彼女までの距離
「やっほ。ミナセじゃん、久しぶりー」
「ああ、いつ以来だっけ?」
「ねーえ、たまにはこっちの教室にも顔出してよ」
「わり、よその教室って入りにくいんだよ……」
「えーナニソレー」
「でも、ちょっとわかるかも」
「そおー?」
千織が廊下で女の子と話している。しかも二人。どちらも去年千織と同じクラスだった人。
……で、なんたってあたしは隠れて立ち聞きなんてしてんのかしら。
柱の影から千織達を伺いながら、溜息をひとつ。こんな怪しいことしてないで、さっさと出ていくなりなんなりして会話に加わればいいのに。
「……駄目ねん」
例えばユミナっちあたりが相手ならそうしていた。話の途中だろうが千織に飛びついて、ユミナっちに呆れられて。だけど今それができずにいるのは、あの二人が共通の知り合いではないから。
うーみゅ。会話の邪魔をしたくないけど、会話の内容は気になる。
だってあたしは一年生と二年生の時の千織をよく知らない。小学校まではよく遊んでいたけど、中学生になってから生活環境の違いで疎遠になっていて、三年生になってまた親密になったんだから。
「でもこれ、まるっきりストーカーだわ……」
「高槻さん、何してるの?」
背後からの声にあたしは肩を跳ね上げる。
がばりと振り向く。後ろに立っていたのはナオちゃんだった。癖毛に眼鏡が特徴の、小柄なクラスメイト。着崩したりせず規定通りに着用した制服が性格を語っている。彼は不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。
「しっ!」
あたしは咄嗟にその口を塞ぎ、体勢を入れかえるようにして彼の背中を壁に押し付けた。
「もぁ、ふぁふぁふひひゃん!?」
もごもごと焦った声が聞こえるけど黙殺。こっそり千織の方を伺うと、こちらには気付いていないようだった。あたしは安堵の吐息をするとナオちゃんの拘束を解く。
「ごめんね、千織に聞かれたくなかったから……」
ナオちゃんは「ぷは」と大きく息を吐いた。顔を真っ赤に染め、涙目になっている。
流石にあたしも小声で慌てた。
「やだ大丈夫!? あたしったら呼吸器官を塞いでいたかしら!?」
ナオちゃんは勢いよく手を振った。こちらも小声で返してくる。
「ちが、ちがうんだ。そういうんじゃないから平気!!」
「ならいいけど……」
ナオちゃんは呼吸を整えながら口元を手の甲で拭った。
「……とっ、ところで。高槻さんはこんなところで何をしているの?」
「ちおりんに後ろから飛び付こうと隠れてたら、ちおりんの友達との会話が始まってタイミングを逃したのよん」
「僕、声をかけて来ようか?」
あたしは目を丸くした。ナオちゃんて、自分から女子生徒に声をかける性格じゃないって思っていたから。一学期の頃はずっとあたしから挨拶していて、だんだんとナオちゃんからも挨拶してくれるようになったくらいだから。
「ナオちゃんて、女の子と話すの苦手だと思ってたわん」
彼は照れ臭そうに笑った。
「前はちょっと苦手だったけど、今はこうして話せるようになったよ」
「成長……レベルアップしたのね」
「高槻さんのおかげだよ」
またあたしは目を丸くした。まばたきしてナオちゃんを見れば、赤面している。
「あたし、なんかしたかしらん?」
「高槻さんがいつも話しかけてくれたからだよ」
「つまり慣れねん。やだあたしったら知らないうちにお役に立てていたのね!? 嬉しいわ!!」
友達として心の底からそう思った。
「だから今度は僕が役に立ちたくて。声、かけて来るね」
「待って」
足を踏み出したナオちゃんの腕を掴む。彼はまた真っ赤になった。よく赤らむわね……なんでかしら。
「やっぱし、いい。急ぎの用も無いから、もうちょっと待ってみるわん。ありがとね」
ナオちゃんはあたしと、あたしに気付かない千織を交互に見た。
「遠くから見ているだけじゃ、つらくない?」
「んにゃ」
あたしは首を振る。答えはノーよ。
「あたしがしたいからしてるだけよん。つらいつらくないの問題じゃないわ」
踏み込みに躊躇う時はあるんだけど、と胸中で付け足す。
彼はぎこちない表情をしていた。
「……そっか。どっちにしろ僕の出番は必要ないみたい」
眼鏡の奥に寂しげな光を宿し、ナオちゃんは立ち去った。
直後、不意に肩を叩かれる。びくりと振り返ると、背後には目を尖らせた千織がいた。怒っている。物凄く怒っている。
「よお。随分と楽しそうだったな」
「あ、あはは……」
その剣幕に、あたしはひきつった愛想笑いしか出て来なかった。
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