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寒い日が続く昼下がり。
日差しが出て暖かくなったとはいえ、風は冷えている。
「……。」
教室の机に突っ伏して、瓊毅は気怠げに溜息を漏らした。
数日前より続く苦行に、知らず知らずのうちに吐息が増える。
クラスの女子の視線が何やら鬱陶しいが、そんなことは元々どうでもいい性質だ。しかし、耳が良い分ひそひそと話す声は何とかしてほしいと度々思う。
うなだれていると、前方に気配が現れる。
がたり、と椅子が引かれた。
見知った気配が前の席に座ったようだった。
「大丈夫か? なんだか死にそうに見えるよ」
労るような声に顔を上げれば、そこにはこの教室にはいないはずの罔紋緇帷(ナアキシイ)がいた。
緇帷は同学年ではあるものの、クラスは隣であり接点も多いとは言えない。
しかし、瓊毅には珍しく親しくしている友人だった。
会えば言葉を交わし、時間が空けばクラスを越えてつるむ。人に壁をつくり接する癖がある瓊毅にとっては稀有な存在である。
「緇帷」
「ん。気にするな。暇だったんだ」
「そうか」
「そうだ」
気にするな、と言われて瓊毅はまた机に突っ伏した。
だが、緇帷は言葉の通り、気にもせず何をするでもなく座っている。失礼極まりない瓊毅の態度にも、何も言わない。
どうやら最近あまり調子の良くない瓊毅の様子を見に、わざわざ顔を出したらしい…。
「暇人」
「毒が吐けるならまだ大丈夫だな」
軽い苦笑を含む声音に、瓊毅は少しだけ顔を上げた。
緇帷の柔らかな表情が見えてほんの少し視線をそらした。
本当に心配されていたらしく、瓊毅はばつの悪い心地になった。
「瓊毅。腹が空いたな」
「……。昼、奢る」
「ん。話はそこで聞くから」
緇帷は言うや立ち上がった。
もちろん、瓊毅も緩慢な動作で立ち上がり、緇帷と連れ立って教室をあとにした。
さすがに食堂は混んでいる。学食のレベルも高いことで有名なこの学園で、良い場所を確保するのは至難の業だ。
特に昼時にいかに席を取るかで生徒が躍起になっているのを後目に、瓊毅は緇帷を伴って食堂の二階にあるスペースへと向かった。
一階からの吹き抜けで下を見渡せる開放的なカフェテラスを思わせる造りは、さすが財閥など著名な出自の者が通う学園である。
「今日も下と密度が違うな」
困ったように肩をすくめて、緇帷は口にした。
吹き抜けから見えない位置の指定席に腰を落ち着けながら、瓊毅はあえて何も言わなかった。
生徒会執行部専用スペースであるこのラウンジは、常に空いている。学業に生徒会に忙しい彼らにとっては憩いの場として利用されるこのスペースに、今は瓊毅と緇帷しか見当たらない。
「会長は今日はお弁当だそうだ」
「妹の手作り?」
「らしい。なにやら準備がどうとか言っていた」
「ふうん?」
そんな他愛のない話をしながら2人は昼食をとった。もちろん、宣言通りに緇帷は瓊毅に奢ってもらって。
ひと通り落ち着いたところで、緇帷は瓊毅の注意を引くように机を指で叩いた。
説明するだろ、と促すような視線を受けて、瓊毅は息をついた。
緇帷は意外にこういったことには強情だ。
説明しないという選択肢は即座に却下される。真面目、というよりも情が強いのだろう。
こういう面では姉とよく似ている。
否、姉よりも強いかもしれない。
そう、瓊毅は思った。
腕を軽く組み、緇帷はすでに聴く体勢になっている。
これは言うまで帰してもらえない。そう直感的に理解して、瓊毅はしかたなく口を開いた。
「近々くるだろ。例の…」
「ああ、バレンタイン?」
「関連で少し苦行を強いられただけだ」
「苦行?それは──」
早くないか、と眉を寄せる緇帷に瓊毅は溜息を漏らした。
甘いものがダメだという事実は、瓊毅と付き合いのある人物ならばほとんどが周知だ。故にバレンタインが彼にとって地獄であることは言わずもがな、知れている。
瓊毅とは別の意味で地獄だと思っているので、苦行の意味も理解できた。
しかし、それにしては……。
と、瓊毅が額を押さえた。
そして非常に言いにくそうに話を続けた。
「ちょっとした、余波だ」
ぽつぽつと語り出した内容に、緇帷は若干眉を寄せた。
「いくら何でも過保護だろ」
「そうか?」
「そうだ」
「そうか」
ただでさえ甘いものに苦手意識を持っている瓊毅が……。と、緇帷は思い、そうして思い直した。
「ああ、だからか」
苦手意識がある瓊毅だ。身体が受け付けない結果だ。
しかし、強情さは自分よりも上だと緇帷は瓊毅を理解している。
職業病となりつつあるだいぶ無感動な観察眼。緇帷の人をはかる術はすでに群を抜いていた。
誰がどれほど懐に何を隠しているか、内情を探り当てるのは得意だ。
例えそれが身内であったとしても──。
友人であっても、いつの間にか観察してしまっている。
悪い癖だと、認識してはいるが直しようがない。
とはいえ、そんな観察眼がなくとも瓊毅が身内に甘いことはわかる。
「想うのであれば、か」
生半可な感情ではない。
そうであれば、遂げさせてあげたいと思うのは自然ではないだろうか。
甘いと言われようとも、そういうものは大切にしたい。
「なるほどな」
「何がだ?」
不思議そうに首を傾げる瓊毅に、緇帷は首を振る。
考えたことが思わず口に出ていたらしい。
緇帷は瓊毅と一緒にいると図らずも気がゆるむ。それはおそらく瓊毅も同じ。
こういう生活も悪くない。
緇帷は組んでいた腕を解いて、瓊毅の頭にぽんと手を置いた。
「今年の地獄は俺も少し引き受けよう。瓊毅も頑張っているし」
「別に頑張ってなど…」
無表情を不満そうに歪める瓊毅。
緇帷はそれに破顔した。
「可愛い妹の頼みだから断れないんだろ?」
「そこまで言ってない」
「まあ、甘味の処分は手伝うよ」
「ん。…助かる」
そこではたと気づく。
「お前も貰うんじゃないのか?」
「はは。なんだ、知ってたのか」
「それはな」
鈍いのに、と呟けば瓊毅の眉間にしわが寄ったのが見えた。
緇帷はさらにくっくっとのどを鳴らして笑った。
バレンタイン。
それは人によって様々な意味を持つ。
幸せを遂げる日。はたまた…。
大切なあの子が望むのならば──。
少しくらい無理をしてあげても、と思う今日この頃。
《完》
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