学園 | ナノ

内なるもの 


「ちおりん、豆まきするわよ!」

「どこでだよ。まさかうちじゃねぇだろうな」

「にゅふん、あたしの家よん!」

 そういうことになった。


 ▽ ▲ △ ▼


 隣のルカの家では既に豆まきが始まっているようで、賑やかな声が聞こえてくる。
 そして梅の香りが漂う庭に足を踏み入れた瞬間、いきなりつぶてが飛んできた。

「ぎゃははは! 油断してたべ!」

 枡を片手に馬鹿笑いしているのは、ルカの弟のトビトだった。
 痛くはない。大豆だし。だが腹が立たないわけではないので文句のひとつでも言ってやろうとしたら、先にルカが動いた。

「トービートー!」

 瞳を燃え上がらせ、トビトを睨み付ける。

「よくも不意討ちかましてくれたわね! おかげでちおりんの盾になって『ルカ……オレを庇って……トゥンク』とかそういう展開に持ち込めなかったじゃない! やり直しを要求するわ!!」

 何言ってんのこいつ……。
 トビトも姉の剣幕に押されたのか、半歩後退りしている。

「いっ、言ってる意味はわかんねーけど……」

「奇遇だなトビト。オレもだよ」

「姉貴が投げてほしいなら、お望み通りそうしてやんべ!」

「やめろこのばか!!」

 悪役じみた台詞を吐き、トビトは腕を振りかぶる。
 その腕は、突如として背後から伸びてきた別の腕に掴まれた。
 トビトが声にならない叫びを上げ、じたばた動くがびくともしていない。
 掴んでいるのは筋肉質の男だった。コミカルな鬼の面でその表情は伺えないが、……おそらく激怒しているのだろう。

「飛人……鬼の役でもない人に豆を投げつけるなんてどういうことだ……。千織ちゃんだっていきなりでビックリしただろう」

 怒気を孕んだ低い声に、トビトが凍りつく。
 オレはまぁまぁと手を振った。

「ヨシヤさん、ちょっとした悪ふざけですからその辺で……」

 ルカの父、もとい鬼面の男はゆっくりとかぶりを振った。

「千織ちゃん、今の僕はお隣のおじさんじゃなくて鬼なんだ。そして鬼は、節分には厳しい」

「は、はあ……」

 気の抜けた声を出すオレの横で、ルカがしたり顔で頷いている。

「中々のロールプレイングね」

 この場にいた全員がルカの発言を無視した。

「……あー、じゃあオレらは縁側の方に行ってますんで」

 豆投げつけてきた相手を庇うほど甘くはない。自業自得だっての。
 玄関を曲がると縁側があり、その正面が庭だ。コンクリート敷きの庭の隅は花壇になっていて、花壇を囲むように庭木が植えてある。
 縁側ではルカのもう一人の弟、イサクが無心で炒り豆を食べていた。明らかに歳の数以上をボリボリ頬張っている。

「おはようイサク。それ美味しいか?」

「おはようチオ姉。ルカ姉もおかえり。すごくおいしいよ!」

「良かったなぁ」

「うん!」

 そういやこいつ食いしん坊だったな。
 ルカが枡に炒り豆を分け、こちらに手渡す。

「んじゃ、適当に撒くわよん」

「あんまりまくともったいないよ。ぼく、まだまだ食べたい!」

「んー……。しょうがないわねん。食べ過ぎには気をつけるのよ?」

 唇に指を当て、ルカが長女っぽい顔をする。そこに、横から声が飛んだ。

「姉貴、イサクにあんま食わせねー方がいいべよ。こいつ際限なく食うからよ」

 いつの間にかトビトが縁側に立っていた。片手に缶ジュースを持ち、もう片方の手でリュックをだらしなく引きずっている。

「ほら、なにか飲まねえと喉がつまるべ」

 ずい、とイサクの眼前に缶ジュースを差し出す。

「ありがとうトビ兄」

「なあーに、もう説教終わったのん?」

 ルカが意地悪く笑うと、トビトはバツが悪そうに視線を逸らした。

「これからノヤたちんとこで遊ぶから中断してもらったべよ。そういうわけで出かけっから」

 そそくさとリュックを背負い、縁石でスニーカーを履き、オレの横を通り過ぎる。気まずそうに、視線は逸らしたまま。

「あんさ、あやまる。……べつにチオリがきらいとかじゃ、なくて。いつもうちに来すぎだからちょっとくらいいいかなって、思って……」

 なるほど。確かに家族以外が出入りするのは気分がいいものではないのだろう。姉や両親が他人の子供を気遣っているとなればなおさらだ。

「悪かったよ」

「なんでちおりんが謝んのよ!?」

 ルカを手で制する。

「オレもこの家の人達に甘えてばかりだったものな。これから気を付け――」

「そういうことが言いたいんじゃねーべよ!」

 トビトが叫び、オレの目を真っ直ぐに見た。こいつと視線が合ったのはこれが初めてだった。

「チオリは家に来すぎてもう身内みてーなもんだからって、ちょっとふざけただけ! さっき父ちゃ……鬼に『親しき仲にも礼儀あり』って言われたべよ!!」

 あんぐりと口を開ける。これでは全く逆だ。
 なんだ、杞憂だったのか。そう思うと、自然と頬が緩んだ。

「あんたってヨシヤさんのことちゃんと鬼って言い直したり、変なところ律儀だよな」

「ツッコむところそこかよ!!」

 トビトはひとしきり叫ぶと、気恥ずかしそうに全力で走り去った。


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