月はおとなしく従っている。
 軽く社が騒いだようだが、綯凜の何とも言い表せない押しに負けたのか渋々従っていった。

(一体、何なんだろう‥)

 蓮は今日の綯凜の様子に首を傾げる。
 何やら少し強引だったことが気になった。が、気にしても仕方がないので振られた役割をこなしに机のある読書スペースへと足を向けた。

(あれ? あれって‥)

 思わず足が止まった。
 読書スペースに知った顔がいる。
 休日にも関わらず制服姿で、本を開きかけで携帯をいじっているのが見えた。
 蓮は誘われるようにそちらへと向かった。

 ぱたっと携帯を閉じて、綯凜は息を付いた。
「お膳立てはここまでかな。これ以上はお節介になるし」
 呟いた瞬間、携帯が振動した。
 ディスプレイを確認すると着信は【姫】となっている。
 薄く微笑んでそのままポケットへと携帯をしまった。
「守備はいかがですか?」
 そこにこっそりとした声がかけられた。
 視線を向ければそこには菖蒲がいた。
 本棚の合間からおずおずと顔を出している姿が何だか可愛らしい。
 綯凜は苦笑を浮かべた。
「上々だよ。‥社にはちょっと申し訳ない気がしないでもないけどさ」
「構いませんわ。いい加減、身を引くべきですもの」
 しれっと菖蒲はそう言い張る。
 菖蒲の頼みとはいえ社を裏切るのは少し心苦しいが、それは姫のためでもある。

 だから、綯凜は心を鬼にした。

「今日は気が済むまでカラオケにでも付き合ってあげよう」
「‥‥。お供しますわ」
 綯凜はやっぱり綯凜だった。
 哀れな友人のヤケに付き合う覚悟を決めて、綯凜達は蔵書の保管される倉庫へと踵を返した。


 近づけば直ぐに気付いてくれた。
「何してるの? 瓊毅」
 読書スペースで、携帯をじっと見つめていた副会長、瓊毅は顔を上げた。そして、首を傾げた。
「綯凜にすっぽかされた、みたいです」
「みたいって‥」
 苦笑気味に笑うと瓊毅はぽつぽつ説明を始めた。

 どうやら帰りにどこかに寄る約束をしていたらしいが、綯凜の方が終わらなさそうとの連絡が来たそうだ。

 そこでふと蓮は首を傾げた。
「あれ? でもなんで制服?」
 今日は生徒が喜ぶ連休の真っ只中だ。
 それは例外を除けば生徒会執行部といえども同じことである。
「部活です」
 瓊毅は素直に答えた。
 ああ、と蓮は納得する。
「そういえば合気道部に入ってるんだっけ」
「はい」
 律儀にも頷く瓊毅。
 その素直なところが可愛い、などとは口が裂けても簡単には言えない。‥気がする。

(でも‥)

 入学間もないとはいえ、すでにその実力は三年の主将ですら敵わないと聞く。
 そこは褒めてもいい気がした。

 瓊毅は存外何でも出来る子だ。剣道も結構いける。

 ふと脳裏に以前無理を言って剣道の試合をした時のことがよぎった。
 あの時の袴姿はなかなか様になっていた。

 今度部活中に覗いてみようかな──‥?

「ところで」
 不意に聞こえた落ち着いた声音に蓮は思考から引きずり戻された。
「え? な、なに?」
「会長はここで何をなさって‥」
 ブブッ、ブブッ。
「え、あ‥わわっ!?」
 突然、蓮のポケットが振動した。
 慌てて手を突っ込むと、携帯が何かを受信していた。菖蒲からのメールだ。
 件名は【業務連絡】。 「なんだろ?」とメールを開いた瞬間、蓮は凍りついた。


『お姉様。綯凜さん達は勝手に引き上げますので、瓊毅さんと仲良く寄り道などして帰宅してくださいませ』

 追伸で蔵書目録はぱぱっと満月が作ってくれた、とのことだ。


 目を剥いたまま固まった蓮を、心配そうに瓊毅は顔を覗き込んだ。
「何かあったのですか?」
 椅子に座った状態から覗き込んできているので、図らずも上目気味だ。
 見ようによっては奥ゆかしく蠱惑的な艶やかさが、滲んでいなくもない。というか、男にあるまじき色香がある‥。
「‥。瓊毅って、ほんっっとに誘い受けだよね」
「はい?」
「や、なんでもない」
 思わず言ってしまったことにお茶を濁した。


 誰が誘われて、誰が攻めなのか──。


 この疑問をうっかり考えてしまいそうになるが、考えれば墓穴を掘るのは蓮だ。
 しかも精神衛生上大変よろしくない。今もうっかり心拍数が上がってきてる。

 あ、ヤバい。
 どうしよう。認識すると余計に‥。

 これ以上耳年増になってはダメだ。

 落ち着け蓮。
 早く静まれ鼓動よっ!

「──ます。‥会長?」
「ほえっ!?」
「体調が優れないのでしたら送りますよ?」
「あ‥うん」
 蒼い、深い瞳に見つめられて心が驚くほど落ち着いた。


 ‥ただ少し、心臓がとくんと鳴っているのが聴こえる。


 校門を出て、蓮は瓊毅を振り返った。
「私元気だから、寄り道して行こ?」
 せっかく菖蒲が勧めてくれたのだから、と蓮はほんのちょっと勇気を出す。
「構いませんけど‥」
 どこに寄り道するんですか、と瓊毅は首を傾げた。


 拒絶しない君。
 ありのまま受け入れる君。

 ──それが私を嬉しくさせる。

 にっこりと笑顔を見せて、蓮は瓊毅の手を引く。
「私の行きつけのカフェに連れて行ってあげるよ」
 そう言えば、瓊毅は軽く目を瞬かせてから不安げに問うて来る。
「‥甘いもの、ですか」
「だいじょーぶ! コーヒーとか、甘さ控えめのタルトとかあるし。巽ご用達だし」
 それならば、と瓊毅は引かれるままに蓮について歩く。

 ほんの少し緩やかな歩調。
 手を引いて縮んだ距離。

 これから向かうカフェで何を食べさせようか、と蓮は思案する。
 甘いものが苦手な瓊毅は、あれなら食べられるかな。と、小さく笑みを零した。

《完》


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