04
「君は…ハクか!?」
白堊・エレミヤ。
黒っぽい灰色のショートボブに、黄色がかった肌と、ピンと伸びた背筋が特徴。どこか中性的な顔立ちは緊張の為か、ややこわばっている。灰色のロングコートに包まれた、華奢な体躯。確かもう一六歳のはずだが、二つは若く見える。
「…なんでぼくの名前を知っているんですか?」
ハクの目つきが不審者を見るそれに変化した。
「やはり覚えていないか…。いや、いい」
「えっ?あの…失礼ですが、お会いしたことありましたっけ?」
キョトンとされた。
我知らずため息が洩れる。それが何に対してのものかは、わからないが。
「ハク、いいから院長先生に面会させてくれないかね?少しでいいのだが」
しかし、彼女は自分の話などあまり聞いてはいない様子である。目の前の青年が誰なのか、必死に思い出そうとしているらしかった。
「ちょっと待ってください…。そうだ、ア、アレクサンドロヴィッチさん!」
「誰だよっ!?」
思わず大声で怒鳴った。すると、ハクの目じりに涙が滲んだ。
…これはまずい。そう本能が告げる。あるいは過去の経験だったかもしれない。とにかく、泣かせるわけにはいかなかった。
「あー…、ハク。いや、白堊。怒鳴ってすまない。私は不審者ではないし、敵意も無いから安心してくれ。
院長先生と話がしたいのだが、会えるかね?」
ハクは目元を拭いながらも、こちらの目を見て答えた。
「院長先生は只今外出中です。よって、要件はぼくがお預かりいたします。
ここで立ち話も何ですから、中へどうぞ」
雫は後から後から赤みが差した頬をつたう。拭っても次々と溢れるかのようだった。
きしんだ門を越え、玄関の扉を押し開きながら振り返り、彼女は告げた。
「…忘れるわけ、無いですよ」
「え…?」
何を、だ。
「ひくっ…。お帰りなさい、レファルさん」
その泣き笑いの表情は、何故か暖かかった。
「ああ…、ただいま」
「はい」
ハクは相変わらず控えめな笑顔を浮かべたまま――右手を振り上げた。
「…御免」
空を切る乾いた音が響く。一瞬遅れて、自分がはたかれたことに気付いた。
頬が熱い。
「これで、水に流します…から。これで、いきなり出て行ったこと、消息を知らせてくれなかったこと、…ぼくを連れて行ってくれなかったこと…。全部、許せますからっ」
ぶたれた頬がじくじくと痛み出す。痛みとは、後からくるものなのだろうか。
痛いのは頬だけではない。
「本当に、心配をかけてすまなかった」
自分に言える言葉はそれしか無く、ただ頭を下げる。
なんだったら土下座をしたっていい。そんな気持ちで一杯だった。
「頭を上げて下さい。あ、あなたは生きて帰って来た。それで十分ですから。だから、この話はもうおしまいです」
困ったような声が降りてくる。
彼女は屈んで、自分と目線を合わせてくる。そっと手が差し出され、頬を優しく撫でた。その細い指先はひんやりとしていて心地良い。
なんとなく気まずくなって、少し目線をそらした。
「殴られるかもしれないと思ってはいたし、覚悟もしていた。しかし…、まさかよりによってハクにはたかれるとは思わなかったな」
「多分、ぼくがぶたなくても、他の誰かがやったことでしょうね」
――でも何故かぼく自身がやりたかったのです。
蜻蛉のような呟きを聞いた。
「あ、いぇ、その…。そ、そうだ!レファルさんはずっとここにいるのですか?」
彼女は急に話題を変えた。そらした耳が赤くなっているように見えたのは気のせいだろうか?
「昔みたいに」
――昔みたいに。
…胸に溜まった空気を吐き出す。
照れ隠しなのか、振り返らずに自分の前を歩くハク。その背中に語りかけた。
「実は、春から王立博物館に配属されることになった。同じ街だし、これからはちょくちょく会えるだろう」
「――えっ…?
ここで一緒に暮らさないのですか?部屋は沢山空いていますよ?」
薄緑の瞳を見開くハク。まだ乾ききっていない涙の膜が揺れ動く。
「私は出て行った身。また一緒に住むわけにはいかないよ」
「……」
ハクは何かを言いたげだったが、唇を噛んでいた。
廊下に立ちつくす彼女をなだめるように、優しく頭を撫でてやる。
「…決して、配属先がユリウスになったから園に帰って来たわけじゃない。過去の自分にけじめをつける機会だと思ったから帰って来たんだ」
ハクは、今度は涙をこぼさなかった。
ただ、何かに耐えていた。
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