第二話
ミーナは夢を見ていた。
眠りながら、これは夢だと悟る。
蝶の翅を翻し、ひらひらと舞い遊ぶ夢。
肉体から解き放たれた魂が見る、自由な夢。
シャボン玉の色をした風景をどこまでも飛ぶ。
時折風景が像を結び、溶けるように消えていく。例えば、魔法使い達が遺跡の完成を喜ぶ光景。大陸に七つ配置した転移装置の最後のひとつが完成し、魔王の軍勢に邪魔されずに一気に大量の人や物が行き来できるようになったことを喜んでいる。
これは遺跡の記憶だ。
そして、今はミーナの記憶でもある。
ミーナが遺跡になったのか、遺跡がミーナになったのか、それは誰にもわからない。だが最早そのことは問題ではないのだ。
「ミーナ!」
誰かに呼ばれた気がした。
重なり合っていたふたつの存在が再び離れていく。
(ミーナ……)
そっと呟いてみる。遅れて、これが自分の名前だという自覚が来た。
どうしてだろう、とてもどきどきする。
道端で立ち止まるのと同じようにして滞空すると、周囲の光景が全方位から押し寄せて来た。
渦巻く風の中、
「ミーナは? ミーナはどうなったんだ!?」
少年が叫んでいる。
心が安堵に包まれる。あの少年が生きている――そのことが、たまらなく嬉しい。
だけれども、この状況は一体どうしたことだろう。
ミーナの肉体は篝火の焚かれた祭壇に磔にされ、魔力のみを吸い出されている。吸い出された魔力は遺跡を流れ、転移魔法の発動に使われ、異界の扉を開くことで更なる魔力をヴィレムにもたらした。
(異界の、扉?)
また知らないはずの言葉が自分の中から出てきた。
(怖い……)
だがいつまでも怖がってはいられなかった。これは本来の転移装置の使い方ではない。転移装置は広間の魔法陣の上にいる人や物を別の転移装置に移動する機能しかない筈なのだから。ヴィレムはそれを異界に繋がるために使ってしまった。遺跡ごと異界に移動させてしまった。
無茶な使い方だと遺跡は思う。これでは自分は壊れてしまう。自分が壊れてしまえば、ここにいる者達は帰れなくなる。
(とんでもないことをしてくれた)
転移装置として作られた遺跡は、己の矜持が手荒く傷つけられるのを感じた。
そうしているうちに広間の天井が開く。そこから見える空は既に異界のものだ。
遺跡が天井を閉じようと抵抗しても、あっという間に内部への侵入を許してしまう。
(駄目……!)
使い魔を連れた娘がヴィレムを魔術で攻撃するが、それでは意味が無いとミーナは思った。
「無傷……!?」
「遺跡の再生プロセスと同じね。あんた、何をしたの?」
痛みを伴い、ミーナから力が抜けていく。ふわふわとした気持ちは消え去り、失墜への恐怖が迫った。
ヴィレムはミーナから奪った魔力を、異界の扉を開くための鍵にした。扉の外から流れ込む魔力を得た。ヴィレム自身がダメージを受けたら、ミーナから奪った魔力で自己修復する。
思えば、終始徹底して他人を自分の道具にする男だった。
(まさかここまでとは思っていなかったけれど……)
そんな相手にこのまま好き放題させておきたくないと遺跡は思った。その意思に引っ張られるように、ミーナにも強い感情が湧き上がった。
(わたしも……そう思います)
どちらともなく告げる。
(元に戻りましょう。お互いのやるべきことのために)
呼応するようにミーナの翅が羽ばたく。飛翔する。肉体に向かって一直線に。
眼下では、異界がヴィレムを取り込み、醜悪極まりない姿へと変貌を遂げていた。
あの猫のような動物に足止めされていた傭兵達が起き上がり、武器を取ってヴィレムに向かっていく。彼らも気付いたのだ。あれが自分達の生命を脅かすことに。ここで止めないといけないということに。
ケトルもヴィレムと戦っている。
あの魔術師のような娘もそうだ。
みんなが戦っている。必死に、傷付くことを恐れずに。
だから、ミーナはみんなを守りたかった。自分も何かがしたかった。
回復のための魔力を寄越せとヴィレムの思念が迫る。大雨のように真っ暗で苦しい重圧に耐えて飛んだ。
少しずつ、少しずつ、抵抗を試みる。ヴィレムに魔力を渡さず、遺跡の自動修復をしないように。
無駄だとヴィレムの思念が嗤う。
(自分は遺跡と同期した。そしてお前も遺跡そのものになった以上、私に逆らうことはできない!)
(わたしは遺跡ではありません。ただの、ミーナです。そう呼んでくれる誰かがいる限り……)
呼びかけに導かれ、ようやく祭壇へ舞い降りる。
肉体は戒めを解かれ、優しく抱きかかえられていた。
「ミーナ!!」
少年の呼び声にミーナの胸が熱くなる。思えば、この人が最初に声を聞いてくれた。ここまで来てくれた。手を取ってくれた。
目を開く。少年が驚きと安堵に声を詰まらせるのを見た。
翅が消えて行く。
「ケトルさん……」
やっと応えられたと思った。
少年の顔がくしゃくしゃになる。
ミーナの心がふわふわとした感情で満たされていく。
「なんだか、まだ……夢の中にいるみたいです」
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