小説 | ナノ

09 


 とりあえず追ってみたものの、

「な、何という速度…。馬鹿な…!奴は本当に老婆か!?」

 一階に降りた時にはもう、彼らの姿を見失ってしまっていた。

「…本気で相手するから…」

 廊下の隅からエバがじっとりとした目を向けてくる。

「ベアトリクスたちの体力は無駄に余ってるの。でももっとあり余ってる奴らは、昼からずっと外で遊んでるの」

 エバは誰でも呼び捨てにする。ベアタ夫人をベアトリクスと呼ぶのは、自分の知る限り彼女だけだった。
 エバはいまだに掃除中らしく、箒とちりとりを巧みに操っている。

「エバ、奴らがどこへ行ったかわかるかい?」

 いまいち感情の読みづらい少女だが、どうやら不機嫌であるらしいことだけはわかった。

「せっかく溜めたゴミ全部ぶちまけられた。だから悪ふざけは外でやって、ってゆった。そしたら出てった」

 玄関を指差し、低く唸る。

「ベアトリクスたち追いかけるの?危ないよ?」

「危ないって、何がだね?」

 八年も経つのに昔と全く変わらない君のそのしゃべり方もある意味危ないと思うが。

「そと、が」

 相槌を打ちながら玄関の扉を開き、外を確かめる。
「外に何かあると――」

 瞬間。 べしゃ、と。
 自分の顔に何かのかたまりが飛来した。
 どこかの悪ガキが雪玉を投げつけたらしかった。

「あっ…。だからゆったのに」

 エバが箒を抱えたまま後ずさる。

「く、くくく…」

 自然と笑みがこぼれて止まらない。
 雪を払いのけ、襲撃者を見た。彼は物陰からこちらを伺っていた。夫人が連れ回していた子供とは別だったが、そんなことはどうでもいい。

「白堊ちゃーん、レファル壊れちゃったよー」

「…慧羽、ぼくに一体どうしろと!?」

「止めなきゃ危険だよ」

「無茶言わないでよ…」

 背後でエレミヤ姉妹がぼそぼそと何事かを話しているが、そんなことはどうでも良かった。

「くく…。コロス!!」

 よりにもよって土が混ざり泥状になった雪玉とは。
 ――ん、雪玉?
 玄関から踏み出す。あたり一面に牡丹雪が舞い、地面を白で浸食し始めていた。それは白と黒のせめぎ合いに似ていた。
 その上を子供たちがべしゃべしゃと走り回って、縦横無尽に雪玉――むしろ泥――を投げ合っている。もはや敵も味方も無いようだ。
 子供らのはしゃぐ声が響いている。…あんなに楽しそうに。

「見せつけやがって」

 舌打ちしながら手当たり次第に雪をかき集め、先程の襲撃者に投げ返してやった。

「一発は一発だ」

 にやりと意地の悪い笑みを浮かべて。
 彼は少し怯んだようだったが、すぐに雪玉を投げつけ返してきた。

「何すんだ!つーか誰だよてめー!!」

「さぁね」

 くつくつと笑う。本当に自分は誰なんだか。
 ふと、視線を感じて振り返る。合戦の渦中から少し離れた場所から、ベアタ夫人が目を細めてこちらを見ていた。ひょっとしたら呆れているのかもな、と思った。
 彼女はすっかり雪合戦の傍観者を決め込んでいる様子である。
 …老体だし、雪をぶつけるのは勘弁してやるか。
 結局、夫人が目を細めている理由はわからないままだった。


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