小説 | ナノ

陸 


文拡月とおか はれのちくもり

 さっきまであんなにはれていたのに、すっかりくもってしまいました。星も月も風も今日はお休みなのですね。まっくらで、なまあたたかい夜です。
 なんだかこわいような…。これって、まるで妹のひどいこわがりがわたしにうつったみたい。何がこわいのか、それはちっともわからないけれど。
 妹はふしぎです。とてもとてもふしぎです。
 あの日いらい魔法を使ってはいないけど(いいえ、使えたことさえわかっていないみたいですが)この子はやっぱりふしぎな子。
 壁に向かってなにごとかおはなししてたりなんてしょっちゅう。ぜったいに、わたしには見えないなにかが見えているのです。見たり聞いたり、いろんなことがわかるのって、やっぱり魔女としての力でしょうか?
 ……ああ、そうか。その慧羽がさっきからおびえているから、こっちにも不安がうつってしまったのですね。
 さっきから、逃げるとか隠れるとか、そんなことばかり言っているから。
 ああ、もう。それにしてもこの子、わたしにしがみついてはなれてくれない。おかげで書きにくくてかないません。
 なんたってそんなにおびえることがあるのでしょうか。何も怖いことなんてないのに。



 ――かたん。
 女の子は羽付きペンを置き、妹に向き直る。ライトグリーンの眼差しは、若干の苛立ちを含んでいた。
「…だから、何が怖いの。言ってくれなきゃわからないよ」
 しかし妹は――慧羽は答えない。ベッドの隅で膝を抱えカタカタと震え続けている。
 姉妹の間に暫しの沈黙が降りる。
 沈黙を破ったのは白堊だった。いいよもう、と呟き溜め息を吐く。
「言いたくないならもういいよ」
「ちが…」
 慧羽は激しく首を左右に揺さぶった。ちがう、ちがうと繰り返す。思考が上手く言葉にならないのだ。
 白堊は待った。慧羽が言葉を紡ぎ出すまで待った。
 やがて、慧羽はゆっくりと口を開いた。
「……みんな、しんじゃうの」
 その表情には激しい恐怖と暗い諦観が入り混じっていた。
「おそろしいものがやってきて、みんなたべちゃう。にげなきゃいけないのに、どこににげなきゃいけないのかわかんないの」
 じわり。忍び寄る不安の足音が聞こえた。白堊はゆっくりとかぶりを振ってそれを追い払う。強いて笑顔を作った。
「大丈夫だよ。そんなの来ない。おとうさんもおかあさんも、わたしだっているんだから」
 一緒にベッドに入り、しっかりと手をつないだ。
 慧羽の瞼にキスを落とす。悪夢を見ないように。怖いものが遠ざかるように。願いをこめて。
 いつも父と母がしてくれていたことを、今度は自分が。


 そして。
 白堊はこの日を一生後悔することになる。



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