小説 | ナノ

1-4 


 男が寝台に片膝を乗せ、真っ直ぐ刃を突き立てようと構えた。少年の手から放たれた布が鞭のようにしなり、その腕に絡み付く。バランスを崩す男に蹴りを叩き込み、縺れ合って寝台から転がり落ちた。
 少年は男の腹にまたがり、暴れる相手の拳を避ける。男が刃物を握ったままの腕を引こうとすれば拘束を緩め、男の力が抜けた隙に腕を捻り上げる。何度か攻防を繰り返すうちに、ついに男の手から刃物を奪い取った。
 互いに息も絶え絶えである。

「……強盗か? 生憎オレは金目のものなんて持ちあわせていないよ」

「……そりゃテメエを殺した後に荷物を改めりゃいいだけだ。兎に角男にゃ死んでもらわにゃならん」

「何故……?」

 男は答えない。にやにやと下卑た笑みを浮かべるだけである。
 少年がなおも質問をしようとした時、荒々しく扉が開かれた。

「オメェ遅ッせェんだよ愚図がァ! 寝てるガキ一人仕留めんのにモタモタすんじゃねェ!!」

 ずかずかと足音も荒く、見るからに粗暴な男が入室してくる。暴力を振るうのが楽しくて堪らないといった顔つきで、狭い室内に構わず棍棒を無意味に振り回している。
少年と目が合うと、

「ハハッ、ハハァー!」

 眼光炯々として笑う。

(新手――!)

「それが、こいつ喰ってなかったンだよッ!」

 言い訳めいた調子で叫び、組み敷かれた男が身を起こそうとする。その力を利用して少年は布を解きつつ飛び退き、懐から取り出した呪符を窓に叩き付けた。
 瞬間、爆音と閃光が轟き窓側の壁に大きな穴が開く。
 濛々たる土埃が男二人の怒号と罵声を飲み込む中、少年は室外へと身を踊らせた。

(月が再び雲に隠れてくれて助かった)

 少年は建物の陰から陰へと移動しながら周囲を探る。
 宿屋の敷地にはざっと数えるだけでも二十人の男達がいた。その誰もが武器を持っている。彼等は少年の起こした爆発に混乱していた。だがそれ以上に殺意をみなぎらせていた。

(これだけの人数がいきなり現れるものだろうか?)

 少年は考えながら髪に手を伸ばす。先程は鞭のように使っていた布を髪に当てると、布はひとりでにぐるぐると巻き付き始めた。魔術を込めた布である。伸縮こそしないが少年の意思で自在に動かす事が出来た。
 少年は他にもこのような道具を持っている。だが、
(困った)

 少年は宿の屋根を上りながら歯噛みする。

(部屋に鞄を忘れた)

 現状手元にあるのは外套を始めとする衣類に仕込んだ物だけであった。
食堂の屋根には換気用の窓が開いていた。数刻前まで宴会の場だったそこからは、酒や料理よりも香炉や血のにおいが漂ってきていた。

(女将さんは無事だろうか……)

 荒くれ男は「男は殺す」と言った。
 では女はどうするのか。
 少年は宿泊客らしき女性達が部屋の隅に集められているのを見た。手足を縛られ、こんな事態だというのに一様に眠っている。
 そして部屋の中央では、宿泊客らしき男性達が一様に刺殺体となって横たえられていた。
 香が焚き染められている。
 動悸を抑え、少年は息を吐く。
 男達は皆、胸のあたりを刃物かなにかで刺されて絶命していた。着衣に乱れひとつなく、抵抗した様子は見られない。

(二人目の、あの危険そうな男は「寝ている餓鬼一人仕留めるのにいつまでかかるのか」というようなことを言っていた)

 少年は記憶を反復する。

(それに対して一人目の男は「食べていなかったから仕方ない」という旨の返答をした)

 殺された男達の中にも、眠る女達の中にも、女将や宿の従業員らしき人物は見当たらない。
少年は脳内で結論する。

(宿屋が賊に襲われたと思ったがそれは違う。ここは最初から……賊の一味だった)

 推測を裏付けるように、声。

「……まだ、見つからないのかしら?」

「へい……」

「そう、残念だわ。若い子も欲しかったのよ? ……でもしょうがないわね。そろそろ始めるわ」

 女将だった。武器を持った男達と和やかとも言える調子で談笑している。
 その姿は先刻と変わらないが、纏う気配が一変していた。かぐわかしい腐肉の花を思わせる、おぞましい芳香へと。
 女将が何事か唱え始めると、死体の下に幾何学模様が明滅する。少年が息を呑み見つめる先、呻きを上げ死者達が身を起こした。
 死んでいた筈の者達が口元からごぼりごぼりと血の泡を溢し、のそりのそりと鈍重な動作で起き上がる様はひどく悪夢めいていた。

(なんだっけ、ひっくり返った虫が起き上がろうとする動きってこんなのじゃなかったっけ)

少年は頭の片隅で脈絡のないことを考える。そうでもしなければ、この冥府の門が開かれたかのような異様な光景に耐えられそうになかったからだ。

「……嬋嫣様……」
「……おぉ……嬋嫣様」

 彼等の呻き声はやがてひとつの歌のようになり、繰り返し繰り返し唱和する。

「嬋嫣様」

「おぉ、嬋嫣様」

「我等が女主人よ」

 女将は――少年からは見えないが――どうやら笑ったようだった。

「そこにいらっしゃるのは、どなた?」

 少年の肌が一気に粟立つ。
 窓から離れた瞬間、少年がいた空間を矢が掠めていく。外にいた男達が口々に喚き立てながら殺到してくる。少年は屋根を飛び降り、茂みへと駆け出した。追い掛けて来る中には、あの死体だった男達も混ざるのだろう。

(ひょっとしたら自分もそうなっていたかもしれない)

 少年の顔に少しだけ皮肉げな笑みが浮かぶ。
 闇を切り裂くような馬の嘶きと蹄の音が響いた。

(その為の馬か!)

 少年は騎馬をやり過ごそうと森の奥へと走る。そこへ、背後から矢が迫り、重心を崩したところで、足元の感覚が消失した。闇夜で気付かなかったが、目の前は斜面になっている。近くで水の流れる音がする――。

(澤――)

 ごつごつした岩肌を落ち、水面から飛沫が上がる。水底は深く、瀬の流れは早く、少年はただ脱力して流れに身を預けながら、松明を掲げた男達が自分に気付かないことを願った。
 水の流れが一際早まる。少年は己の不運を笑った。瀑布の音が近付いて来たからだった。


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