小説 | ナノ

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 カナン大帝国という巨大な国がある。
 霜の大陸東部に広がる肥沃な平原を中心に、大陸の背骨と呼ばれる山岳地帯の一部や大陸東から南にかけての海沿いの地域や周辺諸島を治めている。
 それぞれ黄・朱・白・黒・藍をナショナルカラーに持つ五つの王国から成り、その上に中央政府と皇帝が置かれる。
 五つの王国、十三の属国、三十二の民族自治区。数多の民族と異種族を抱え、諸外国に影響力を持ち、五百年前の大戦において魔王の軍勢の被害をそれほど受けず、千年の栄華を誇る大帝国。それはまさにひとつの生き物と言えた。

 * *

 薪が弾けた。
 少女が起こした焚き火である。
 少年はじっと目の前の少女を見る。
 カナン大帝国の東を治める青の王国、その都から遥かに離れた山中に彼等はいた。
 少し時間は早いが、服を乾かすついでに昼食をとることになった。少年は粗方日光で乾いたから不要と渋ったが、押しきられた形になる。

「名を問う前には自分から名乗らなければな。私はセレネ。旅の呪医……ええと、まじない医者だ。……まだ若輩だがな」

 少女は手慣れた調子で焚き火を起こし、携帯食糧を少年に分け与えた。

「昨晩から患者に呼ばれてな、早朝までかかってしまった。それから近場の川で水でも汲もうかと思ったら、貴様が倒れていたというわけだ」

「こんな山中に、患者?」

「うん」

 セレネは腰の鞄を開けた。中で包帯を巻かれた小さな蛇らしきものがとぐろを巻いて眠っている。

「呼ばれたんだ。巣が荒らされ、酷い怪我をしていた。……私を呼びに来た家族は助からなかった」

 蛇らしきものには翼が四枚あった。
 少年の背を恐怖が撫でる。

「鳴蛇だ……」

「ほう。この種族の名はメイダと言うのか」

「妖怪じゃないか!」

 普段は水中に棲み、叩き付けるが如き声を上げ、旱魃を起こす蛇である。目の前の固体は幼体のようだが、尋常ならざる力を持っているに違いなかった。少年の頬を汗がつたう。

「今は私の患者だ」

 セレネは鞄を閉じる。

「妖怪とは魔物を指す単語だったな? だがそれは私には関係の無いことだ。善悪も好悪も医者の前では平等だ。私は人外だろうと埒外だろうと、それが患者なら助ける。人間だろうと、流石に眼前で倒れられていたら助けるぞ」

 そう言って差し出してきた椀には薬湯が注がれていた。

「飲め。何があったかはこれから聞くが、気力と体力が減っているのは見ればわかる。それなら少しは回復するだろう」

 少年が薬湯とセレネを交互に見ると、セレネは若干眉をひそめた。

「……もしかすると私は警戒されているのか? 目の前で飲んで見せた方がいいか?」

「……君が医者だという保証がどこにあるんだ?」

「この杖が医者の証だ」

 掲げられた木製の杖は先端に蛇が巻き付く意匠が施されていた。

「……まあ、これは知らない者にとってはただの杖だな。そうすると私はあくまでも自称医者となるわけか」

 セレネは肩を落とすと椀を引っ込めた。しょんぼりとした様子だった。
 少し言い方が悪かったかなと少年は思うが、つい昨晩毒を盛られかけた身としては警戒を緩める気にはならなかった。

「まあ、良い。私は素性を話したぞ。次は貴様の番だ。話して貰うぞ、貴様の事情を」

「つまらない話なんだけどねぇ」

 少年はとぼけた物言いをしながら懐を探る。目当ての物はそこにはなかった。どうやら落としたようである。
 溜息。

「昨日の宿が人生の中でも最悪だったと、言ってしまえばそんな話だよ」


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